これが男のモテる道

理系 vs 文系

男にとって、女にモテるモテないは永遠の課題なのだろうか? 
こういう話で時々出されるのは、女性との会話における、モテる文系男とモテない理系男の違いである。
文系は環境的に女慣れしているので、女性特有の「共感」を求めるタイプの会話に順応でき、理系は周囲に女が少なく、一般に男がしがちな「問題解決」にスパスパともっていってしまうのでモテない、ということらしい。


まあそういう現象はあるとしても、気になるのはこういう話にすごく共感してしまう人の、頭の中にありがちな構図である。
男の脳=論理的、問題解決。女の脳=共感的、問題先送り。
これは、ジェンダー規範のメタファとしては理解できる。しかしそれを生物学的にあらかじめ決まっているかのような話にしたがる人が、最近結構多い。学者ですらそういうことを言っている人がいるとかいないとか‥‥。
などということをブツブツ呟いていたら、生物が専門の夫に一喝された。
「たわけ!トンデモ学者だそんなこと言ってるヤツは。脳が男女で非対称になっとるワケないだろうが」
じゃあなんで男と女は脳の構造が違うって話に、皆飛びつくの。
「そういうことにしておけば、なんも考えなくてラクだからだろ。誰でも今までの価値観壊されるよりラクがいいわな。そんだけのこと」
‥‥さいですか。理系の人は話が早い(というか早過ぎ)。


しかし、何が言いたいのか不明なまま話がダラダラ長い人が、どっちかというと女に多い気はする(自分も時々)。
「だからぁ、そおゆうトロい女をいっぱい作ってきたんだろ?これまでの社会が。お前ジェンダーの授業してて今頃何言っとんの」
って言うけどさあ、「そんでも美人が勝ち」って言ってたのはそっちじゃないか。そこんとこはどうなんだ、え?


女の話ではない。モテる男の話であった。
一般に文系男と言えば、政治経済社会より、文学や芸術関係、いわゆる「クリエイティブ」方面に近い人である。政治経済社会だと、現実にロマンがないから話も殺伐となりがちだが、普通の女が文学芸術に求めているのは、平たく言ってロマン。そのロマンを体現しているような男が、ステキに見えるという回路がある。
このへんの感覚先行分野は、基本的に「共感」を旨とするジャンルであるから、会話が盛り上がりやすい。ツボさえ押さえれば、「尊敬」まで勝ち取ることもできる。


そこへ行くと、理系にはロマンも糞もない。事実の積み重ねと検証がすべて。
天文学とかロマンがありそうだが、「宇宙人?そんなものいない。立証されてない。まだ学会で認められてない」と言ってしまうと会話も台なしになる。
理系も突き詰めていくと壮大な哲学的問題に突き当たるらしいが、そんなとこまで熱心に話聞いてくれる女は少数。せいぜいプロジェクトXあたりの苦労話で、おばさんに浪花節的な共感をもらうのが、一般の理系男の限界といったところ。
第一、理系の男ってオシャレな人がほとんどいないし、最新文化方面には疎いし、「共感し、されたい女心」みたいな微妙なものはからきしワカッテナイというか、最初からわかろうとしない(偏見だろうか?しかし夫はその典型だ)。

モテのいろいろ

文系ジャンルではカッコいい「モテの偶像」がよく輩出される。音楽でもアートでも往々にしてビジュアルが提示されるから、わかりやすい。
文学だって島田雅彦とかちょっとカッコいい人は、めちゃくちゃモテるという。辻仁成なんて大した小説書いてないのに、作家というだけで(?)人気女優と結婚してしまった。伊集院静は、2回とも奥さんが女優。女優と監督というのは普通によくあるが、女優と作家も多そうだ。
女優とかモデルとか外見がまず重要な人というのは、その反動で創作インテリ系の男に惹かれる傾向があるのか。


しかし、文系の男にもいろいろいる。また身近な例を出して申し訳ないが、友人のK田さんやU上さんは文系出身でも理系タイプだ。
モテ話題をこまめにフォローしようともせず、カキーンとした論理の世界で生きてる硬派の文系。ウンチク垂れてる文化部の男を鼻で笑い(時々怒り)、文学芸術方面に安易なロマンを求めてやってくる若い女にも、容赦はしない(たぶん)。
それで実際モテてるかどうかは知りませんよ。ただそんなことハナから眼中にないという姿勢で一貫しているのが、潔くは見える。まあ今更モテたいという気もないと思うが。


だいたい文系でモテるったって、「モテの偶像」みたいになる人は除いて、他は誰でも似たりよったりである。若い男となると増々そうなる。
同じようなおしゃれ、同じようなカッコのつけ方、同じような映画や音楽に同じように反応して、同じようなタイプの女の子が好き‥‥になりがちではないか? 
文化が均質化されて、突出したものや特異なものがあっという間にボリュームゾーンに吸収されてしまうので、似たり寄ったりになるのも無理はない気はするが、その中で微妙な差異を競い合うのは、さぞ疲れることだろう。


「モテの偶像」も、数年単位で変化する。
一時期カッコいい男No.1だったキムタクは、ウザい男になりつつある。ユースカルチャーでは音楽とか映像系で地位を確立して、コアなファンをつけた者だけが、とりあえず相対的にモテ位置をキープできる。
そうした中で近年目覚ましくノシてきているのは、「面白い男」。いわゆる若手お笑い芸人だ。
「面白い」ことをするにも高度な芸と冷静な計算が必要なので、この世界も出入りは激しいだろう。その中でとりあえず今皆の目を引き付け、笑わせることだけに賭ける男達。
モテ系ではないがモテたい男は勢い「面白い男」を目指すことになるが、芸がスベった時の悲惨さは目も当てられないので、誰でもできるというものではない。しかも「面白い面白い」ともて囃してくれた女の子達は、いざとなるとそう面白くはないがカッコいい男にさっさと行ってしまったり。


それでもたまにいる、突き抜けたギャグセンスの男、不様を晒しきわどい本音を言える男を、魅力的だと思う女は一定限いる。
少々デブ体型でもオシャレでなくても構わない。むしろその方がセクシーだとすら女は感じる。これで北野たけしみたいな別格までになれれば、言うことはない。
女がモテる男に見ているのは「才能と色気」である。お笑い系だけでなくウンチク男も共感男も、それを感じさせれば更にモテるのか。

「怒りと罵倒」のジェンダー

などとブツブツ言っていたら、また夫に口を挟まれた。
「あのなあ、今の女はウンチクなんかどうでもいいの。もうそういう男に飽きてるの。何でもかんでも『うんうんそーだよねー』なんて共感してる奴も駄目」
しかし非モテ系の男がそんなこと言っても説得力ないと思うが。
「違うんだわ。若い女はちやほやされることに慣れてるから、叱られたいの逆に。足下見抜かれて思いきり罵倒されてだなあ、わんわん泣きたいの。今まで言われたことないようなキツいこと言われたいの」
それで彼は、いきつけのスナックのバイトの女子大生ホステスを「お前、そんなことも知らんの?何年生きてきたんだ、アホか、顔洗って出直してこい!」などとこっぴどく虐めてわんわん泣かせて、「今まで誰にも言われたことなかったです」とか言われてモテているそうである。
それ、ただのオヤジじゃん(というか錦3(東京で言う銀座の歓楽街)の高級ホステスの前では言えないよそれは)。普通、男の子が女子に向ってそんな罵倒したら、笑われるか逃げられる。


しかし人気のお笑い芸人見ていると、「罵倒」がうまい。直接客を罵倒する人もたまにいるようだが、それでもウケている。細木数子みたいな罵倒の仕方だと反感を買うが、笑いに包むと共感を得る。それがキツければキツいほど、こちらは「もっと言え」みたいな心境になる。
では、その罵倒が仮に自分個人に向けられたもので、核心をズバズバ突かれるとしたらどうだろう。自分では認めたくないけど、胸に手を当ててよくよく考えると、認めざるを得ないようなことだったら? 
そこで男と女では、反応が少し異なるような気がする。


男が男に言った場合、まず議論か喧嘩になるだろう。そうなったら、決着つけないでは済まされない。逃げた男は一生、あの時逃げたという負い目を背負う。
だが言われた方が少しでも内省的なら、最終的に兜を脱ぐだろう。そして、たぶんかけがえのない友人になったりする。こういう図は、女から見てても気持ちのいいものである。


男が女に言った場合、女はヒステリー起こして抵抗するか、わんわん泣くかして、最後には降参である。当っていれば認めるほかない。
そしてもしかすると、そこまで自分のことを看破し、嫌われるの覚悟で言い放つ勇気をもった男を、好きになってしまうかもしれない。このパターンはたまにありそうだ。
もちろん相手が場末スナックの女子大生ホステスでは駄目。ちょっと言いづらいような相手に対する真実でないと、インパクトはない。頑として真実を受け止めないような女は放っておこう。


問題は、女が男に言った場合である。
女に罵倒されて、まともな喧嘩(暴力抜き)に持ち込む男は少数派だと思う。とりあえず、その「ヒステリー」を笑うか、逃げる男が(女よりは)多いのではないか。
喧嘩して負けて、面と向ってはっきり言った女に逆に好感もった、なんてドラマではありそうだけど、現実では少なそうだ。そもそも「論理性」のない「共感」する脳しかない女の言っていることだと思えば、最初から素直に聞く気にはなれないであろう。

「怒りと罵倒」のジェンダー

従って、怒る女は「こわい女」として特殊枠にカテゴライズされ、封印される。
封印されたくなかったら、罵倒が惚れ惚れするくらいサマになる女か、いくら怒っていても冷静な女にならないといけない。これはかなり難易度高い。
それでもし聞いてもらえたとしても、そういう女は色気がないと看做され、一般的にはモテない。闘争的になった女に、男は引いていく。男は無防備に受け身になることを恐怖するのだろうか。セックスの時と同じように。


かくして女は、男の核心を突くようなことを言わないで、我慢するようになる。共感7、意見(反論ではない)3くらいの割合にしておけば嫌われないということを、大概の女はよく知っている。そうしている方が、とりあえずはラクかもしれない。
今は男までがそうなっている。特に文系軟派のモテたい男が。
しかし何かを我慢しているという事実は、心の底に溜まっていく。そしてそれは屈折した形で噴出する。言いたいことがなかなか言えない状況は誰にでもあるが、対等な立場であるにも関わらず、自分が出せないことのストレスというのは大きい。
では、その時女はどうするのか。


ここで最後のパターン、女が女を罵倒する場面になる。
女が女にキレるのは、その女個人を罵倒しているように見えて、実際は(無意識のうちに)男に怒っていることが多い。直接そこに男が関係していなくても、そうなのだ。
何か許せない看過できないものがあるその女と自分は、赤の他人ではないという直感。なんで女って「こう」なるのかなあ、男は「そう」でないのにという憂鬱。女について書いている時、私はこのことを自覚せざるをえない。


お笑い枠なら、「怒る女」も需要がある。青木さやかなど女に激しくツッコむ女が、一定の共感を得ている。しかし彼女もそれが芸でなければ、普通の男にとっては特殊枠のヘンな女、ヒステリーな女であろう。
だから男は、そういう女の喧嘩を一種の見せ物として、高見から見物する。女同士で闘わせておけばこっちに火の粉はかかってこないから、時々積極的に応援したりもする。テレビの中で芸で怒っている女なんて、みんな男の掌の上で踊っているようなものだ。


しかし、男、女に限らず人は時々なぜ、芸でもゲームでもなく、単なる気紛れや我がままを通すためでもなく、本気で罵倒したり怒ったりするのか? 適当に流しておけばいいものを。流しておけば波風も立たないものを。
それはたぶん、それよりずっとイヤなことを、知っているからだろう。


ちょっとした違和感に気づかないフリで妥協していると、態度がだんだん曖昧になる。どうでもいいものに何となく共感するのが身についてしまうと、思考は確実に鈍る。その習慣はゆっくりと自分を侵食し、見い出すべきものを見えなくさせ、自分の欲望を汚染していく。
その汚染、つまり「退廃」から身を守るためには、面倒でもいちいち怒るしかないのだ。いちいち怒ることで、つまんないことどうでもいいことを、きっぱり拒否するしかない。
そこで許していると、上に書いたように自分がやられる。体中に癌が転移していくみたいに、とことんじわじわ徹底的に、やられる。


だから人が時々何かに対して真剣に怒るのは、自分の精神衛生を守るためである。こんなものに騙されてていいのか、こんなんでほんとに満足しているのかと、人にも自分にも問うのである。
安易な共感の輪に取り込まれないで覚醒していたいと強く思えば、モテたい男でもそうせざるをえない。


‥‥そりゃまあ、一般的にはあまりモテないよ。文化系女子もちょっと引くかもしれん。でもしかたないだろ?