愛知県立旭丘高校美術科25期生作品展「にこてん」第三回の展示について

超ローカルな話です。
先週、名古屋・栄のギャラリー聚で開催された「にこてん」に出品しましたが、まったく不本意なかたちになってしまったので、ご覧になった方に向けてここで「訂正」をしておきたいと思います。



旭丘高校美術科の同級生有志によるこの展覧会は、2012年以降1年おきに行われている。
それより前に美術作家を廃業している私は過去の2回は不参加だったが、今回は自筆イラスト付きの本を上梓した後で、代表として名前を出し全体の世話役的な立場の人(Aさんとする)に出品を強く勧誘され、イラスト原画のうち3点を展示し、拙書も少し置かせてもらうことにした。


搬入日はどうしても外せない用があったので、前もってAさんに作品を託した。美大のデザイン科を出ている人で、当然信頼していた。
会期中は仕事もあってなかなか行けず、会期終わり頃のプチパーティ(オープニングパーティの代わり)に行き、入り口近くの自分の展示を見て愕然とした。


1.「三点を並列展示で」とお願いしてあったのに、階段状に斜めにずらして展示されている(見るからにダサい)。
2. 右隣のBさんの染色作品との間隔が異様に狭く、作品空間が重なってみえる(にもかかわらず、その向こう隣に展示してあるAさんとBさんの間隔は、普通に余裕がある。すごいアンバランス)。
3. 拙書の価格表示、わざわざ足を運んで下さる人のために税抜き価格にしたのに、税込み価格になっている。


観客もおり、価格表示(たまたま購入した人が会場にいたので返金できた)以外はその場で修正することもできず、パーティの間はひたすら苛立ちを押さえ込み、翌日Aさんにどういうことなのか聞いた。以下その回答。
1.「みんながその方がいいって言ったから」
2.「気になってたけど一人じゃ直せないし、みんなも早く帰りたいだろうと思って言えなかった」
3.「メールを確認し忘れた」。


ある人の作品展示の責任を負った上で、その展示がちょっとまずい状態になってしまったとわかっていながら、修正を皆で協力してやろうと呼びかけるのに躊躇する‥‥というのは、私の理解を超えていた。
その後のメールでの長い言い訳と、自分の立場についての泣き言に満ちた謝罪の言葉からわかったのは、結局、「一人の展示の問題解決やその人の意向より、”みんな”の気分を忖度し”みんな”に嫌な顔をされないだろう(と自分が思う)方をAさんが選んだ」ということだった。
*1

他の誰一人として「ここだけ窮屈でみっともないから直そうよ」と言わなかったのか?というのも、不思議ではある。美大に行った人も多く、展示慣れしてそうな人も参加していた。
もっとも、それぞれの展示に手一杯で、搬入日に全体の完成状態を見た人は少なかったのかもしれない。会期中も全員が来ていたわけではないので、”みんな”のせいにするつもりはない。搬入後のAさんに、念を入れて確認をしなかった私にも瑕疵があったのかもしれない。
だがあの状態を多くの観客に見られ、この人はこの展示で良しとしたのだなと見なされたと思うと屈辱的であり、この一週間近く、落胆と怒りと人を信じた後悔に苛まれた。



そういうわけで、もし先週の名古屋・栄のギャラリー聚で開催された旭丘高校美術科25期生作品展「にこてん」に脚を運んで下さった方がいましたら、入り口近くにあった3点のイラスト原画の展示状態、あれは決して大野の本意ではありません。遅ればせながらここに明記しておきます(書籍公式Twitterでもほぼ同じ内容の連続tweetをしています)。


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*1:搬入時に時間がとれなかったとしても、会期中人のいない時を見計らって直すこともできる。全体を移動しなくても、Bさんの作品を5センチAさんの方に寄せるだけでも、バランス的にいくらかましになる。それすらしなかったというのは驚きだ。そもそも壁面展示の場合、最初に作品を壁に立てかけて全体の並びを見て、作品間の空きのバランスがとれているかどうか確認し、偏りがあれば調整してから展示する。その一番最初の段階で既に、私とBさんの間隔だけ詰めて置いていなければ、あんな展示にはならない。そう考えていくと、つまりあれは、最初から「そういう展示計画だった」としか思えないのだけど?とAさんに尋ねたが、明確な返事をもらえなかった。結局、展覧会は口実というかお飾りみたいなもので、昔の仲間と集まりたいだけ、「私たち美術科は今でも仲が良く、こうして集まって展覧会もやってます」と対外的に言いたいだけなんじゃ?だから展示も杜撰で無神経なことができるのでは?と勘ぐりたくなった。個人の意思を尊重しない”なぁなぁ”の場には今後二度と関わらない。