『ラブちぇん』の笑いと哀しさ

夫婦交換の妙

木曜の深夜に『ラブちぇん』(LOVE CHANGE)という番組をやっている。
二組の夫婦の妻の方が、もう一方の家に二泊三日してそこの夫と暮らすのをドキュメントする番組。夫、妻ともに、他人との疑似夫婦関係を体験することで、日頃の自分の態度や家庭を見直すというような趣旨らしい。


年齢は二十代から三十代で、妻はどっちかという専業の人が多い。でなければ自営業。訪問する妻に外での仕事があっては、なかなか参加できない番組である。
夫の方は、昼間はだいたい仕事に出かけていることが多く、訪問妻が二回くらいは手料理を作ることになっている。また訪問妻は、そこの家の「ルール」に従うことになっている。
そしてやはり、料理の味付けとか「ルール」に関して、両者の間に微妙な、時には激烈なギャップが生じ、たまに険悪な雰囲気に発展したりする。逆に、訪問先の夫ができた人で、終始大変和やかな雰囲気のうちに終了する場合もある。


まあ初対面の女性が相手だから、ちょっとカッコつけてる場合もあるだろうが、VTRはすべて本物妻が後から見ることになっているのだ(というか放映するからどっちにしても見るが)。だからあまりカッコつけてると、「なによ、ちょっと若い子が来たからってデレデレして!」と後で夫婦喧嘩になりかねない。
三十も半ば過ぎの夫の場合はあまり表立った問題が起こらないが、若い人だった時に「このダンナ、どうよ?」というのが時々ある。それも、デレデレではなくて。
一番驚いたのは、訪問妻が夕食の支度中に、借りて来たアダルトビデオを鑑賞し(狭いアパートだから音声がキッチンに筒抜け)、料理の味が薄いと文句を言い、少し箸をつけただけで外に食べに行こうと言った若い男である。どうやら普段からそういう態度なのである。
夫とペンション経営していて料理の腕に自信のある訪問妻は、ブチ切れそうになっていた。


こないだやっていたのは、一方が自営業の夫と元キャバ嬢の妻(2歳くらいの子どもあり)、もう一方が共稼ぎの子無し夫婦。途中から見たので仕事の内容はよくわからない。どちらも妻は二十代半ばといったところ。夫は自営業がやや年上で共稼ぎの方は若い。
頑固な共稼ぎ夫と、気の強い元キャバ妻の「夫婦生活」が面白かった。


ケンカの元は、やはり料理である。
元キャバ妻が作った料理を味見もせず、共稼ぎ夫は黙って冷蔵庫からマヨネーズとケチャップを出して来る。呆れて見守る彼女の前で、ニョロニョロかけちゃう共稼ぎ夫。
「信じらんない!一口食べてからでしょ普通!失礼だよ!!」
と、目をつり上げて怒り狂う元キャバ妻。しかしそれが習慣の夫は頑として譲らない。
彼はかなり几帳面な人らしく、元キャバ妻が脱いだブーツをいちいちキチンと揃えて置き直し、使ったバスタオルをちょっと下に置いただけで「カーペットが湿る」と小言を言い、あぐらをかいて化粧水をつけ出した彼女を非難する。彼女は、別にたいしたことじゃないでしょ?という態度。イライラしてますます小言を言う共稼ぎ夫。あげくの果てに、
「何で働いてないの?子ども保育園に預ければいいじゃない。女の人は外に出て磨かれると思うんだよね」
と説教し出した。さて、勝ち気な元キャバ妻はどう反論したでしょう?


彼女が言ったことは、
「私が働きに出るとすればパートしかない。パートでは月せいぜい八万円。保育園代は月四万円。収入の半分捨てて子どもと離れてるなら、家にいて毎日子どもの成長見ていた方がいい」
というものである。
私は思わず「そうかもねぇ」と呟いた。

交わらない階層

やり甲斐のある仕事というのは、内容だけを指すのではない。労働に見合った報酬が得られて、初めてやり甲斐が生まれる。
よほどその仕事に使命感を感じられれば薄給でも頑張れるかもしれないが、パートはそういう種類の仕事ではないのだ。使命感は「私がやらねばならない」という強い思いから生まれるもので、パートは「私でなくてもできる」もの。
能力やキャリアが重要視されたり専門的領域であったりすれば、子どもを保育園に預けてでも働く意味を見つけられる。そういう仕事を続けたい子持ちの女性にとって、保育園の存在は大きい。でも、そうでない女性の仕事の売値は低いから、仕事に向かうモチベーションはなかなか持てない。
毎日子どもを保育園に送って、スーパーのレジ打ちして働いて、保育園に迎えに行って、帰って家事をやり食事を作り、それで四万円。
たとえ四万円でも稼がねば家計が火の車になるなら、たぶんどんなパートにでも出ることになるが、そこまでせっぱつまってなければ、働きたくなんかない。私がその立場だったら、やはりそう思うだろうなと思った。


それで、共稼ぎ夫はううむ‥‥という感じで、何も言えなくなってしまったのである。
彼の奥さんはどういう仕事をしているのかわからなかったが、たぶん元キャバ妻のような女の存在を、彼はあまり考えたことがなかったのだろう。
「女の人は外に出て磨かれる」と贅沢なことが言えるのは、それなりにやり甲斐のある仕事の場合であって、薄給のパートで酷使されたら「外に出てやつれる」だ。


しかしまた、別の見方もある。
キャバクラ嬢という仕事は一生できない。するとしたら売れっ子キャバ嬢から一流ホステスにでも成り上がって、自分の店を持つくらい。ほとんどの人は、一生できない仕事だが短期間でてっとり早くは稼げるんで、働いているのだ。「今はキャバやってますけど、ゆくゆくは人材派遣会社を立ち上げるつもりです」なんて人は、いるかもしれないけど少ないだろう。そこそこ稼いだら結婚して専業主婦に収まりたいと思っている人が、たぶん多数派。
元キャバ妻も、その多数派の人だと思う。かなり若い段階で、将来は専業になって子育てしたいと思っていた人ではないかと思う。
そういう人は、「女は外に出て磨かれる」とか「一生できる仕事に就きたい」と言っている人とは交わらず、自分と似た人と交わるものである。彼女の家には昼間、同じ元キャバ嬢で子持ちの女性たちが集まって、子育ての情報交換などしている様子が放映されていた。


人生の早い段階で、それぞれの経済的社会的文化的環境によって、生き方や考え方が決まる。それは途中であまり変えられることなく、ずっと同じような環境の人々と交わって、同じような経済的社会的文化的環境で一生を過ごす。そういうあり様を指して、階層化社会と言うらしい。
『ラブちぇん』では「ちょっと背景が違うのかな」というチェンジもないではないが、だいたい似ている。夫が医師や弁護士の人は出てこないし、セレブ妻もキャリア妻も出てこない。夫か妻が元ヤンキーというのはちょくちょくあるが。


階層化社会は、階層間が交わったりチェンジしたりしないから階層化社会なのだが、『ラブちぇん』もそうなのだ。
仮に、あまりにもお金持ちの家を訪問して、「きみは何もしなくていいよ。今日はケータリングサービスを頼んだから」みたいな生活を垣間見てしまったりしたらショックだし。
お金持ち妻は、2DKのアパートの狭い部屋一杯に敷かれた布団を見て、「ここで寝るの?無理」ということになる。
だから、階層はほぼ同じだが少し価値観の違う人と出くわして、驚いたり怒ったり反省したりして、「これからは一口食べて断ってからマヨネーズかけよう」とか「もう少しダンナを気遣ってあげよう」とか思うのである。
なんだかいい話なのか、もの哀しい話なのかわからなくなってくる番組だ。