すれ違い夫婦と『賢者の贈り物』

妻に内緒で借金 夫に告げずに預金…淀川の妻子3人殺害:ニュース:関西発:YOMIURI ONLINE(読売新聞)

夫婦すれ違いの悲劇
 大阪市淀川区の住宅で1月、調理師浜田誠容疑者(42)が500万円の借金を苦に妻子3人を殺害し、無理心中を図った事件で、同容疑者宅には約2000万円の預金があったことが、大阪府警淀川署の調べでわかった。妻の早智子さん(42)が「子どもの学費に」と浜田容疑者に内緒で蓄えていたといい、同容疑者も借金を妻に打ち明けていなかった。事件発生から24日で1か月。夫婦の〈すれ違い〉が招いた痛ましい事件に、捜査員らはやり切れなさを募らせている。   (社会部 中田敦之)
※以下略


この記事で言う 〈すれ違い〉 は、夫が借金のことを妻に相談せず、妻が夫に貯蓄していることを話していなかったという、「たまたま互いの事情を知らなかった」レベルだけを指しているようで、違和感がある。
なんだか、「夫が妻に相談していれば、「子どもを思う気持ちは同じだった」とわかりさえすれば、妻は貯金で夫の借金の穴埋めをしてくれたであろうに」と言いたげだ。タイトルも「ちょっとコミュニケーションがなかったばかりに夫婦がすれ違ってしまった悲劇」と言いたげ。


違うでしょ。「夫婦すれ違いの悲劇」じゃなくて「すれ違い夫婦の悲劇」でしょ。
夫の言う通り、500万円の借金がばれたら「妻は子どもを連れて出てい」くだろうと予測される程度には、夫婦仲が悪かったのである。つまりどちらも子どもは可愛がっていたが二人の仲は前から決定的にすれ違っており、その結果としてこうなったと見るのが普通だと思う。
以下、記事から私が読み取ったこと。


夫が妻に内緒で株式投資などに手を出すことがありがちな話であるように、妻が夫に内緒でへそくりを貯め込むことはよくある話だ。だが、「周囲に「少しでも節約して、子どもを大学に入れてやりたい」と話し」ていた妻が、二人の子どもの将来の教育費の積み立てについて、夫に何も言わないというのはどうか。よほど夫を信頼していなかったんだろうと思える。
もしかすると、慣れない株式投資に手を出し欲を掻いて大損するような夫の不安定さを以前から見抜いていたからこそ、貯金についてはあえて秘密にしていたのかもしれない。記事によれば、夫は「妻とは折り合いが悪く会話もなかった。借金がばれて、子どもを連れて出ていかれるのが怖かった。殺人犯の子と非難されるのが哀れで、子も道連れにした」と、まあ他人から見れば甘えと独善にまみれたとしか言いようのない供述をしているが、子どもには慕われている父であってもそういう根本的な性格の弱さに、妻はとうに愛想を尽かしていたとも考えられる。
いずれにせよ、通帳に苦労して貯めた2000万があることを、この妻は夫には知らせたくなかったのである。


一方、妻が「複数の仕事を掛け持ちし」「自宅近くで保育士をしながら、医療事務の職に就くため職業訓練校にも通っていた」ことについて、夫がまったく知らないはずがない。質素な生活をしていたわけだから(だから株式投資で儲けようという気を起こしたのかもしれないが)、妻の収入は子どもの将来を考えて主に貯蓄に回っているのだろうと夫は考えるはずである。500万円の穴を埋めるくらいはあるかもしれないと想像したって不思議ではない。
なのに言い出せなかった。言い出せば「妻は子どもを連れて出てい」くことが予測され、それが「怖かった」から。折り合いの悪い妻が職業訓練校に通っているのを見たら、普通の夫なら「いつ離婚してもいいように経済的な自立を目指しているんじゃないか」と疑うものだ。この夫にもそういう不安が少なからずあったとすれば、自分の借金をきっかけに妻が子どもを連れて出ていくだろうということは、容易に推測できる。
もし妻が複数の仕事を掛け持ちしていることを知らなかったり、その収入がどうなっているのか考えたこともなかったとすれば、それはそれであまりにも妻のことに関心がなさ過ぎる。どちらにしても、相当に夫婦仲が冷え込んでいたとしか思えない。



ブコメに「賢者の贈り物」という言葉が散見された(以下は書かれた順に抜粋したもの。順次追加)。

brainparasite 事件 うわあ…。「賢者の贈り物」失敗版、という感じが。
complex_cat crime, communication 殺すなー。コミュがとれていないのは同じだが(理由が違うかあっちは「とらない」だな)「聖者の贈り物」の逆みたいで耐えられない。子供のこと考えるって,妻とのこと考えることでもあるでしょうに。
ohira-y りある「賢者の贈り物」ただし、バットエンド。コミュニケーション不在の悲劇
John_Kawanishi 事件 「賢者の贈り物」悲惨版!?か
bata64 *ひまつぶし O・ヘンリの「賢者の贈り物」の逆/預金の事まだ伝えてないとの事だがいつかは知るだろう。そのときどうするんだろう・・・。

*1


「それぞれが良かれと思ってしたことについて、コミュニケーションがとれていなかったのですれ違いを招いたという点で似ているが、結末がバッドエンドという点では元の話とは逆になっている」ということだろうか。タグでも「賢者の贈り物」があった。一方、

multiplex00 事件 それぞれ相手の為じゃなく自分の思惑のために借金/貯金してたわけで、賢者の贈り物とはちょっと違う気が

という意見も。私も「賢者の贈り物」の逆バージョンという見方は、少し無理がある気がする。


O.ヘンリーの有名な短編『賢者の贈り物』は、若く貧しい夫婦が相手へのクリスマス・プレゼントを買うお金を工面するために、自分の一番大事なもの(妻は髪、夫は金時計)をこっそり売ってしまうが、皮肉なことにそれぞれのプレゼントは、売ってしまったモノがなければ意味のない品物(夫から妻へは髪に飾る櫛、妻から夫へは時計の鎖)であったという話。


二人が事前のコミュニケーションをとらなかったのは、話が「贈り物」に関することだから当たり前である。プレゼントの中身やどうやって手に入れるかを前もって相手に伝える人はいない。むしろそこでコミュニケーションをとってはいけない。
この夫婦の(当事者からすれば)笑うに笑えぬすれ違いは、コミュニケーションをとらなかったからではなく、愛情が深かったから引き起こされたものである。わざわざ自分の大切な宝を売ってまで相手にプレゼントを買ってあげたいと思わなければ、こんな喜悲劇は起こらなかったのだ。だがそれによってこの夫婦は、プレゼントという物では計れない互いの愛情の深さを確認することになった。


つまりこの物語の肝は、「相手のために」と思ってしたことがそのレベルでは成功しなかったが、当初の思惑を超えた良いものを双方にもたらしたという意外性にある。
もし事件がこれの逆、「失敗版」なら、「相手のために」と思ってしたことがそのレベルで成功しなかったのみならず、当初の思惑を超えた悪いものを双方にもたらしたという話になる。形式的な前提は共有しつつ、結果だけが失敗のバッドエンドになっていなければならない。


だがブコメにあったように、夫の株式投資も妻の貯金も、『賢者の贈り物』とは違って相手のためとは言えない。妻の貯蓄は子どものためであり、夫の方はよくわからない。記事では子煩悩な夫が子どもの将来を考えて株式投資に手を出したようにも読み取れそうな書き方がされているが、本当のところは不明だ。もし仮に心の離れた妻の歓心を買うため(一発儲けて感謝されたいとか)であっても、双方が双方のことを同じように思っていた『賢者の贈り物』とは前提が異なる。
また事件の方は、本来ならとられるべきコミュニケーションがとられていないわけだから、とってはいけないコミュニケーションがセオリー通りとられていない『賢者の贈り物』とは、やはり前提が異なる。
互いにコミュニケーションがうまくとれないほど関係が悪化していたために、一つの失敗を契機として罪のない者まで巻き込む最悪の事態を招いてしまった事件。それ以上のことはわからない。


結局一番私がひっかかるのは、「お互いの気持ちは同じなのにすれ違いで不幸なことになってしまった」かのような印象を与えてる記事の書き方である。意外にも妻には2000万の貯金があったのです、それを夫が知ってさえいればこんな悲劇は避けられたのに残念です‥‥と。
この読売社会部の中田という記者は、夫が苦境に陥れば多少夫婦中が冷えていても妻は夫を助けるものだと思い込んでいるのだろう。子どものために必死になって貯めてきた2000万から、夫の借金穴埋めのために500万くらい出してくれるのが妻というものだと。
そりゃ『賢者の贈り物』のような若いアツアツの夫婦ならわからなくもないが、子どもだけでようやく繋がっている会話もない中年夫婦ではどうかな。新聞記事だから仕方ないのかもしれないけど、読みが甘いんじゃないかと思う。



●参照:賢者の贈り物

*1:後で気づいたが、complex_catさんは「聖者の贈り物」と書いている。新約聖書の東方の聖者のお話がベースにあるので混同されたのかもしれない。