純愛論2. 純愛ブームの変遷 その1

純愛ドラマ前史

日本の純愛ものを遡ると、『野菊の墓』あたりが原型ということになろうか。ヒロインが死ぬという点で、セカチューとも似ている。セックスなしの悲恋ものは、純愛物語の王道であるとも言える。
しかし、純愛(物語)が「社会現象」「ブーム」としてとらえられるようになったのは、「東京ラブストーリー」に代表される90年代以降のテレビドラマからである。従って、ここではテレビドラマを中心に見ていくことにする。


まず「純愛もの」以前のドラマ。
80年代後半のドラマと言うと、「W浅野」(浅野温子浅野ゆう子)が活躍したフジテレビ系の「トレンディ・ドラマ」というものが主流であった。トレンディという言葉も死語になって久しいが、オシャレなマンションに住み、職業はスタイリスト‥‥みたいな主人公が、オシャレな恋愛ゲームを繰り広げるラブ・コメディをそう呼んでいた。
代表的なものは、『抱きしめたい!』(浅野温子 浅野ゆう子 石田純一 本木雅弘 岩城滉一)、『ハートに火をつけて』(浅野ゆう子 柳葉敏郎 かとうかずこ 鈴木保奈美 風間トオル)あたり。
その他、『君の瞳に恋してる!』『愛し合ってるかい!』『世界で一番君が好き!』『恋のパラダイス』など、88年から90年までの間に放映された人気若手俳優による恋愛ドラマは、ミソも糞もまとめてトレンディ・ドラマと総称されていたように思う。しかし「!マーク」が多い。少しタイトルを列挙しただけでも、いかにもバブル後期の軽佻浮薄な雰囲気の漂っているのが、ドラマ見てない人にも推察できる。


それらドラマの特徴をまとめてみると、
1、主な登場人物は若い美男美女ばかりで、主にファッション、マスコミ、テレビ関係のカタカナ職業か、医師、ショップオーナーなど小金持ち。
2、主な舞台は代官山などの「トレンディ・スポット」で、主人公は常に先端ファッションに身を包み、誰が家賃を払っているんだと思われるような豪華マンションに住み、しょっちゅう流行りのカフェテリアやレストランやバーに出没するといった、派手でうわついた生活をしている。
3、男女の相関関係が複雑で、片思い、三角関係、恋人未満、元カレ、元カノなどが入り乱れ、くっついた離れたを繰り返し、しかしドロ沼や修羅場劇はなくコメディ・タッチ。
4、俳優は「旬の若手」であれば演技力は問われず、人気が出ればトレンディ俳優として使い回しされ、どのドラマも同じような顔ぶれのキャスティングが多い。


恋愛ドラマというより、都市の先端ライフ・スタイルを見せびらかすカタログ雑誌的内容である。こんなものが人気を博した80年代末は、ろくな時代ではなかったということが改めてよくわかる。
とはいえ、私もツッコミ入れながら面白がっていろいろ見ていた。
一番印象に残っているのは、トレンディ・ドラマの本格的な第一作と言われた『抱きしめたい!』。このドラマは浅野ゆう子浅野温子が、妙にハイテンションなセリフまわしで「女の本音」をぶつけ合うのと、男がイヤミなほどカッコつけててだらしないのが特徴であった。
そしてこれで石田純一は、トレンディドラマの常連になった。こういうスカしたタイプがもてはやされていたのだから、やはりろくな時代ではない。

バブル恋愛ゲームの無理

トレンディドラマの背景は言うまでもなく、80年代半ばからのバブル経済である。
バブルの頃は、みんなが一時の金持ち感を味わった時代、日本人の消費活動がピークに達した時代と言われる。
普通のOLが年に何回も海外旅行に行ったり、高価なインポートものや絵画を買い漁ったり、毎晩のようにグルメ三昧していた時代と言われる。
そこまでできないOLでも、ちょっと上司にねだればプラダのバッグや高級レストランの食事に、ほいほいありつけた時代と言われる。
「‥‥時代と言われる」ばかりで書いているのは、私は普通のOLではなくしがない予備校非常勤だったので、なんらバブルの恩恵を受けたような気がしないためだ。まるでよそ事であった。
が、いろいろ思い出してみると当時の予備校業界も確かに景気が良かったし、非常勤講師のこちらよりいい服着ている予備校生も少なくなかった。好景気のお陰か小金持ってる親が多かったので、滑り止めの私立など何校もばんばん受けさせていた。


そういうことはもちろん、男と女のことにも影響を及ぼすのであって、この大学一本、いやこの人一筋浮気はしません、みたいなのはダサいんじゃないかという雰囲気があった。
「純粋でひたすらな愛」をなりふり構わず貫くような姿勢は、ドロ臭くカッコ悪い。
だいたいそんなことしてたら、ファッションやレジャーに気を回す暇がなくなる。
本命は一人だがキープはいろいろ押さえておいて、用途に応じて使い分ける(メッシーとかアッシーとかトホホな言葉もあった)のが、今風の女ということになっていた。
小金と車のない男は社会人、大学生に限らずモテないことになっていた。
デートはイベント性が重視され、クリスマス・イブの高級ホテルは若いカップルで満員。
男にちやほやされるのに飽きた「オヤジギャル」は、オヤジを真似て競馬場や赤提灯に繰り出し、マンションなんかも買ってしまうのであった。


‥‥と書いていて、当時の自分とはかけ離れているのでやはりリアリティがない。
リアリティない、関係ないと思っている人は、その当時もたくさんいたはずだが、世間のムードというものは人を浸食する。とりあえず「みてくれ」にこだわり、消費活動に邁進し、恋愛を娯楽にできる余裕がなければ人生何も楽しめないような気分を、社会全体が作っていたのである。


『抱きしめたい!世紀末スペシャル』というのが2000年に放映された。これの予告を新聞で見た時は、「何を今頃」と思わず呟いた(ちょっと見たけど)。
惹句は「あれから9年、浅野温子浅野ゆう子の、“W浅野”の掛け合い漫才ぶりは相変わらずパワフルで爆笑必至」(9年というのは、88年当時のドラマで3年後まで描いているから)。予想に違わず、ひどかった。
いくら当時ヒットしたからとは言え、恥ずかしい過去を呼び出すものではない。浮かれてバブリーだった時と変わらないテンションの、40歳のおちゃめな「W浅野」など、誰も見たくなかろう。女優にも酷だ。昔、「W浅野」を真似てブイブイ言わせていた元OLのおばさんが、暇つぶしに当時を懐かしんで見る以外、何の価値もなかった。
そこには、トレンディ・ドラマというものがもともと孕んでいた「無理」が、最もみっともないかたちで露出していた。

トレンディからシリアスへ

そういう「無理」な気分は、90年の『恋のパラダイス』(浅野ゆう子 石田純一 陣内孝則 鈴木保奈美 菊池桃子 本木雅弘)で、既に表面化していた。イージーなタイトルからして、「もうどうでもいい」感が漂っている。
その「恋パラ」と同年の90年、バブル崩壊直前に放映された純愛ドラマの走りが、TBSの『想い出にかわるまで』(今井美樹石田純一松下由樹大沢樹生財津和夫)である。


OL今井美樹の婚約者が一流商社マンの「3高男」石田純一で、最初のシチュエイションこそ「トレンディ」風であるが、内容はどんどん重くなっていく。
今井美樹は婚約者と水中カメラマン(財津和夫)の間で揺れ動き、最終的に婚約破棄をする。その間に石田純一は今井の妹の松下由樹の求愛に負け、姉妹関係が決裂し、今井は家を出て貧乏なアパート暮らしを始めるというシリアスな展開。
後半は、ヒロインが愛について激しく悩み苦しむ状態を中心に描かれており、最後もいわゆるお気楽なハッピーエンドではない。石田純一は「責任」をとって松下由樹と結婚し、今井美樹は自立するが誰とも結ばれない。


このヒロインに今井美樹はそうとう入れ込んで演じたらしく、放映の間に見るからに痩せていった。収録後しばらくドラマの世界をひきずってしまい、現実世界に復帰するのに時間がかかったとか、テレビで喋っていたのを覚えている。
それはともかく、表層的でおしゃれなだけのカラフルなラブコメに誰もが飽きて視聴率も落ちてきた頃、このドラマは予想以上に新鮮に受け止められたようだ。カルい恋愛はなんかウソ臭い、トレンディな場所にも男にも飽きた。もっと地に足のついたマジメな恋愛ものが見たい、ということだろう。


テレビドラマでは、これ以降90年代に純愛ものが次々出てくるのだが、実はテレビ以外の決定的な「純愛物語」がそれ以前にあった。
87年バブルの絶頂期に出てベストセラーとなった、村上春樹の『ノルウェイの森』である。
「激しくて、もの静かで、哀しい、100%の恋愛小説」とは作家本人の言葉。100%混じり気なしなら、主人公がいくらいろんな女の子とセックスしていても、それは純粋でひたすらな「純愛小説」と呼んでいいのだろう。そもそも恋愛形態何でもありとなった80年代後半に、セックスなしの純愛ものを書いてもリアリティがない。
90年代に入って文庫本が出た時のフレーズは、「あなたの一番大切な人へ贈ってください」である。非常に「純愛」っぽい。


ポップスでは松任谷由実が、88年のアルバム『Delight Slight Light KISS』で「純愛」を、翌89年の『LOVE WARS』で「恋の任侠」をテーマにしている。純愛ときたら、任侠なのである。パーソナリティを務めるラジオ番組で彼女は当時、「こうなったらこの私がやるしかない」といったことを、鼻息荒く語っていた。
さて一方、フジテレビも負けてるわけにはいかず、90年代に入ってから『東京ラブストーリー』『すてきな片思い』『101回めのプロポーズ』を送り出しヒットさせた。それは、「フジの純愛三部作」と言われた。(続く)