夏の東京戦レポート

これは"VS"だ

「また廃業について喋るのかぁ‥‥」が、最初清水さんから喧嘩売られた、いやシンポジウムの出演依頼を受けた時に思ったこと。
名古屋で二回も廃業シンポをやっているので、個人的には少し飽きていた。けど今回の東京企画のタイトルは、「いまさら演劇をやめられるか!vs 廃業に向けた精算手続きを!」。とてもわかりやすくて、バトルな雰囲気だ。
対決。闘争。決着。意味もなくワクワクしてくる。こうでなくちゃ、お盆シーズンに東京まで行く気がしない。


午後2時から8時までのプログラムが二日間。二日で通算三回も出ることになった。
三回出ても私が喋る内容に大差はないので、暑い中二日共来て下さる奇特な皆さんのために、衣装日替わり計画を立てた。一日目は宮田さんのお下がりのチャイナブラウス。二日目は浴衣みたいな和風プリントのスカート。いっそ浴衣で行こうかと思ったが、あまり悪目立ちするのも何なのでやめた。どうでもいいところに気を使っているなー私は。


行く前日の深夜BBSを見たら、開始一時間くらい前に来てくださいという、清水さんの書き込みがあった。私達がすっぽかすのではないかと、ふと心配になったのだろうか。そんなこと直前になって言われても、もう清田さん達と名古屋駅で待ち合わせる時間決めてるし。
ということで、15分くらい前に「敵陣」に到着。
到着したはなから森下君が、廃業調査会出演者一番バッターの海上さんに書かせたサイン(「絶対 海上宏美」とボールペンで書きなぐってある)を、皆に見せて回っているという信じ難い光景にぶつかる。早くもこちらの戦闘意欲を挫く作戦に出てきたという。では私は「絶体絶命」と書いてやろうじゃないのと手ぐすね引いて待っていたが、一向にサインを要求される気配がない。最初から無視か。


結局、二日間の内容は、全体で40点くらいの出来だった。はっきり言ってショボい出来。
なぜかというと、肝心の"VS"の実体が、至極曖昧だったからだ。鋭い反論、執拗な追求、罵倒、野次と怒号の嵐を覚悟し、徹底抗戦の構えで行ったので(大袈裟ではない)、かなり拍子抜けであった。
議論での究極の「武器」は何かというと、自分の持ちネタではなく、相手の言葉である。相手の言葉が具体的かつ明確でこちらときっちり対峙してなければ、それをこちらが自らの武器に変えることはできないし、面白い議論にはならない。
シンポは、端的に言って誰がどれだけ面白いことが言えるかの闘いだ。面白いから説得力も出てくる。そこんとこに賭けないと。その「賭け」が一方通行だったと思う。


以下、各々の催しについてのコメントと採点。タイトルにあったとおりに、あくまで"VS"にこだわった調子でサクッといきます。

一回戦の模様

海上宏美トーク/70点
長い前置きで、何も話すこと考えてない、困っているとブツブツ言っていた。去勢された老いた狼が舞台に引き出されたよう。敵陣(つまり演劇関係者であるお客さんのほとんど)からは、嘲笑と哀れみの声まで漏れる始末。どうしたの海上さんてば。
しかしその後の思い掛けないトークの展開に、一堂唖然。あのオストオルガンの元演出家・海上"絶対"宏美が、今「出会い系サイトに夢中」と誰が想像しただろう。
出会い系サイトは出会いの場ではない。男女が決して出会えないことが前提となっているその場で、どうやら究極の「純愛」(相手は男かもしれないが)にハマっているらしい海上さん。「女は男の症候である」事態に直面して、身動きとれなくなっている海上さん。絶対演劇の理論武装も、「純愛」ボケの引き起こす身体症状の前には無力。
これが、廃業が私にもたらした「効能」だ、というトークだった。
二日間の戦闘開始に相応しい、素敵に絶望的な話である。ちゃんとジェンダーネタの伏線にもなってる。でも最初の言い訳が長過ぎたので、このくらいの点が妥当かと。


●座談会ビデオ上映「演劇に留まる理由」/0点
音が割れてて、何喋っているんだかよく聞き取れない。それでも、ここでの会話がこちらにとっては重要なツッコミどころなので、一生懸命聞き取ろうとしていたが、だんだん疲れてきて、途中からどうでもよくなってしまった。
ふと後ろを見ると、案の定清田さんの姿がない。始まって数分で席を立ち、ホテルにチェックインしに行ったらしい。こういうことには常に、見切りをつけるのが早い人である。
清水さんは「聞き取れなくても聞いてやろうというくらいの気がなくては」というようなことを、後でチクリと言われていたが、それはなしだと思う。初めて聞く者には、あれはそういうレベルを超えていた。
清水さんの演劇だったらそうしないといけないのかもしれないけど、これ演劇じゃないんだもの。誰でも普通に聞き取れるべき話の内容が、ほとんどわかんないってのは、まずいでしょう。


●演劇公演 [in/out-there]/採点不能
クアトロガトスを見るのは2回めである。スタイリッシュでコントロールが行き届いた感じの演劇に思えたが、そういうの自体にデジャヴ感もある(すごいいい加減な感想)。でもテキスト内容は興味深くて、それで演劇の門外漢の私も最後までちゃんと見れた。いや見れたのではなくて聞けた。テキストだけでいいような気さえした。
そのテキストを、それぞれの俳優が首から下げた録音テープからイヤホンで聞いて読み上げるという形式とか、ミニマルなインスタレーションとかと、このテキスト内容との必然的な繋がりというのは、よくわからない。
きっと説明を聞けば納得できるのかもしれないけど、説明聞いて納得したいというところにまでは至らない。クアトロガトスの観客としての資格が、私にはないのかもしれないし、そういうことに興味がないのかも。


●シンポジウム「『廃業』のあとでもう一度 [in/out-there]」/30 点
ビデオ上映があんまりだったということで、急遽予定が変更され、まずさっきのビデオについて森下君の解説。そつなくスマートなまとめだったが、語りにイマイチ起爆力がない。感情喚起力も足りない。座談会が起爆力がなくても、語りでそれを作らないと面白くない。
名古屋からお客として来たパフォーマンスの浜島さんと、東京の脇川さんというダンスの方も加わったが、十分な発言の機会が与えられなかった。パネラーの発言を繋げる基本的流れができてない。進行の中西Bさんが、ほとんどその役目を果たせていない。煙幕作戦なのか、もともと作戦が立っていなかったのか。
さっきの上演の話もあまり深まっていかないし(別にこっちは演劇にそう興味ないんだけど)、肝心の「演劇に留まる理由」ってのが何なのかも、よくわからない。座談会での内野氏の「廃業しない方が大変」て発言に流されたんだとしたら、いい加減過ぎる。


曖昧にだらだらと話が横滑りしていくのに、マジ切れしたのが海上さん。「お前ら、ザケんじゃねえ!」と、机ぶん回して暴れてくれるのではないかと一瞬期待。眠たくなかったのはそこだけ。
(その夜、清田さんや私が帰った後の飲み会の遅がけに、「怒ってるだけじゃ、わからないじゃないすか」と大学生達に抗議され、2時間近いレクチャーを海上さんはしたらしい。そのシーン、見ておきたかったと思う。シンポより断然面白かったはずだ)


●シンポ「芸術に留まらない理由」/70点
清水さんと海上さんのやりとりがあってから、おもむろに戦闘に参加しようと思っていたら、最初に話をふられた。で、一から話し出したら、かなり冗長になってしまった。
パネラーの東京陣からのキツいツッコミを期待していたが、妙に納得されてしまったので、次にどう話をもっていったらいいのか困り、隣の海上さんにふる。
全体に、海上さんと私の廃業までを振り返るというところで、両者の違いをお客さんに説明するみたいな格好となった。廃業に関しては初めてのお客さんなので、ある程度親切な説明にはなったとは思われる。
が、目立った戦闘場面がなかったので、議論の盛り上がりを期待した人には物足りなさが残ったと思う。自己採点は70点。


空気が緊張したのは、客席からのピントのボケた意見に、客席にいた清田さんがすかさず応戦した時だ。
ここでピントぼけた人に一言言っておきたいのは、芸術のフォーマリズムが現実の政治に影響を与えるなんてのは、ロシア・アヴァンギャルドの時代の夢で終わってるということだ。60年代絵画のフォーマリズム批評家グリーンバーグはもともとコミュニストだったが、戦後のアメリカが「北側世界」のアートの覇権を握るのに積極的に貢献した。そういう具体的な事実を見ないで、抽象的な理想言ってても意味がない。


後で、私の最初の話は長過ぎで「物語」がない、ポイントが効果的に絞れてないと、戦術の不備を清田さんに指摘された。くやしい。ホテルに帰ったが、3時頃までくやしくて眠れない。
しかし東京陣というか演劇陣は、ほんとにバトルする気があるのか疑問だ。

二回戦の模様

●廃業シンポ1/75点
昨日のリベンジを果たすべく臨戦状態で会場へ。しかし私以上に臨戦状態だった清田さんに、最初の数十分を完全にもってかれる。
一日目のシンポのムードに比べると、いきなり異常にテンションの高い出だし。弾丸トークの清田節炸裂で、誰も言葉をさし挟む隙間がない。客席にいた昨日一日でよほど溜まっていたのであろうか、全然止まらない。誰か止めてくれ。司会者はどこに行った。
客席にいた宮田さんは、「清田が壊れたんじゃないかと心配した」。
その勢いを借りて、やっと昨日言い足りなかった事を喋りまくり、勢い余って海上さんに怒りをぶつける。これまで3人で話してきてるので、別に改めて話すこともあんまりないのだが、肝心の敵が攻め込んでこないので、仕方ないのである。


ほんとに議論したいのは、演劇や芸術の話なんかじゃない。例えば芸術より「コンテンツ産業」の方でアクチュアルな問題が起こっているのは事実である。そこに生々しい政治があるし、消費の苛酷な側面も現れるし、我々の欲望も反映される。文化と政治の戦争はそういうとこで起こっている。
それに芸術は対抗できない、できるという幻想にしがみついているだけだということを、まず率直に認めたところで話が始まらなければ、堂々回りである。そんなの改めて言うまでもないことだ。
かなり焚きつけたつもりだったが、敵サイドの手応えは今ひとつ。 自己採点は80点。


●演劇公演(昨日見たのでパス)


大通りまで皆でトボトボと歩いていき、ファミレスへ。東京って名古屋に比べて喫茶店が少ない。ファミレスは女性セブン置いてないし。東京演劇陣ダメダメじゃんとか、頭の固まったオヤジはもう相手にしなくていいとか、なんで演劇やっているんだか一向にわかんないとかいった話をした。なんとはなしに脱力ムードが漂っている。
戻っていく途中で、海上さんの携帯に几帳面な清水さんから、次のプログラムが始まるので早く戻ってきてくれとのコールが二回も。我々がこのまますっぽかして帰るかもしれないと、ふと心配になったのだろうか。いくら飽きて来たからと言って、そんな非道なことはしない。


●インタビュー「サブカルチャーと政治〜歴史なき領域におけるこの10年の検証」/0点
(以下は、企画者から「人格否定と思われかねない」との指摘があり、発言の撤回を求められましたので、私の判断で「不穏当」と思われるところを伏せました。読み苦しくてすみません)
××××?である。呼ばれた人(名前忘れた)の××××××××な「語り」が、個人的にまず××だ。なんでここで×××の×××を聞かなきゃいけないのか、意図が不明。そもそもインタビューにもなっていない。先の見えない話をみんなイライラしながら聞いている感じ。こういうのって、××に近い。しびれを切らした宮田さんが客席から抗議したが、ほとんど変わり映えがない。岡崎京子ハイナー・ミュラーを結びつければなんか見えてくるのだろうか? 全然ピンとこないけど私は。
とうとうマジに×××××××××聞いてられなくなって外に出たら、浜島さんが一人で×××××××××。「すげー×××××(×)。××じゃないのーあれー(×)。××××××××××(×)。××××××××(×)。わけわからんもーん(×)」。ふーん、×××やってたと思えばいいのか。って納得しててはいけない。
我慢して後半を少し聞きに入った。××××が「終焉の終焉」でもうみんな撤退してたんだ、てな話をペラペラとしていた。‥‥××××××。その辺の××××××××××××××××××××。撤退してたら、何でまだみんな演劇とかアートとかこだわってるの。××××××××××××××××? ×××××××。
‥‥というツッコミも、する気が起こらなかった。だって×××××××××××××××××××、悪いけど。×××××××××××××××××××、何か聞いた気分になっているような空間そのものが、××××××××××なのだ私は。


●廃業シンポ2/45点
そういうわけで、敵の巧妙にして邪悪な作戦にひっかかったためか、ほとんど戦闘意欲も失われ、もうおうちに帰りたいなあという気分になってきたまま、最終戦


主に私にいくつかの質問がきた。抽象的な質問が多い。授業じゃないので、一応自分の考えを述べてから質問するのが筋だと思うが、何だか言葉尻を捕らえられているという気がする。でも、そういうところをいちいち切り返す気力も萎えてる。
後半、集中力は激しく低下。たぶんやる気のなさが顔に現れていたと思う。自己採点は50点。
モタモタ説明している私と、仕切り役がいないに等しいのでなんら話が進展しない空気に、またしびれを切らした宮田さんが客席からテキパキ整理の発言。「話はジェンダーなんだから私が仕切ればよかったのよ!」と後で憤慨してた。あの時司会者として前に出て来てもらってたらと、非常に悔やまれる。


ジェンダー云々に関しては打ち上げで、お客さんで海上ファンの宗像さんに「言葉を持っていて発言できる女とできない女がいることを、どう考えるのか」という鋭い指摘を受けた。まさに南北問題である。そこまで展開できなくて申し訳ない。
清田さんも海上さんも、最後は発言少なめだったが無理もない。こちらはもうこれまでで50くらいは喋ったのだから、反論もこちらが問題にしているレベルで50くらい返してくれないと。我々はあくまで対等のガチンコをしに行ったんだから。
長々喋っていた客席の演劇人の話も抽象的で退屈だったし、最後に質問した人なんて、全然思考の跡のない言葉で呆れた。根本的な認識のズレに気づかない、どこの業界にも見られる空転する言葉が、疲れた私の耳を素通りしていった。

今の君の勘が正しい

勝ち負けの「決着」は、残念ながらつかなかった。「対決」「闘争」すらなかった。はっきり言って、まともな議論がないに等しかった。
こちらにも反省の余地はあるが、向こうが議論の土俵に上がってくれなかったのが大きい。私から見れば、東京演劇人の「今さら演劇をやめられるか」派(結局その実質が見えなかったのだが)は、闘わずして自滅している。北斗の拳ケンシロウが言ってた決めゼリフを思い出してほしい。


終わって外に出て、喰ってかかってくる演劇人が10人程いるかとしばらく身構えていたが、誰も来ない。
「僕も女性セブン立ち読みしてますよー」とか言って近寄って来たのは、なんだ森下か(呼び捨て)。二日目始めにさっさとこちらの軍門に下ったお利口な学生である。頭ガチガチの業界オヤジよりは数十倍希望が持てそう。
「僕は最初から廃業批判してないし」。あらそ。文章コキ降ろした覚えがあるので、てっきり”反大野派”かと。文章と言えば、森山、北野という二人の批評家が、シンポジウムの資料に寄稿してた。ああいうものを書いて恥じないオジサンにはならないよな、森下は(呼び捨て)。


清水さんは、廃業の心に最も接近している演劇人だから、たぶん一番キビしいと思う。だからか、シンポの出来を責めるのも気の毒という気になってくる。
今回もきっと持ち出しが多いだろうに、我々の新幹線代ばかりかホテル代まで出して下さり、宴会費もあんまり取って下さらなかったので、余計にそう思う。各方面への気配り疲れなのか、顔色まで悪いように見える。いっそ試しに思いきって廃業でもしてみたら、元気になるのではないかと思う。
中西Bさんには、主張をどこかでわかりやすく文章化してほしいような気がする。サブカルとか日本のラインはなんとなく読めたけど、その先の問題が喋りからはよくわからない。インテリで物知りなのにもったいない。


2回の飲み会を通じて思ったのは、クアトロガトス周辺の人達は、フレンドリーでつき合いがよくて話し好きだということ。
井上さんという、質問時の声と顔がコワかった化粧とキャラの濃い姐さん(すみません)なんて、とてもバンカラないい人だった。ああいう女性は名古屋にあんまりいないと思う。
全体に、演劇人にはアート周辺とは違う雰囲気を感じた。私の知っているアートの人達よりは、まだ面白そう。それが、演劇がもともと共同作業だからなのか、美術のような制度の拘束力の薄いところでやっているという自負からなのかは知らない。
ああいう感じだと、今更廃業って気にはならないのかもしれない。そこに殊更「廃業」と言われると、イヤな感じがするのかもしれない。まあ嫌がらせに行ったようなものか。


しかしどこに行っても、どん詰まりなのは同じ。芸術に限らず様々な場面でそうなのだ。
芸術取り去ったら自分が何に直面するのか、その先を考えたくないのなら、別にもういいや。こちらにそこまでの説明責任はないし。


最後に、思い掛けなく名古屋の昔の教え子や知り合いの大学OB生が、廃業調査会のHP見て来てくれたのが、嬉しかった。あんまり話できなくて申し訳なかったけど、また何かやる時は来てね。もうちょっと面白く喋れるように、精進します。少し興味もってくれた方も、またどこかで御会いしましょう。