父親未満の青年と母を失った少女・・・『アマンダと僕』

告知がまた遅れましたね、スミマセン。

「シネマの男 父なき時代のファーザーシップ」第20回は、フランス映画『アマンダと僕』(ミカエル・アース監督、2018)を取り上げています。

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パリが舞台。初夏のパリの街の雰囲気が画面いっぱいに伝わってきて、見ていて心地よいです。
「僕」であるダヴィッドを演じるヴァンサン・ラコストも、優しくてごく普通の青年を好演。そしてアマンダ役の少女が、じわじわと来る良さ。以下、本文より抜粋します。

 

特筆すべきは、監督に見出され本作でスクリーンデビューしたイゾール・ミュルトリエの演じる、アマンダの存在感だ。あどけなさとやや大人びたところが混じる表情、日に焼けてはちきれそうに健康そのものの体躯。ハリウッド映画なら人形みたいに可愛く華奢な子役を持ってきそうなところだが、ベタついた愛らしさが希薄なアマンダには、ごく普通の小学生のリアリティが漂っている。
主な登場人物はダヴィッドを始めとして痩せ型のひょろひょろした大人が多い中、アマンダは小さいながらもどっしりとした存在感を放つ。事件以降、決定的な「重さ」としてダヴィッドの心と生活にのしかかってくるアマンダの主体の強さを際立たせるためにも、生命力溢れる体型の少女が選ばれたのではないだろうか。


後半は、二人のズレの描写に注目してみました。テニスの観戦シーン、本当に秀逸です。未見の方は是非。

次回は、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019)を取り上げます。9月16日(土)午後6時の更新です。お楽しみに。