男子にはなれない ● 第九回 ● 群れる女

「喫茶店族」の横暴

私は三日に一度くらいの割合で、喫茶店に行く。仕事が休みの日は、必ず行くと言ってもいい。自分では買わないが読みたい雑誌や新聞に目を通すのが主な目的なので、その種類が豊富なところが、私にとっていい喫茶店である。
そしてもちろんコーヒーの美味しいところ。更に静かで落ち着いた雰囲気のところ。この三つの条件を満たすのは実は、私の住んでいる名古屋近郊の田舎町では稀である。一番目と二番目はなんとかクリアしていても、三番目が難しい。
もともと静かで落ち着いた雰囲気の店にも関わらず、私の町では往々にして、喧しく落ち着かない店になってしまうのだ。
「喫茶店族」がいるからである。


「喫茶店族」とは、名古屋近郊の田舎町の喫茶店を、我が物顔に荒し回っている族のことである。
たいていママチャリで乗りつけ、3、4人から5、6人の集団で、主に朝の10時頃から昼近くまで居座り、回りの人のことは一切考えず、絶え間ないオシャベリに没頭している。急に声をひそめたかと思えば、突然けたたましい笑い。ヒソヒソとペチャクチャの繰り返し。
静かにコーヒーを飲みながら雑誌を読みたい人には大変な迷惑だが、族の辞書に「迷惑」という言葉はない。 
午前中を外せば大丈夫かというと、午後には午後でまた別の族が居座っていたりする。一度に2グループの族に囲まれた日など、悲惨である。一緒にいる人と普通に会話ができない。


そういうわけで、喫茶店の前にママチャリがズラリと並んでいる時は、そこを諦めて他の喫茶店に行かねばならない。行きつけの店がどこもダメで、族のいなさそうな店を探して遠くまで行くこともしばしばだ。
やっと静かな喫茶店を見つけてやれやれとコーヒーを注文したとたん、ドヤドヤと族が入って来て万事休すとなることもある。夫と一緒だと、なぜか知らないがそういうパターンが多い。夫が族を呼び寄せる波長を出しているのではないか?と思うくらいの確率だ。
最初のうちは我慢していた彼も、あまりのうるささに思いきりじっと睨んで気づかせようと試みたことが、何度かある。が、無駄であった。私も一緒になって睨んでみたが、まるで効果がなかった。族にとって、他人は目に入っていない。
かと言って、そのテーブルまで行き「もう少し静かにして頂けませんか?」とまで言う勇気はないのである。たぶん他のお客もそうだと思われる。


ある時夫は憮然としながら、わりと大きめの声で私に言った。
「俺がもし喫茶店をやるなら、入り口に「オバさんのグループお断り」の札を出すな」
族の人々に聞こえるように喋ったつもりのようだが、全然聞こえてない模様。いや、聞こえてなくて良かったかもしれない。
「そんな喫茶店、この辺じゃすぐ潰れるんじゃない?あの人たちでもってるようなもんだから」
「そんなことはない。迷惑しているオジさんが集まるようになる」
‥‥じゃあ、まあいつかそういう店でもやってよ。全然儲からないと思うけど。


午前中から連れ立って(あるいは示し合わせて)喫茶店でオシャベリできるのは、専業主婦であろう。専業主婦でも地域のボランティアに参加したり、育児が忙しかったり、朝からパートに出ている人はいるので、それ以外の比較的暇な人。でもって人の噂話で一日の活力を得られる人が、仲良しグループを作って群れている。集団になったオバさんは怖いもの知らずだ。
同じく族の被害にあっている近所のオジさんから聞いた話では、族間の仲は悪く、縄張りとしている喫茶店も異なり、そこでお互いの悪口を言いまくっているそうだ。
もちろんオジさんの奥さんは、族ではない。この辺では喫茶店にも決して入らないという。地元に何十年もいてどこの族グループにも入ってないオバさんは、一人で近所の喫茶店なんか行きたくないのである。
そして、私のように後から引っ越して来て、地域の付き合いにほとんど参加しない者は関係ないので、族には最初から無視されている。


族の話を聞いていると(聞きたいわけではないが自然と耳に入ってくる)、人の噂話しか話題がないわけでもない。
今夜のおかずのこと、嫁の口応えが気に入らないこと(若めのオバさんの場合は姑の小言がウザいこと)、隣の犬が朝晩吠えてうるさいこと、スーパーのレジで釣り銭誤摩化されたこと、バーゲンで掘り出しものを横取りされたこと、などなど実に事細かに喋っている。
おかしいのは会話がまるで噛み合っていないのに、区切りのいいところで「そーだわねえ」「ほんとだわ」と合いの手を入れ合っていることだ。で、その場にいない他人をけなした代わりに、お互いを持ち上げるのを忘れない。
「そんでも、あんたんとこはまだいいわ。ウチなんかもうねえ」
「ほんなことないて。あんたんとこの方がまだマシだわ」
「なにいっとんの、あんたんとこはアレだがね。ウチはコレだもんでまああかんわ」
「ちーがうちがう、コレだもんでまだいいんだわ。アレだってみなさい、もうえらいこったわ」
族の会話は永遠に終わらない。

小学生女子の憂鬱

こういう現象は、大昔からあった。昔から、子どもの頃から、女はグループを作るのが好きだった。
遡れば小学生の頃から女子は小集団を作って、しょっちゅう集まってはヒソヒソペチャクチャクスクスやっていた。男子はあまりグループで固まらないし、ヒソヒソもやらないが、女子はやる。
そして「集団になると女は怖いよな」とか男子に言われて、ますます集団の結束を固める。もちろん水面下のグループ間の対立、抗争もある。


私の小学校時代もそうだった。クラスの中で四つか五つくらいにグループが分かれて、それぞれほぼ別行動。その中でもっとも勢力の強いのが、勉強も運動も上位で、男子にわりとモテる女の子たち五人くらいのグループであった。
リーダー格の女の子は、五年の初めに転校してきた美少女である。たまたま家が近所だったので、私と彼女とは間もなく互いの家を行き来するくらいの仲良しになった。そういう仲になった都合で、私はその勉強も運動もできるモテグループになんとなく入っていた。
私の成績は、国語と音楽と図工を除いて、勉強も運動も「中」である。男子にモテるわけでもない。だから私はそのグループでちょっと浮いていたわけだが、リーダーの一番のお友達(というかお気に入り)なので、他のメンバーは渋々黙認していた。もちろん当時の私にそんなことはあまりわからず、楽しく一緒に遊んでいるつもりでいた。


クラス替えもなくそのまま六年になったある時、どういうわけだかテーブルマナーの授業があった。女子も男子も和室に入れられて、お行儀良く紅茶とケーキを食べるのである。
今思うとつまらない授業をやったものだと思うが、みんな前もって教えられた通り、正座して静かに紅茶を啜り、黙々とケーキを食べた。子どもにとってケーキは嬉しいが、変に緊張させられる場面である。
そんな中で私は、思わずフォークをポトリと膝の上に落としてしまった。こういう他人のチョンボを、モテグループの女子が見逃すわけはない。
その後の反省会の時、「なにか気づいたことはありましたか?」との先生に問いかけに、グループのナンバー2の女の子が「ハイ!」と手を挙げた。
「大野さんがフォークを落としたのが、いけないと思いました」
そんなこと、わざわざみんなの前で言わなくてもいいだろう。誰だってフォークくらい落とすよ、手が滑れば。
そう思ってその子(斜め後ろ)を見やると、にこっと小首を傾げながら「ゴメンネッ」と言って着席したのである。一瞬殺意を覚えた。


それからそのグループの女の子たちは、私をシカトし始めた。いつもは一緒に遊ぶ昼休みも誘わない。私が話しかけても聞こえないふり。そして時々固まってこっちを見ながら、ヒソヒソやっている。
仲良しだった彼女まで掌を返したような態度なのに、私はひどく傷ついてしまった。「どういうわけ?」と尋ねることもできなかった。何か自分に落ち度があったかなあといろいろ考えてみるのだが、フォーク落とした以外には思い浮かばない。
噂で聞いたところによると、「大野さんてちょっと国語や音楽ができるだけなのに、なんかナマイキで気にくわない」みたいことを、グループ内で言われていたらしい。フォーク落っことしは、格好のツッコミネタだったのである。
そこまで言われたら「フン!」となるのが普通だが、私はクヨクヨと思い悩んでしばらく学校に行くのがつらい日が続いた。


その間、グループのあいだで小さな合併だの独立だのあって、私は結局マンガ描くのが好きな子たちの、まあ少しマイナーなグループに入った。クラスで孤立しているのは堪え難い。
モテグループはますます幅を効かせていて、他の女の子たちは目をつけられないように大人しく振る舞っているという状態であった。
そこにまた転校生がやって来た。
その子は、やや知能の遅れがあるが、特殊学級に行かずあえて普通学級に入ってきたという女の子だった。先生は「みんなで助けてあげるように」と彼女を紹介した。ひどく引っ込み思案で勉強も運動もまったくついていけない彼女に、最初はみんな優しく接していた。モテグループはお手本を示そうとしてか、特に何かと親切にしていた。
しかし一方で、いじめが始まっていたのである。


あるグループが講堂の掃除当番の時、その転校生一人にモップがけをさせているということを、誰かがモテグループにチクったらしい。すぐさま、その他の女子全員が、モテグループにかり出されて講堂に集まった。そして「裁判」が始まった。
虐めたとされるグループは、クラスで一番地味で大人しい女子のグループだった。彼女たちをモテグループが取り囲み、すごい剣幕で口々に詰問した。その他大勢はただ固唾を呑んで見守るばかり。
地味グループの子たちは、問いつめられて何も言い返せず泣きそうだった。涙目で睨みつける子もいた。


結局、彼女たちは講堂のモップがけを、みんなの前でやり直しさせられた。モテグループがステージの上で監視し、その他大勢はやっぱりその後ろにゾロゾロと突っ立っていた。
ステージの上の十数人は「勝ち組」、下でモップがけしている5、6人は「負け組」という、明確な構図。
ステージの上に私もいた。集団の中に紛れて下から自分の姿が見えないといいと思った。別に悪いことをしているのではないが、居心地が悪い。かといって、一人だけ帰るのは許されないような。
誰か「もうやめようよ」と言ってくれないかな。正しい側に立っているはずなのに、このいやあな気持ちはなに。

小さな集団の中で

モテグループがクラスの女子の上に君臨してエバった態度をとってきて、一番鬱屈した思いをしていた地味グループが、そのはけ口を抵抗できない弱い転校生のいじめに求めたのである。それを制裁したのが、「正義」を代表するモテグループ。その他大勢は黙ってそれに従うだけ。
まるで世界の縮図のようだと言っては言い過ぎであるが、ある意味、典型的なイジメの構造がそこにあったかもしれない。まだ「いじめ」という言葉はない時代で、中身もずいぶん他愛無いことのように思えるが、小学生にとってそういうことこそ大問題であった。

とりわけ、どこかの集団に入らないと生きていけない(と信じている)女子にとっては、クラスの友達関係や自分のポジションが、人生の明暗を決するとも思えるほど重い。そこがうまくいかなくて「負け組」になったり孤立したりすると、朝起きるのさえ苦痛になる。それが嵩じたら、死にたくなるくらいにツライ。
小学生生活は長いのだ。大人から見たら狭い世界でも、子どもにとってはそこがすべてである。
私は女子の世界の容赦のない残酷さに、いつもどこかで怯えていた。能天気に見える男子が羨ましかった。


茶店を集団で我が物顔に占拠するオバさんたちも、孤立が堪え難いのだろうか。
どこかの集団に入らないと、生きていけないのだろうか。
そこでの対人関係や自分のポジションが、人生の明暗を決するほど重要なのだろうか。
名古屋近郊の、何の特徴も魅力もない退屈な田舎町である。そこで産まれたか、若い時に就職で来たか(昔は繊維産業が栄えていて全国から女工さんが集まった)、嫁いできたか知らないが、もう何十年もそこで暮らしおそらくそこで死ぬ。
家庭以外に、隣近所や族の付き合いくらいしか人間関係がないとしたら、かなり狭い世界の中で生涯をまっとうするのである。狭い地縁の世界で関係は濃密になる分、排除されると行き場がない。
その環境に閉じこもるしかないことが、オバさんから社会性を奪っていく。そして、小さなグループ間で牽制し合い、他人の見えない行動に走らせている。
そういうオバさんに対し、今さら改まって注意する人もいない。


小学校時代の話には、オマケがある。
モテリーダーの女の子が卒業と同時に転校することになった。疎遠になってしまったが、前は仲良しだったので少しばかり寂しい思いをしていると、彼女がやってきて「お別れ会があるから大野さんも来て」と言われた。そしてきまり悪そうに「今まで無視しててごめんね」と付け加えた。
その一言でこれまでのわだかまりもすっかり溶けてしまい、私は喜び勇んでお別れ会に行った。迎えてくれたグループの女子は、「今までごめんね」と口々に言う。あの時の憎たらしい「ゴメンネッ」と何という違い。
「ううん、ぜんぜん気にしてなかったから」。嘘だ。でもそれ以外に何て言ったらよかっただろう。前のことは水に流して下さいと言われているのである。ここでウジウジしていたら、大人げないというものだ。
もっとも今さら仲直りしたところで、モテグループの女子は全員、私立の有名中学に進学が決まっていたので、地元の公立中学に通う私とこの先当分会うことはない。おそらくだから、最後くらいは後味悪くしたくないと、彼女たちも思ったのだろう。
私たちはすっかり打ち解けて、ずっと親友同士だったかのようにはしゃいだ。こんなに楽しいのは久しぶりで、私はお別れ会に招かれたことを感謝すらした。


小学生は若いから、やり直しがきく。そんなに深く拗れてなければ、「ごめんね」の一言ですべてが済んでしまったりする。そして、楽しい思い出を作って「次」に行ける。もしわだかまりがあっても、「次」のステージでリセットして一から始めることもできる。
オバさんたちに「次」はあるのだろうか。
まだ「次」があるよと誰かがリアルに示すことができたら、族から抜けて違う世界や人間関係を求めるだろうか。
しかし今さら何をどうリセットしたらいいのだろうか。


私も年齢的にはオバさんの一員だ。大人になる過程で、息苦しい女子のグループからは早めに抜け、風通しのいい女子のグループもあることを知った。女だけになると関係が固着化しないように、距離をおく癖もついた。
今ではちょっと腹立たしいそこらのオバさん集団さえ、こうして偉そうに分析の対象にしている。それは私がたまたま少し恵まれた環境にいたから、できることかもしれない。
男子にはなれないから、群れることで子どもの頃から自分を守ってきた女子。
「集団になると女は怖い」と言われてややムッとしても、群れに埋没することにどこか安心感を覚えてきた女子。
そういう集団性を手放せない族のオバさんたちに一人で対峙して、面と向かって注意することが私はできない。
私も、「もうやめようよ」と口火を切れずに皆の後ろに隠れていた小学生の時の、集団の中の女子をまだ引きずっている。


(初出:2005年9月・晶文社ワンダーランド)