引かれた線、「語り伝えよ」という伝言・・・『この空の花』感想メモ

Twitter上(東京方面)でえらいこと話題となっていた(『この空の花』スバル座最終日TW - Togetter大林宣彦監督作品。名古屋の中川コロナ第2週目、6分くらいの入り。2時間40分という尺の長さと後半の音楽のこれでもか的盛り上げが個人的にはちょっとクドかった*1が、そうした好みを超えたところで考えさせられる作品だった。


『この空の花 - 長岡花火物語』公式サイト



大昔に別れた恋人から手紙をもらった天草の女性新聞記者が、長岡を訪ねるところから物語は始まる。
うるさいほどこまめなカット割、一昔前の小劇場演劇のように早口で長台詞を喋る登場人物(しかもたまに観客に向かって)、台詞と台詞の「間」はほとんどなく、説明的な台詞の中のポイントが更にテロップでいちいち画面に出る。
息継ぎ無しで追い立てられるようなテンポ。怒濤のごとく押し寄せる夥しい情報量。映画にしてはすべてが過剰。そして、映画と映画内演劇と紙芝居が、最後の方で渾然一体となる。打ち上げられる花火、錯綜する時空間。


‥‥と言っても、既に少し情報を得ていたせいで特別実験的な試みという感じは受けなかった。むしろ素朴と言ってもいいくらいにストレートな映画だ。
「今伝えたいことがある。頼むから聞いてくれ」と映画が叫んでいる。というか、監督が渾身の力で叫んでいる。俳優に喋りまくらせテロップで「はい、これ重要ね」とダメ押ししている(「大団円」までテロップで出てくるのはご愛嬌?)。普通ならウザい。しかし映画の異様な牽引力がそれを吹き飛ばす。
かつて長岡に落とされた模擬原爆、空襲、東日本大震災中越地震、長岡の花火、広島、長崎、南相馬町、パールハーバー、シベリア抑留、その他戦前戦中戦後のさまざまな出来事、人々が次々登場。時制関係なく同じ場面にも登場。なぜならそれらは皆、どこかで関連しているからだ。この映画には実に数多くの、線が引かれている。


もちろんテーマは反戦平和である。これまで折に触れていろいろなところで聞いてきて、半ば耳タコなおなじみのテーマ。それをこれまでにない切実感とリアリティをもって伝えるにはどうしたらいいか?‥‥という監督の思いがたぶんとてつもなく重いために、普通の物語映画という枠組みがそれを支えきれず、使えるものは何でも使い倒したという印象だ。
映像、演劇、紙芝居、絵、花火、新聞記事、そして代わる代わる出てくる語り部たち。それらが示すのは「語り伝えよ」というメッセージだ。「あらゆる手段を使って語り伝えよ」というのが、この映画を貫いている訴えである(そして改めて、映画ほどそれが効果的な媒体はないと思った)。


その”語り部”の一人が、物語のキーパーソンとなる一輪車に乗った制服の少女、花。彼女はほとんどの場面、一輪車に乗って登場する。どこか人間離れした動きとスピード、揺れ、美しく不穏な存在感。この「一輪車に乗った少女」というアイデアでこの映画は半分以上成功している。
偶然にも前回の記事で、小津映画の原節子について書いた「あの世とこの世の中間にいる人」「死者の代理人」「生きている者に向かって「死者を忘れるな」と無言のうちに唱え続けている」は、ほぼそのまま花に当てはまるように思う。
花はなぜあの芝居の脚本を書かねばならなかったのか。語る人がいなくなりつつあり、語り伝えられるべきことが忘れられつつあるからだ。彼女はたくさん引かれた線の結束点で、「語り伝えよ」という死者の伝言を伝えるために現れたのだ。



●付記
私の世代(1960年前後生まれ)は父母が戦争を体験している。大正13年生まれの父は神風特攻隊の生き残りで、母はまだ小学生だった(大林監督と同世代)。戦争の話は、子どもの頃、繰返し聞かされた。もっと若い世代だと祖父母から聞かされていることになるだろうか。どのくらいの人が、直に戦争体験者から話を聞いているのだろうとふと思った。
戦争や原爆に関する読み物なども、親に与えられたりして小学校の頃はよく読んだ覚えがある。広島に関するもので特に鮮烈に印象に残っているのは、『わたしがちいさかったときに』。被曝した子どもたちの手記にいわさきちひろが絵を添えている。


わたしがちいさかったときに―原爆の子 他より (若い人の絵本)

わたしがちいさかったときに―原爆の子 他より (若い人の絵本)



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*1:あと、富司純子がとても86歳(89歳だったっけ)だかの老婆には見えません。75歳の私の母よりずっと若いです。