おじさん達の黄昏

斜陽の街

私の住んでいるのは、名古屋から北にJR快速で10分ほどのところにある一宮市である。ここに移ってきてもう14、5年。
一宮と隣の尾西(昔は起(おこし)と言った)は戦後、繊維産業で栄えた街で、ピークの昭和30年代には全国から女工さんが集まった。毎年春になると駅のホームは、中学を出て集団就職してきた女の子の群れで溢れたという。
今の一宮女子短大も稲沢女子短大(一宮の隣)も元は、その頃繊維会社が女工さん達のために作った、工場の敷地内にある学校だったらしい。


女子が集まるということは、男子も集まるということで、当時一宮はとても賑やかな街だったという。映画館がいくつもありダンスホールがあり、数えきれないほどの喫茶店と食堂と飲み屋があった。
当時の一宮の繁栄ぶりを指して言った言葉が、「ガチャマン景気」。織機をガチャと一回回しただけで万札が入ってくるくらい儲かったからである。ガチャマン景気で成り上がった金持ちもたくさん住んでいた。そのせいか「一宮ガラスの起トンビ」などという悪口も残っている。
大手の会社が工場を東南アジアに移すようになって、労働力の流入は途絶え、一宮のバブル時代は終わった。映画館は閉館になり(今では一つもない)、歓楽街は縮小し、中小の町工場がたくさん潰れた。
引っ越してきた91年頃は既に、一宮の街は往年よりずっと寂れてかなり経っていた。


そんな中で、かつて栄えたことを今に伝えていたのが、喫茶店の多さである。
100メートル歩くと必ず一軒は喫茶店があるくらい多い。喫茶店の数では全国一だという話だ。それも昔、繊維で儲けた人が作ったのではないかと思われるような、古臭い感じの店がちょくちょくある。
そしてそういう喫茶店で働いている女の人は、どことなくではあるがお水っぽい感じ。化粧が濃くて制服も今どきかなりのミニスカだったりして。
どうしてかといろいろ考えてみたが(ここから推測)、喫茶店を作った人はかつてキャバレーなども経営していたので、夜の商売が儲からなくなってからキャバレーの女の子を喫茶店に移動した。それ以来伝統的に、一宮の古参喫茶店のウェイトレスはややお水系になった‥‥と思われるがどうなのだろう。知っている人がいたら教えてほしい。


昔、時々行ってた近所の鮨屋(というか半分飲み屋)で、昼間からビール飲んで酔っぱらっているおじさんがいた。
すぐに地元の人と知り合いになる夫の話では、その人は小さな町工場主で、傾いた経営を立て直そうと何千万か借金して最新の大型機械を導入したが、受注がとんとないので機械を稼働させることができず、家族はパートに出、本人は昼間からそんなところでヤケ酒飲んでクダを巻いているのである。


その店はお寿司を食べに来るのではなく、飲みに来てはクダを巻くうらぶれたおじさん達の溜まり場になってしまい、私はだいぶん前から行かなくなったが、当時そこで前歯の2本ない小柄なおじさんが働いていた。
その人も、店が暇な時はカウンターでよく飲んでいた。そして飲むと、昔の栄華を語っていた。
最盛期は毎日高級オーダーメイドの背広の懐に三十万くらいつっこんで、夜の歓楽街でブイブイ言わせていたらしい。鮨屋の下働きだが、いつも少ない髪を櫛目も正しくピタッとオールバックになでつけているのが、昔の栄華の名残りをもの語っているようだった。
その時はほぼ寝たきりのおばあさん(お母さん)と長屋の二人暮らしだったが、数年前おじさんは病気で亡くなり、面倒を見る人がいなくなったのでおばあさんは老人ホームに入った。

哀愁のグランドキャバレー

私は基本的に家でお酒を飲むので、外に飲みに出かけることはそれほど頻繁ではないが、夫は一宮に越してきてから地元の店開発をいろいろしているようで、週に一、二回はどこかに行っている。
そしてその店で知り合った地元のおじさんに誘われて、酔っぱらった勢いでまた別の店に行き、
「連れられてったスナックでバイトのねえちゃんと喋ってたら、おまえの大学の学生だって言いやがってよー。酔いが醒めちまったぜ」
などとブツクサ言っている。
そんな場末のスナックなんかにノコノコ行くからいかんのだ。
「すげえいい女なんかいないことはわかっとるの。そりゃいないだろうよ。錦三(錦三丁目・名古屋で一番高いとされる歓楽街)にいるような高級ホステスが、こんな田舎のスナックにいるわけねえよ。そんでも行く前は、ひょっとして‥‥と思ってまうんだわな。で、まあダメなんだがまた次になると、ひょっとして‥‥と思ってまうわけよ。アホだよな男ってもんは」
男ってよりあんただ、アホは。


スナックでなかったらいいかというと、そうとも言えないようだ。
ある店で知り合った、トラックの運転手をしている六十近いおじさんにえらく気に入られてしまった夫は、「女の子のいっぱいいるちょっといい店知っとりますで」と言われ、「いい女」がいるかもしれんと喜んでまたノコノコついていったのである。


そこは、駅の裏の小路にあるグランドキャバレーであった。
グランドキャバレーとはその名の通り、大きなキャバレー。1950〜60年代に流行ったもので、広いホールの天井からシャンデリアが下がり、ボックス席がずらりと並び、真ん中はダンススペースとして空いていて、ステージではハコバン(店のお抱えバンド)がスウィングジャズとかムード歌謡を演奏している。巡業の歌手のショーなども開かれる。
そしてたくさんの美人ホステスがいて、お酒の相手だけでなくダンスのお相手などもしてくれるデラックスなところらしい。
名古屋にも昔、「美人座」という有名なグランドキャバレーがあった。
「美人座」と象られたビルの上の大きなネオンが非常に華やかで、子どもの頃親に連れられて街に行くとそのネオンを見るのが楽しみだった。入り口からお姫さまのようなロングドレスのおねえさんが何人も出て来て、お客さんをお見送りしていた。
あの中ではどんなオトナの世界が繰り広げられてるんだろ‥‥と、子どもの私はぼんやり思っていた。


今ではすっかり廃れたはずのそのグランドキャバレーが、なんとまだ一宮にはあったのである。外は古ぼけていたが中は確かにそこそこ広いホールで、シャンデリアとボックス席があって、バンドが演奏していたらしい。
しかし出て来たホステスは、「女の子」ではなかった。
夫によれば「全員どう見ても50代後半以上のオバハン」。
そして全員一応化粧はしているものの、普段着に毛の生えたような出で立ち。
夫は一瞬逃げ出そうかと思ったが、既にボックス席に座ってしまっていたためそれもできず、熟年ホステスさん達に囲まれて一本千円のビールを飲んだ。


夫を連れて来たおじさんは、賑やかなオバハン相手に大変楽しそうだったという。六十近いおじさんにとって、キャバクラなんか行っても女の子と話が合わないし疲れるだけ。「オバハン女の子」の方が癒されるのだ。
その時いたお客は見渡したところ10人ほどだったらしいが、みんなおじさんかおじいさん。そしてよく見ると、制服を着たハコバンの人達もみんなおじいさん。
おじいさんが、昔の栄華を懐かしんでやってくるところだったのである。ホステスさん達は、かつての女工さんかもしれない。


その話を聞いて私は妙に興味が湧いてしまい、私が奢るから連れてってくれと夫に頼んだが、即座に却下された。
それも3年くらい前の話である。
そのグランドキャバレーがまだあるかどうかは知らない。