喧嘩もしないしセックスもしない

私のところはセックスレスの夫婦だ。二人とも40代後半で子どもはいない。
こないだセックスしたのは何年前だろう。一応相手がいるわけだからしたい気分になったらいいなと思うことはたまにある。
でもならない。ならなくて淋しいという気分にも、あまりならない。もともとそっち方面の快楽を深く追求していくタイプでなかったとは思うが。


セックスより喧嘩だった。夫とは数えきれないほど喧嘩をしてきた。なんでこんなに喧嘩するのかと思うくらいしてきた。こんな喧嘩ばかりするなら結婚するんじゃなかったとよく思った。
激しい口論では収まらず取っ組み合いになったことは度々ある。大抵は私がキレて向かっていくわけだが、そういう時夫は振りほどくか押さえつけようとする。
しかし怒りが爆発して私を張り倒したことが二回ほどあった。その時私は男の人の力の凄さを初めて知ったが、張られた顔よりイタかったのは自分がそこまで相手を怒らせる存在だとわかったことだった。


私は夫に罵倒されれば、し返してきた。そして我慢しきれなくなって手を挙げてきた。
頬をピシッと叩くのは日常茶飯事。強くは叩かないが無性に腹が立った時は強くなる。そのことを察知して夫はサッとよけるか私の腕をつかむ。
しかし叩こうと思ってないのに私の右手が動いただけで身構えた夫を見た時は、さすがに泣きたくなった。
自分は何をやっているのだろうかと。
私はDV妻ではないかと。
DV妻で酒飲みでヘビースモーカーで収入と情緒が不安定で減らず口を叩く、もう最悪ではないかと。


セックスレスの話だったのに、暴力の話になってしまった。


議論と喧嘩が増えていき会話とセックスが減っていき、10年前に半別居状態に入り、その後私にも夫にもいろんなことがあり何回か修羅場があった。
しかしお互い闘争にいい加減疲れてきたせいか、この数年は別れ話もぱったり出なくなった。私は突然美術をやめて文章を書き始め、夫はリストラに怯えながら仕事に追われ、気がついたら結婚してから20年が過ぎていた。


私と夫はもう滅多に派手な喧嘩をしない。
二人で時々飲みに出かける店では仲のいいカップルだと思われている。実際以前に比べれば比較的仲良くしている。仲良くしている時の気分は悪くない。
しかしセックスはしない。私は気の向いた時に一方的にベタベタしているのは好きだが、セックスまで持っていけない。強い恋愛感情がない状態でセックスを進んで行うのは、私にとっては困難だ。
それを義務感でしている夫婦はいるのだろう。でもしたくなくなったものはしたくないので仕方がない。


仕事が休みで一人で家にいて夜遅くに夫が疲れた顔して帰ってきた時、たまに駆け寄って抱きついたりしてみる。十数時間ぶり(時には二、三日ぶり)に会ったのだから、五回に一回くらいはそういうことをしてもいいと思う。
しかし夫は
「タバコが潰れる」
と言って私を押しのける。胸のポケットに入れたピースライトの箱が潰れると。
「タバコと私とどっちが大事?」
「タバコ」
私は彼の頬を引っ叩く。
‥‥いい歳して相当なバカだこの女は。ずっとバカの壁に頭をぶつけ続けている。


夫はセックスしようと言う。たまに見せるそのベタベタは、セックスしたいということではないかと。そういうんじゃないのだがあまり通じない。
夫がセックスしたいというのは、別に恋愛感情ではないと思う。結婚して20年も経てばそれを保っている方が奇跡だ。
ある時業を煮やして、性欲を満たしたいのだったら、外で満たしてくれていいと言ったことがあった。私はできないから。申し訳ないけど。しかし夫は風俗には行く気がないらしい。風俗に行けと言うやる気のない妻とセックスしたいというのが、わからない。


こんな中年女の体を抱いても男は面白くないと思う。ただ私が女で、今目の前に私しかいないので、セックスしたいと思うだけではないかと思う。
そういうことを言ってみたら、しばらく考えて
「そうかもしれん」
と言われた。ちょっと正直過ぎるのでは。
あと、側に寄った時に胸をつかんだりパンツ引っ張ったりするのはやめようよ。それを何回言っても直らないのは何故なのか。
この人はそういうふうにしか"表現"ができなくなったのか。
それは私のせいでもあるし、あるいは今はそういうのをコミュニケーションだと思っているのかもしれない。
ただ私にしてみると、いきなり明るい蛍光灯の下でパンツを脱ぐことはできない。いやそれ以前に恋愛感情がなければ私はできない。
しかし男の人は、そんな感情のやりとりとかセックスに至る手続きが面倒臭いのだと思う。いきなりパンツ脱がして欲求を満たせるのなら、そうしたい気持ちはあるのではないか。さすがに向うもそこまでのことは言わないが。


休日の朝、目が覚めたら夫が横にいて人にちょっかいを出していた。
「しないよ」
とこれまで何十回となく言ってきたことを呟いたが、目を瞑ったまま私の胸のあたりでモゾモゾやっていた。
急に、夫が冬眠に入る前の熊に見えてきた。
彼はもう冬眠したいと思っている。
ストレスの溜まる仕事からも、ストレスの溜まる私との生活からも撤退して。
だからこれはきっと冬眠前の儀式だ。
「そうでしょ」
と言って熊の耳たぶを引っ張ったら、もう寝ていた。