父の懐中時計

結婚した時、実家の父が夫に、自分の持っている懐中時計を贈った。父は懐中時計が好きで、コレクションというほどではなかったが幾つか持っていた。義理の息子に、自分の持ち物の中から何か記念になる物をやりたいと思ったのだろう。
その時計は鎖の付いた直径6センチほどのシンプルなもので、ローマ数字が刻まれた白い文字盤に細い金色の針がきれいだった。大正13年生まれの父よりも古そうな代物だったが、ネジを巻けばちゃんと正確に動いた。
夫は懐中時計などに興味はなかったと思う。けれども、せっかくもらったのでしばらくの間は自分の机のスタンドの前に置いていた。数年経って引っ越しの時に箱に入れて、それからはずっと引き出しにしまっていたが、ある時ふと取り出してガラスの上蓋を外し、父がそうしていたように時間を合わせようと長針に触れたら、なんとポキリと折れてしまった。どうやら数年の間にすっかり錆び付いていたらしい。
「針、折れてまった。ちょっと触っただけなのに」「あーあ。しまいっぱなしにしていたからでしょ」「オヤジには内緒にしといてくれ。な」
彼はそのまま、また引き出しの奥に懐中時計をしまい込んだ。


それから時計の話は一度も出ないまま、20年近く経った。元気だった父もすっかり年老いて、体も弱り耳も遠くなった。頭も半分ボケかかっているけど頑固なところだけ相変わらずだと、母から時々愚痴を聞かされた。心臓が悪いのに、無理して自転車で遠出してヘトヘトになって帰ってきて寝込んだりしているらしい。
一ヶ月前のこと、夫が突然「あの懐中時計、修理に出そうかな」と言い出した。何でも、機械式ならどんな時計でも修理する職人さんのいる時計店を、テレビでリポートしていた。その番組を見ていて、突然思い出したのである。
「やっぱりあのままにしておくの申し訳ないし、どうも苦になってよ」と夫は言った。「そうだね。もらった時計壊したままにして父さんがポックリ死んだら、寝覚め悪いしね」「まあ多少かかってもいいから、直しとくか」


休みの日、夫はテレビで紹介されていた岐阜県養老町にあるミノベ時計店に、懐中時計を持って出かけて行った。
帰ってきた後で話を聞いたら、若い頃は銀座のロレックスに勤めていて昭和の名工として勲章ももらったことがあるという、かくしゃくとしたおじいさんのマイスターが出てきて、まずこれまでどんな時計を修理してきたかという話をアルバムを見ながら小一時間ほど聞かされたらしい。それから持参した懐中時計を見せたら、「これは明治のもので100年以上経っています。凹みのあるのが多いのでこんな完品は珍しい」と言われたそうだ。
横浜の外人居住区にあったドイツのレッツ商会がスイスから輸入していたので、通称「レッツ」。裏蓋の内側に、矢で射抜かれた蛾の文様の浅彫りが施してあり、その下に「レッツ商會」と彫られている(こんな時計→http://www.sanmeidou.com/gakai-080418_Syoukan%20Retz.html)。折れた針は手作りするということだった。


さて、父はずっと狭心症の薬を飲んでいたのだが、二週間ほど前に病院で検査したら心臓の状態が悪く、三本の動脈にカテーテルを入れる手術をすることになった。病院から私のところにも電話があり、「お年もお年なので万が一ということも」と告げられた。手術中に心筋梗塞などで逝ってしまう可能性がないわけではないと。
母は電話で言った。「お父さん、思ったよりずっと悪かったの。だからあなたにも覚悟しててほしいと思って。でもあの人84まで生きたし、自分のやりたいようにやってきたし、もう、いいよね」。半分涙声だった。「まだ死ぬって決まったわけじゃないんだから」と私は言った。「手術日は病院にいるから、翌日家から電話するわね」と言って、母は電話を切った。私は仕事で行くことができない。


手術のあった一昨日の夜、ミノベ時計店から時計の修理が終わったとの連絡があった。父のほうは、病院からも母からも何もないので、きっと大事なく済んだのだろうと思った。父の手術日と父の持っていた懐中時計の直った日が同じなのが、何とも奇遇である。
翌朝待ちきれずに母に電話すると、こないだとは打って変わって元気そうな声だった。「一回目は無事に終わったわ。早速枕が高いだの、脚をさすってくれだの、看護士さんに我が侭ばっかり言ってた」。父の体内時計はまだ完全には錆び付いてなかったようだ。


今日、夫がミノベ時計店に懐中時計を取りに行くのに同行した。養老山系の麓の町の古びた商店街の中にある、ごく普通の店だった。時計はピカピカに磨かれて、新品同様になっていた。真ん中に極小のプラチナを埋め込んだ繊細な針も、見事な出来映えだった。「やぁ、なんかやっと肩の荷が降りたな」と夫は嬉しそうに言った。
人間はどんなに修理しても新品にはならないが、機械はなる。機械は部品さえ取り替えれば、人間よりも長生きだ。父の生まれるずっと前に作られたこの時計はたぶん、修理をする人、ネジを巻く人がいる限り父の死後も動き続けるだろう。当たり前のそのことが少し残酷に思えたけれども、再びカチカチと時を刻み出した懐中時計の小さな音は、父の心臓の鼓動のように聴こえた。