原節子についてのあれこれ

原節子が95歳で亡くなったというニュースが報じられた一昨日、ちょうど読んでいたのが、小津安二郎の『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』の中の原節子に言及されたところだったので、偶然とは言え驚いた。正確には『映画狂時代』(壇ふみ編、新潮文庫)に収録された「トウフ屋」の中の小津の芸談
麦秋』を撮り終わった後の小津監督は、原節子についてこのように書いていた。

(前略)『晩春』『麦秋』と二本、原節子君に出てもらったが、それまでに原は大根だという本人には気の毒な噂が伝わっていた。それだけに、出てもらった時は心配もあったが、結果は取り越し苦労だった。僕に言わしたらこの人は、大きな喜怒哀楽を大げさな表情では出せないかわり、チラリとした動きで立派に表現するというタイプの人なのである。
 換言すると大きな声を出さなくても、大怒りに怒っている感じを出すことはできるはずである。原さんはこうした演出をすればその中で実に細やかな表情をしかも楽々と見せる。反対に「達者だ」という評判の俳優を使ってみると、どうもやることが何から何まで説明的で困った場合もある。つまり年よりだというと年よりの真似をし過ぎるのである。個性をなくして「さァご注文は如何です?」で動かれてはかなわない。


原節子は『晩春』(1949)で小津映画に初出演するまでに夥しい数の映画に出演しているが、その中で私が見たのは『河内山宗俊』(山中貞雄監督、1936)、『わが青春に悔なし』(黒澤明監督、1946)、『青い山脈』(今井正監督、1949)の3本だけ。原節子が「大根」と噂された所以もよくは知らない。
ただ、『晩春』に出る3年前に黒澤明の『我が青春に悔なし』、2年後に黒澤の『白痴』に出ている彼女が、小津作品の原節子とは随分雰囲気が違うことはわかる。それについて『原節子、号泣す』(末延芳晴、集英社新書、2014)で秀逸な分析がされていると以前書いた。その記事から該当箇所を引用。

さて、小津映画における原の演技の具体的な分析に進む前に置かれた、第五章「原節子をめぐる小津と黒澤明の壮絶な闘い」。この章がまた滅法面白い。
もちろん、小津と黒澤が原節子を取り合ったという下世話な話ではない。小津は、黒澤明の『我が青春に悔いなし』(1946)における「体当たり演技」で原節子の限界を見極め、まったく別の方向で彼女の資質を生かすかたちで『晩春』(1949)を構想したという。
『晩春』の2年後、黒澤は『白痴』(1951)で原を再度ヒロインに起用。彼女は、日本人離れした容貌とスケール感を生かした緊張感溢れる迫真の演技で応じた。エネルギーを封印し最後に放出させる小津の方法とは180度違い、圧倒的な情動全開のドラマの中で、原節子の持つ「ワイルドな反社会性」を引き出した黒澤明。筆者に言わせれば、それは「俺はあんたと違って、ここまでやるよ!」ということらしい。
しかし小津はそれを受け止めた上で、『晩春』と同じく、エネルギー封じ込め(後に爆発)作戦で『麦秋』(1951)と『東京物語』(1953)を撮る。「原節子を生かすには、これしかないよ」ということで。
こうした闘いが二人の監督の間で意識的にされたということではなく、そう読み取ることができるという話なのだが、小津はともかく黒澤は意識していたのではないかというのが筆者の推論。その証拠に、『麦秋』『東京物語』と原主演の傑作を立て続けに見せられて以降、黒澤明原節子を起用することはなくなるのである。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150210/p1


このことを知った上で冒頭の小津安二郎の言葉を読むと、黒澤のくの字も出てこないのに「原節子の演技を見極められたのは、やっぱり俺のほうだね」という小津監督の声が聞こえてきそうでおかしい。


ところで、原節子逝去のニュースで必ず引き合いに出される監督は小津安二郎、もう一人挙げられても黒澤明くらいの感じだが、個人的には成瀬巳喜男の作品、特に『めし』と『驟雨』に出ている生活感溢れる原節子が、わりとナマナマしくて好きだ。『東京物語』の原節子しか知らない人は是非。


原節子の顔はパーツが伸び伸びと大きいので、日本人離れしているとよく言われていた。日独合作映画『新しき土』の宣伝で1937年にドイツに渡り、フランス、アメリカを経て帰国した当時、国内より海外での絶賛の声が高かったそうだ。第二次世界大戦がなかったら、二十歳くらいで国際的な女優になっていたのかもしれない。


   
   『キネマの美女』(文藝春秋、1999)に掲載の写真を見ながら描いてみた。
   渡独した頃の原節子。17歳にして完成された美貌。



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