2回めのマシュー・ボーン体験

大き過ぎた期待

マシュー・ボーン演出、振付の『プレイ・ウィズアウト・ワーズ(セリフのない芝居)』を、渋谷のシアターコクーンで観た。
4月に名古屋で観た『ナッツクラッカー(くるみ割り人形)』が結構良かったので期待していたのだが、結果はうーむ×3。


物語は60年代ロンドンを舞台に、貴族青年と召し使いとの関係を描いたもの。
63年『召し使い』という映画からヒントを得たらしいが、それがあんまり面白くない上に、音楽やダンスの力で引っ張って行くというものでもなく、なんかアイデア倒れというか、マシュー、才能に溺れたというか(2003年に英国ローレンス・オリヴィエ賞最優秀賞エンタテイメント賞&最優秀振付け賞に輝いた作品を指して、ひどいこと言っている)。


イデアとは、主要登場人物が、それぞれ「1役3人で同時に」演じられているところだ。
その動きはほとんど、いわゆる60年代のファッション誌とかメロドラマにあるような決めのポーズの連続でできている。映画が題材だけあって、これは映画の同シーンを俳優が違う動作で3回演じたフレームを、空間的にちょっとずらして一つの舞台に重ねているんだなあ、と読める。
その3組の動きが、きっちり3つの歯車みたいに噛み合って、隙なく流れるようにスムーズに進行していく様は、最初は少し新鮮だった。


でもだんだん飽きてきた。なんか妙に力の入ったパントマイムをずっと見せられてるみたい。
で、なんか面白い展開があるのかなと思っていたら、ずっとそのまんまで終わってしまった。

いろいろな褒め言葉

以下、絶賛の嵐だったらしいイギリスの劇評をチラシから。
「おかしくて、セクシーで、毒気たっぷり、ノスタルジックなのに、超スタイリッシュ。今まで観たことない!」(デイリー・テレグラフ
‥‥まあオシャレ系ではあるが、ユーモアもセクシーも毒も「中の上」といったところ。
「ロンドンの60年代を舞台に繰り広げられる、階級闘争とSEXの、ぞくぞくする風刺劇。全部が見どころ」(タイムズ)
‥‥それがもう一つスリリングに伝わってこない。セレブな女がヤンキーな兄ちゃんに服脱がされたり、金持ちのボンボンがメイドに誘惑されたり、召し使いにタオル投げつけられたりしたくらいで、何がどうだってんだという感じもする。英国みたいな階級のない国日本にいるからリアリティないのだろうか。
「これは演劇に対する挑戦だ。見かけはダンスだが中身は練りに練られた演劇そのもの。ダンスが正確に内容を伝えるので、言葉はまったく必要ない!」(デイリー・テレグラフ)‥
‥普通の演劇やダンスからしたら、ちょっと変わったことしているという印象を与えるけど、要はメディアミックスだ。「挑戦」ていうほど新しい手なんか、もうないんでないの?と思う。
「一言の会話もなされてないのが信じられないほど、キャストのボディ・ランゲージが絶妙で、非常に楽しい」(ガーディアン)
‥‥日本にも太田省吾の『水の駅』という「プレイ・ウィズアウト・ワーズ」があった。だいぶ前ヨーロッパ公演で、現代の能だとか何とか絶賛されたはずである。「絶妙」というより、ビジュアル的にはすごくこだわってるなと思うし、計算もされ尽くされている。でも、それだけなんだなあ。

サディストの白昼夢

観ていて思い出したのは、イギリスの70〜80年代の現代アートで、二人が同じスーツ姿で固定ポーズとってる「人間彫刻」のギルバート&ジョージというユニット。それから同じくイギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイの双児をモチーフに使った『ZOO』。
マシュー・ボーンもアートやアート系映画から学んでいるのかもしれないけど、今更そういうものを参照しなくてもという気がしないでもない。


引用の連続、複数性、これって80〜90年代にやったっぽいようなことだ。やはりあれから「時間」は止まっているのかな。
そう言えば、『ナッツクラッカー』もいろんな引用がかい間見えた。そういうものをスノッブに楽しむところに観客を引きこもらせないで、堂々直球勝負でファンタジーやってたところが良かったんだが、今回は変にカッコつけ過ぎであった。


悪口ばかりでも何なので、少し違った見方をしてみる。
階級闘争」が、最後は貴族青年の見た白昼夢だったとわかる。つまり彼は、「サド(上流階級)とマゾ(下層階級)の逆転劇」という悪夢を見ていたのだ。しかし、それはほんとに悪夢なのだろうか。実は「破滅願望」ではないだろうか。
それを(マゾヒストの夢ではなく)サディストの夢として描いたところが、ファンタジーを追求するマシュー・ボーンならではといったところか‥‥と一応フォローしておこう。