AFTER "THE WORLD TOWER"(文化部の男子)

エディターズ・ユニット

「あーだよねこーだよね」と、朝から晩までどうでもいいウンチク延々垂れてそうな、オープンカフェで本読むタイプ。文化部の部室に常にいて御託並べてた学生が、そのまま大人になったというか。それが「フリッパーズ・ギターな男」のイメージだ。
しかし90年代初頭の日本のポップス界で、フリッパーズ・ギターが突出した存在だったことは誰も否定しまい。ほんの数年活動しただけで今は「伝説」と化したフリッパーズだが、当時の「文化部」(渋谷系)女子の間の人気たるや、今の若手芸能人の比でないものがあった。


他の渋谷系サウンドと同様、フリッパーズ・ギターは、完全にエディター体質のユニットだった。
いろんな洋楽のフレーズを細切れにサンプリング、カットアップし、うまいことリミックスしてポップに仕上げる手際の良さと完成度。独特のひねくれた歌詞。そしていかにもトウキョウのいいとこのぼっちゃんの匂いぷんぷんの早熟美少年二人組。まるで岡崎京子のマンガの男の子みたいな。売れないわけがない。


雑誌でのインタビューは、しばしば質問を無視して二人の超高速な「あーだよねこーだよね」が延々続いた。悪フザケみたいな二人の掛け合いは、ぴあとスタジオボイスとロッキン・オンを混ぜて引っ掻き回したような印象だった。
「あーだよねこーだよね」と言うよりむしろ、「あーでもないこーでもない」という半否定形の、生意気でちょっとヒネたやりとり。延々喋った後で、「‥‥なんてね。」とクールに言い放ってみせるスタンス。
今ではちょっと気恥ずかしいものがあるが、当時の女子達(10代後半から30代まで含む)は、そのスピード感とやや屈折気味の知的っぽい雰囲気にやられたのである。


マッチョな男が完全に廃れた80年代から各分野に棲息していた文系男子の、理想の最終形態の一つがフリッパーズ・ギター小沢健二小山田圭吾だった。
こういうタイプの男の子が、アートや音楽や文学周辺に昔はよくいた。小生意気で弱虫で攻撃的でナルシスト。アートや文学に秀でているかどうかは知らないが、見聞きしたのをあれこれ喋り散らかす事には人一倍秀でていた男の子たち。
一つの分野だけに詳しいオタクではダメで、各分野のマニアックなポイントを押さえることを競い合っていた。情報感度と情報量が勝負だった。


もう語り尽くされたことだろうが、フリッパーズ・ギターの音楽は、80年代から90年代初めの文化状況と若い都市生活者のメンタリティを、かなり正確に反映していた。
すべての新しいものが出尽くしてしまって、文脈から切り離された情報だけが浮遊している、つらいことはないけど夢中になれることもない、現実に手応えがなくてすべてをフレーム越しに見ながら疾走している。それが彼らの曲の原風景だった。


私はその頃仕事で東京に通っていたが、フリッパーズの曲は当時の東京の空気に、その空気の表層で右往左往している女の子や男の子の感性に、何よりマッチしていたと思う。
青春や恋愛を詩にしてはいたが、『愛は勝つ』からも、ブルーハーツの汗からもずっと遠いところにあるのが、彼らの音楽だった。


不吉な歌のリアリティ

「映画」がテーマのセカンドアルバム『カメラ・トーク』では、「フレーム越し」の世界、嘘とわかっててあえて演じる世界を彼らは歌っていた。どうせ全部フリだよジョークだよ、という醒めた感じが基本の構え。
「嘘」と「逃げる」は彼らの歌詞によく登場した。ポップなメロディとは裏腹にそこにあったのは、「帝国」の外には出られない閉塞感と、自分の退廃を自覚した諦念と、やけくそ気味の明るさだった。
91年のラストアルバム『ヘッド博士の世界塔』では、それが病的に感じるほど深まっていた。例によってすごく器用に作られてたが、どことなく絶望の匂いがした。
例えばアルバム最後の曲『ザ・ワールド・タワー』の、分裂気味の歌詞。


フリッパーズ・ギター THE WORLD TOWER[世界塔よ永遠に] 歌詞 - 歌ネット


まあこの10分半にも及ぶ長々しい歌を、ファンの女の子達は競って暗唱したのだった。
普通の売れ腺ポップスからはみ出しかけた音。ネジの巻き切れたところでの、自虐気味な開き直り。何事からも「逃げる」と歌ってきて、かなりうまいこと逃げおおせてきたつもりだが、もう逃げ場がない。
80年代前半のインテリ界を席巻した浅田彰の『逃走論』が既に破綻しているのを、この歌のリアリティで当時感じた人も多かっただろう。


91年と言えばまだバブルの最中だったが、数年後に聴いた時はバブル後の雰囲気を先取りしていたようにも思えた。
しかし13年後の今聴いてみるとむしろ、01.9.11に至る21世紀初頭の風景を歌っているように聴こえたりするから、こわい。
だいたい『ザ・ワールド・タワー(世界塔よ永遠に)』というタイトルからしてそうだ。しかも曲中にアメリカのラジオ局風な音が挿入されているし、CDジャケットの二人はアメリカの脳天気なお上りさんの夫婦に扮しているし。
偶然にしてもあまりに不吉なヤバい歌ではなかったか? 
ともかくフリッパーズ・ギターは、いろいろと早過ぎたユニットだった。


「部室」を燃やせ

さてその後のフリッパーズ渡辺満里奈を巡って分裂した?などと週刊誌的に言われ、各々別方向に別れていったのだが、私の興味のあったのは、クラブ系の趣味に徹して地道に男子のファンを増やした小山田圭吾コーネリアスではなく、「アイドル路線」に走った小沢健二である。やけっぱちを徹底するならこちらだろう。
しかし小沢は半ばマジにアイドルになろうとしていたらしく、「ピーク時の郷ひろみのような扱いをしてくれなきゃ、雑誌には出ない」とまで豪語していた。フリッパーズ時代からすると、結構ベタに聴こえるような恋愛賛歌を通して、「どアイドル路線」を小沢は行こうとしていた。


そうでなくてもオザケンは文化部女子の「渋谷の王子様」だったから、ミュージックステーションにも紅白にも出た。
しかしあの曲。あの時の小沢健二。覚えていますか、皆さんは。
ちょっとマズいものを見てるという感じが私はした。楽曲もそうだが、小沢のたたずまい自体が、なんだか微妙にタガが外れている。それを無理矢理自演しているような。普通に見たら、相当ヘンな「アイドル」に見えたと思う。


手足を振り回して脳天気な歌を歌う小沢を、テレビで見た夫は激怒した。
「なんなんだあいつは?東大まで出た奴が一体何やってんだ?あれで叔父さんに顔向けできるのか。なにがオザケンだ、フザケンじゃないぞコラ!」
「別に東大出てアイドルやってもいいじゃん」
「いかん!俺は許さん! 東大出たんならなあ、もっと世の中の役に立つことしろや。何のための学歴なんだ。だいたい何だあの気色悪い歌は?」
まあそう言われてみればそんな気もするが、世界に絶望してそれでもまだ必死で逃げ切るところを演じるつもりで、アイドルになってんでないの、オザケンは。
だがあれは「ラブリー」ってことで、了解済みだったんだろうか。誰でもそういう比較をしたと思うが、小山田に比べると小沢は危なっかしく「冒険的」に見えた。 なんだかしゃにむに、ほとんどせっぱつまった感じで恋愛の歌に向っている感じだった。それでもファンにはかなり売れてたんだけど。


私はフリッパーズ・ギター(という現象)に興味はあったが、小沢健二のファンではなかったので、どうでもいいと言えばどうでもいい。しかし文化部の男子の身の振り方というものを、対照的な感じで見たという印象は残った。
ある時期に、そこでやれることを見切ってしまったという体験。『ザ・ワールド・タワー』で歌われたような、「世界の終わり」をたかがポップスではあれ、妙な実感を持って歌ってしまったという体験。
そういう「終わりの体験」をより深く抱え込んでいたのは小沢だと思う。だからその後の彼は浮いて見えた、いい意味でも悪い意味でも。
音楽的な才能とかいったことは、私にはよくわからない。小山田は、ユースカルチャーどっぷりの趣味の中で、カッコのつけかたも外し方も、それなりに決まっていた。つまり小山田は普通の人ということだ。文化部の男子のお手本なのだ。あまりにも「我が道」を行く小沢と違って。


数年前、小沢健二が出した久々のアルバムについて、「しっとりとした奥行きのある大人のサウンド」といったような評を雑誌でちらっと目にしたが、私はそれを聴いていない。聴く気もしない。
中年にさしかかった小沢には、中年にふさわしい恋の歌しかないのだろうか。ファンも中年だから?「世界の終わり」を歌った10年後には、結局そういう「洗練」に落ち着くのか。


90年代初頭の男の子達は、今どうしているのだろう。ディレッタントなオヤジになりつつあるのか、マイホームパパになっているのか。
なんとなく、10年たってもいまだに、「あーだよねこーだよね」と御託を並べているような気もする。「部室」に居座って、御託で文化部の女子口説いているとか。
でも「部室の掃除」もしなければ「部費の精算」もしない。私物片付けて黙って出て行くことは更にしない(それが嫌で私は「部室」を出た)。


いつまでそういう男がモテることになっているんだろう?
「ジョークのつもりがほんとに降りれない」「制御不可能で自爆もままならず」って、ずっと言ってるような気がするが。
誰か「部室」に放火する若い男子はいないのか。