他人のシモの世話をすること

排泄は、プライバシーを厳重に確保した上で行いたい行為の一つだ。
排泄の直接の「原因」である食物摂取は、人と共に行うことに特に恥ずかしさを感じない、むしろ楽しかったりするのに、排泄が強い羞恥心と結び付いているのは、その器官と生殖器の位置が極めて近い(か同じである)ことと、排泄物の匂いや形状が原因だろう。
もし排泄器官が手首についていてウンコがバラの香りと色をもっていたら、ここまでの羞恥心は掻き立てられないのではないだろうか。


そういうわけで、先月から通い始めたホームヘルパー2級講座は、体位変換、ベッドメイキング、シーツの(寝たまま)交換、衣服の着脱と寝間着の交換、車椅子と杖の介助、視覚障害者の介助と進んできて、先日は排泄ケアについて学んだ。
実技に入る前の講師の話はかなり”リアル”で、少し慣れてきた受講生の間にも微妙な緊張感が漂った。やはり介護の仕事において排泄ケアはその緊急性を考えても重要度が高く、尚かつもっともキツく汚い仕事だと思われている。


ポータブルトイレへの移乗介助、ベッド上での尿器の使用介助、おむつ交換など、実技は受講生同士のロールプレイでもちろん着衣のまま行う。
とは言え、ベッドに横たわって他人におむつを付けてもらったり、尿器をお尻の下に入れてもらったりするのは、やはりちょっと恥ずかしいものである。さすがにこの期に及んでモジモジする受講生はいないが、最初に講師が手本を示す時の「どなたか一人、モデルになって頂けませんか?」には、十数人に注視されることもあって皆、尻込みする。
実際の行為を他人に手伝ってもらい、自分の排泄器官及び生殖器やウンコやオシッコを他人に見られる高齢者や障害者は、当然のことながら内心恥ずかしい思いをしている。そういう状態で人が自尊心と平常心を保つことは、かなり強靭な内面がないと難しいと思う。物理的心理的フォローが特に重要だということを学んだ。


排泄ケア以外の介護実技でも、行うのはシミュレーションであり、実技講座が終わった後の実習では見学や介助補助が中心となる。仕事でもいきなり一人で排泄ケアをするケースはほとんどなく、最初のうちは先輩介護士やヘルパーの補助に入って経験を積み、やがて一人で介助を行えるようにするという流れが組まれているようだ。
要は、慣れなのだろう。もちろんどんなに慣れても、心理的抵抗がゼロになる人は少ないだろうけど。自分も含めた受講生にとっては今のところ、現実はまだほとんど「想像」に留まっている。*1



私がホームヘルパーの資格を取ろうとしていることを知った友人に、ある時こう言われた。
「Aさんもヘルパーの資格持ってるよ。ハローワークから紹介されると、講座に通っている間、月に10万の補助が出たんだって。でも資格取っただけで、学校から仕事を紹介されてもなんだかんだ理由つけて逃げて、結局行かなかったらしいよ。『自分の親ならまだしも、他人のシモの世話なんて絶対できん』ってさ」。
彼女の少し顰めた顔には、「あなた、よくそんなことやる気になったよねー」と書いてあった。
私も最初から「他人のシモの世話がしたい」と思って資格取得を考えたのではない。講座に来ているほとんど全員の人がそうだと思う。そういうことも「要は、慣れなんだろう」と思っているだけだ。


「自分の親ならまだしも‥‥」という言葉には、「親の介護は子どもがせねばならないことが多いので、シモの世話をすることになっても仕方ない」という気持ちがあるのだろう。単純にその行為だけを比べるのなら、「自分の親の排泄ケアの方が、他人のそれよりずっとましだ」と考える人は多いかもしれない。
しかし、排泄ケアが必要とされる具体的な状況を考えると、他人を介助するより親を介助する方が、肉体的にも心理的にもずっと大変なのではないかと思う。


もし私がホームヘルパーやデイサービスなどの助けなしに母の介護をするとなると、来る日も来る日も24時間、排泄ケアに備えていなくてはならない。一日に何度もおむつ交換をする、あるいは毎日ポータブルトイレのバケツを洗う。それはいつかは終わるのだろうが、いつなのかは未定‥‥。
そういうことを実際にやっていらっしゃる人は多いと思うのだけれど、考えただけでウツになってきそうだ。ヘルパーやデイサービスを利用したとしても、その時間帯(1時間弱から半日)解放されるだけなので、いつ介助の時間がくるかわからない不安はつきまとう。
母は、「実の娘にシモの世話されるなんて、私、絶対嫌だから」と言った。互いによく知っている間柄だからこそ、そこまで見せたくないという気持ち。なんとなくわかる気はする。私にも、人の排泄物や生殖器を見るというハードルに加え、相手が実の親であることで別の心理的抵抗が加わるかもしれない。


一方、他人のケアをする場合、毎日拘束されることはない。施設の常勤で一日に何度か利用者のおむつ交換をすることがあっても毎週休日はあるし、非常勤の訪問介護だと(労働時間と利用者の状況によっても変わるが)排泄ケアは週にせいぜい数回だろう。
仕事だということと他人だということで、ある種の割り切り感も生まれる。相手が親だと割り切りにくいし、同居していれば気分の切り替えもしにくい。


昔は当たり前だった「歳を取ったら、長男の嫁や自分の子ども、配偶者にシモの世話をしてもらう」という通念は、崩れてきている。特に独居老人のヘルパー需要が近年高まっているらしい。制度がもっと利用しやすくなっていけば、いずれはほとんどの人が、家族ではなく他人(社会)にシモの世話をしてもらうようになるかもしれない。*2
私は主に義両親の介護問題に備えてこの勉強を始めたが、介護職で働きながら親の介護は施設やヘルパーに任せている人もいるそうだ。排泄ケアの講座を受けて、そういうこともあるだろうなと思えた。



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介護の勉強を始めた

*1:去年の夏、入院していた父が、たまたま私が一人で見舞った時に便意を催し、看護士さんも忙しそうだったので、ベッドからポータブルトイレに座らせて介助したことがあった。今ならもう少し上手くできたのにと思う。

*2:ただネックは介護職に参入する人の数だ(団塊の世代人口が減少していくまでは特に)。給与などの労働条件が改善されないと、多くの施設が人手不足のままだと思う。