男子にはなれない ● 第三回 ● はるみさんの時代

専業のカリスマ

今をときめく「はるみさん」と言えば、栗原はるみである。
世界の優れた料理本を対象とする「グルマン世界料理本賞」をこの度日本人で初めて受賞し、一躍広く名前が知られることになった。全国のハルラーは喝采を叫んだことであろう。


ハルラーとは、先日女性セブンで知ったのだが、料理研究家栗原はるみの熱狂的ファンのことを指す。栗原はるみ料理本はもとより、彼女が夫と共同経営する『ゆとりの空間』というショップ(全国展開)で、栗原はるみプロデュースのキッチン用品やカジュアルウェアを買い、栗原はるみのライフスタイルやファッションを真似、彼女をカリスマと崇めるはるみ信者である。
今回の受賞で、そのカリスマ性に一層の磨きがかかった。


栗原はるみは、以前から様々な女性誌の料理ページで活躍していたので、私も知っていた。
『栗原さんちの朝20分のお弁当』という本なども、書店の料理本コーナーでよく見かけた。自分の料理本を「栗原さんちの〜」と題しても、別に恥じらわなくてもいいほどのポピュラリティを獲得しているということだ。『ごちそうさまが、ききたくて』というヒット本のタイトルも、主婦のココロ鷲掴みである。
が、おそらく普通の男性は今回ニュースになるまで、彼女の名前を聞いたことはなかっただろう。ましてや栗原はるみが全国の主婦の憧れの的で、ショップやレストランまで経営しているすごいお金持ちだということなど、知るわけがない。


寝転んでワイドショーを見ていた夫は、最初「へえ、料理の本の賞なんてあるんだな」などと言っていたが、途中で飛び起きた。
「おい!印税総額が10億だと!料理の本ってそんなに儲かるのか?」
「そりゃ人気があるもの。これまでいっぱい本出してベストセ‥‥」
「おい!店の年間売り上げが8000万だと!美人で料理が上手くて、それで大金稼げて‥‥いいなあ旦那は。左団扇じゃないか。もう一生働かんでいいよな?」
なんか喧嘩でも売っとんのかこの人はと思い見返すと、彼はテレビに向き直り、しばらくの間小さな声で「いいないいな」と呟いていた。


栗原はるみの夫、栗原怜児はテレビ業界の一時期は売れっ子キャスターで、もうとっくに引退している。もともと、妻の収入などハナから当てにしなくていい、ある程度の金持ちなのである。しかも、ここまでになるのに彼女が孤軍奮闘したのではなく、夫のサポートがあったという心温まるエピソードまである。
毎日のように夫が連れてくる業界人たちが妻の料理の腕を褒め讃えたので、テレビの料理番組の裏方の仕事を紹介したことが、そもそものきっかけ。お嬢さん育ちの専業主婦だった妻が慣れない仕事でメゲそうになるのを叱咤激励し、ここまでになったとか。
「家で僕を待っているだけの人ではいてほしくない」
専業主婦のツボを突いたセリフだ。


専業主婦が、自分から「働きたいわ」とか「自己実現したいの」とか言って、夫の反対を押しきってがむしゃらに仕事に邁進した(しかしあまり大した収入は得られず家庭崩壊寸前になった)のではなく、普通に主婦業をやっていたのに周囲に才能を認められ、夫に背中を押されて世に出、余人の及ばぬ成功を収めたのである。そこのところが、はるみさんから目が離せない主婦の琴線に触れる。
しかも36歳からという遅めのスタートである。テレビや雑誌で見る57歳のはるみさんは、とてもそんな歳には見えない若々しさ。「いいないいな」という全国の専業主婦の羨望の声が聞こえてきそうである。 


家庭料理のお惣菜レシピという日常を、日常離れした収入に結びつけ、女子の領域で見事大ブレイクした主婦の星(実際は専業ではなくれっきとした実業家だが)。プチはるみさんを目指す人も、続々現れそうだ。

はるみさん達の挑戦

かつて一世を風靡した「はるみさん」と言えば、パルコのポスターで有名になったイラストレーター、山口はるみであった。
私が山口はるみのイラストに遭遇したのは、地方都市の高校を出て東京で受験浪人生活を始めた1977年。明治通りに面した池袋パルコの大きな看板に、そのイラストはあった。エアブラシという技法で写実的かつクールに描かれた、ヒョウみたいに挑戦的な目をした女の大胆なポーズに、「はぁー‥‥これがトウキョウの”いい女”ってやつなのかぁ」と思った。当時、名古屋にまだパルコはなかったのである。


東京にいた5年間池袋に住んでいたので、私は毎日山口はるみのパルコのポスターの様々な「いい女」を目にしながら、予備校(その後大学)に通っていた。愛読していた雑誌『話の特集』に連載されていた、「映画の夢・夢の女」という山田宏一の連載エッセイのイラストも、山口はるみだった。
ウディ・アレンの映画を池袋の文芸坐で観て、ダイアン・キートンは美人じゃないがチャーミングだ、とかなんとか山田宏一が書いているのを読んで、山口はるみの美麗なカラーイラストを穴があくほど見つめていた。見ているだけでは足りなくて、模写までした。


「女の時代」を飾っていた「はるみの女」。それはあたかも「女よ一人で立て」とアジっているようだった。
山口はるみとよく組んでいたアート・ディレクターの石岡瑛子の有名なコピーは、「裸を見るな。裸になれ」。命令調だ。雑誌で見た山口はるみ石岡瑛子も、痩せぎすにロングソバージュでいかにも最先端の都会の大人の女。なんかとにかく、「いい女」は強気で自立しているということになっていた。 
そういう中で、DCブランドを売りまくることに成功したパルコである。結局、「女の時代」ってより「消費の時代」だったのかと後で思った。


もうひとりの「はるみさん」は、貝島はるみ。山口はるみより一世代下で、彼女ほど有名ではないが、80年代にan・anの読者だった者なら知らぬ者はいない、カリスマ・スタイリストである。
80年代のan・anは、「女の時代」の追い風に乗って大変勢いがあった。10代半ばのマセガキから30代後半の年増まで、みんなan・anを読んでいたのである。どうやったら万遍なく周囲の男にモテるかなんて、当時のan・anの発想にはなかった。今のan・anの堕落ぶりからすると、考えられないことである。
スタイリストという職業が注目されたのも、その頃。スタイリストとは、人の作ったものを掻き集めて適当にモデルに着せている、気楽な商売のように見える。しかし80年代に著しい権威を獲得した「編集」という手法からすると、スタイリストももちろん立派な編集者であった。
 

スタイリスト予備軍の誰もが憧れる位置をキープしていた貝島はるみのスタイリングは、トンがってはいなかったが斬新だった。そして確実に「いい女」向きだった。貝島はるみがスタイリストとしてクレジットされたan・anのファッションページを、私は穴があくほど何回も眺めていた。心なしかモデルもカメラマンも、他のページとは格が違うように見えた。
甲田実也子というこれまた一世を風靡したモデルも、よく貝島はるみと組んでいた。今では全然珍しくないレトロ風の着物を、あの当時現代的にスタイリングしたのも、貝島はるみが最初だったと思う。

料理の勝利

山口はるみの仕事においても、貝島はるみの仕事においても、表象されていた新しい女は、日常からやや遊離した女であった。間違っても、朝20分で子供と夫のお弁当をこさえ、「ごちそうさま」の言葉に微笑むようなタイプではない。同じ「女」を武器にするんでも、やり方が180度違っていた。
「翔(と)んでる女」がもて囃された時代。若い強気な女子というだけで周囲が持ち上げてくれた、たぶん最初で最後の時代だったかもしれない。男子にはなれないが、一人で立つ。そういうクソ意地と当時の追い風が、「はるみさん」達と大量のはるみさん予備軍を生んだのである。女を持ち上げておけば商売になるという計算、それは今も基本的に変わらないわけだが。
 

あの頃の「はるみさん」達はどうなったのか。
山口はるみGoogleで検索してみると、1300件あまりを数える。さすが一時代を築いた人だけのことはある。最近では、総理府の「男女共同参画推進連携会議」の企画・協力で行われた、共同参画に関する各種広報の「イラスト・写真・標語」の公募の審査員に名前を連ねている。一貫して「女の時代」を走っているらしい。
しかしあの挑戦的な目の「はるみの女」は、もうどこにも見かけない。その代わりと言っていいのかどうか、山口はるみデザインの手帳というものをweb上で見つけた。表紙には美しい花の絵が描かれていた。「女」は結局「花」だったということになると、あまりにも落としどころが陳腐だ。


貝島はるみの検索件数は、ずっと少なく40件未満であった。私の記憶では、かなり前に結婚してイギリスの田舎に移住し、悠々自適の毎日のはずである。山口はるみと比べるとややスタンスが異なるようだ。そうやって「はるみさん」達は勝ち組になりおおせた。「審査員」に「海外移住」、それが上がりだ。
 

「クソ意地」から「自然体」へと時代は変わる。"先端をいくクリエイション"みたいなのにずっとつきあっているのはしんどいし、いつも頭のてっぺんから足の先までキメているのも、気が抜けなくてしんどい。また、そういう女になかなか男は寄ってこない。
‥‥なんか疲れそう。ヘタすると婚期逃がしそう。だいたい、そんなに強気になれるモチベーションがどこにあるの。一般の女子が、そうした疑念と不安を抱くようになってから幾歳月。


そして、料理研究家栗原はるみの時代が来たのである。
料理はイラストやファッションより、ずっと実生活寄りである。それは人を美意識の審判や、あてのない消費に駆り立てたりはしない。美味しい家庭料理は、単純だが常に最強の位置にある。そして料理を中心とした日常生活=家庭こそ、女子の最後の領域、本分だということを、誰もはっきりと口にはしないがどこかで思っている。
そんな中で、中流以上の家庭の主婦が好きな料理に精を出していたら、いつのまにか大成功し、世界的な賞まで授与された。料理の上手い家庭的な女は、アート感覚やファッションセンスに優れた小生意気な女より「いい女」であるという、おそらく過去現在未来永劫不動の女子の鉄則が、ここにダメ押しされたと言っていい。


なによりも、守られた受動的な位置にいながら、背中を押されていつのまにか能動性を獲得していたというイメージが、女子ならではのもの。追い風の向きは、20年後の「はるみさん」の顔を完全に描き換えたのである。
「一人で立つ」方の「はるみさん」をお手本に、無理して崖っぷちを歩いてきた女子は、立つ瀬がない。


(初出:2005年3月・晶文社ワンダーランド)