Dr.佐藤の「愛されてお金持ちになる」本を分析する(前編)

ピンクコーナーの実情

去る5月末、夏目書房という出版社から『モテと純愛は両立するか?』という本を出した。数年前の純愛ブームを受けて、純愛とは何か?について論じ、ブームとなった純愛本やドラマに詳細なツッコミを入れたエッセイ集である。帯には「純愛とは任侠である!」というキャッチコピーがついた。
で、私としては、これは書店では女性エッセイの棚に置かれるだろうと思っていた。中村うさぎ酒井順子ナンシー関の本が並んでいる棚である。
ところが、本が出てからいろんな書店を回ってみると、「モテ」と「愛」という言葉がタイトルにあるせいか、書店の人に誤解されやすかったようで、多くの場合女性向け恋愛本の棚に入っていた。
もっとはっきり言うと、女子向けモテのハウツー本の棚。全体にピンクの色使いの本が多いことから、私が密かに「ピンクコーナー」と呼んでいる棚である。


ピンクコーナーが昔から書店の一角を占めていることは、もちろん知っていた。私の記憶では70年代の後半にはもうあった。
しかし当時は、あからさまなモテ本はなく、ピンク度も低く、「女のイキイキ一人暮らし」とか「おしゃれな女はここが違う」といった類いのインテリアやファッション関係の中に、「女の生き方」についてクロワッサン的にユルく語ったエッセイ本が混じっているといった牧歌的な感じであった。
しかし現在、ピンクコーナーで目に飛び込んでくるのは、「モテる」「愛される」「恋をつかむ」「幸せになる」「うまくいく」といった、主に恋愛方面のヤル気満々な言葉。いつからそのような若い女子向けモテ本のオンパレードになったのかわからないが、もうかれこれ10年くらいは、そういう甘ったるいアメみたいな感じの本で占められているように思う。


あなたは、あのコーナーで興味を引かれて本を手に取ってみたことがあるだろうか。読書欲を刺激されて買ったことがあるだろうか。
ないでしょうね。私もない。内容のスカスカ具合、くだらなさ具合はだいたいわかっている。あそこにあるピンクのクズ本とは、死ぬまで縁がないだろう。私は長い間そう思っていた。
そこに、自分の渾身の処女作が置かれたのである。『小悪魔になる方法』とか『うまく行く!女性のルール』とかいう本に挟まれて並んでいる、私の純愛論。なんてこった。
しかしよく見ると、書店によっては小倉千加子の『結婚の条件』などが紛れ込んでいたりもする。フェミニストの本とモテ本とが、同じ種類の本として並んでいるシュールな光景。知らぬが仏とはこのことだ。
そんなわけで、書店に行くと、自分の本の入荷、売れ行き状態をチェックするため、これまで冷たい視線を送ってきたピンクコーナーにしばしば立ち寄らねばならないことになった。


改めて眺めてみると、ピンクコーナーの本の数は結構多い。大きめの書店だと、ざっと見て平均200冊くらいはある。
そして立ち読みしている妙齢の女性が、大抵一人か二人いる。友達と「ねえねえ!こんなバカなことが書いてあるよ、クスクス」と囁き合っているのではなく、一人で食い入るように読んでいるのである。あるいは、まるで卒論のための参考文献を探すかのような真剣な眼差しが、棚をさまよっている。
あのね、そんな本見てないで私の本を買いなさい、あなたに必要なのはそっちのクズ本じゃなくて、ほれ、その目の前の‥‥と隣で念じてみたこともあったが、通じなかった。このおばさん、なんで恋愛本のコーナーでうろうろしてるのよ、今さら読んでも手遅れでしょうに‥‥と思われたのかもしれない。


書店の人によれば、このコーナーの本の回転は早く、1週間ほど様子を見て動きのなかった本はどんどん取り下げられていくことがあるそうだ。その分、どんどん新しい本が入荷され平積みにされる。つまりそれだけ、供給も需要も多いジャンルだということになる。
アホらしくて手に取る気もしない人が大勢いる一方で、そういう本を読みたい層、そこで教えられたノウハウを実行に移してモテたい、あるいは自己啓発して「うまくいく」女になりたいと考える層が、カタマリで確実に存在しているのである。

科学と魔法

同じ実用本でも、たとえば料理本のコーナーは、見るからにバラエティに富んでいる。和食もイタリアンも中華もフレンチもエスニックもデザートもお弁当の本もあり、その中でさらに細分化されている。旅の本コーナーだったら、旅の目的と目的地によってそれこそ千差万別だ。
しかしピンクコーナーに並んでいる本は、皆似たような顔をしている。
『なぜか好かれる女性50のルール』『かわいいおんなの創り方』『小悪魔の成功法則』『モテ本!(なぜか男を惹きつける50のテクニック)』『愛される女性になる30のヒント』‥‥。モテたり愛されたりするルールや法則やヒントを知り、テクニックを身につけて男をゲットせよ。どれも目的はほとんど同じなので、タイトルで少しでも他と差をつけようといういじましい競合が行われているのである。


そんな似たりよったりのモテ本の中で、最近一際目を引いていたのが、『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』
平積みにされたこれらの本が初めて視界に入った時は、ギョッとして思わず足を止め、まじまじとその表紙を凝視したものである。
  愛されてお金持ちになる魔法の言葉―あなたが変わる  愛されてお金持ちになる魔法のカラダ


「愛される言葉」なら私もそう驚かない。「愛されるカラダ」なら、an・anのセックス特集みたいだなと思う。つまり「愛される」だけならまだ黙殺できる。
しかしそれだけでは足らず「お金持ちになる」とは。いくらタイトルのつかみ一発だとは言え、ずうずうしいにもほどがあるのではないか? しかもその二つを「魔法」で叶えるだと? いや魔法の本ではない、モテ本だ。
これは実は新刊ではなく、一昨年に出て爆発的に売れ、今でも売れ続けて不動の人気を誇っている、ピンクコーナーのベストセラーである。調べてみると「魔法の言葉」の方は出て半年で30万部を突破。「魔法のカラダ」など、第一刷が出て二日目に第二刷が発行されているという異常人気。
著者の佐藤富雄は今年74歳になる医学・理学・農学博士で、独特の理論「口ぐせの科学」を唱え、それで既に数十冊の本を出しているヒットメーカーらしい。
読書人の間では金輪際話題にならないのに売れまくっている、Dr.佐藤の「愛されて本」。タイトルの臆面もなさでは他の追随を許さないその本が、なぜそんなに売れるのだろうか。
おそらくタイトルのインパクトだけではあるまい。何かそれなりにスゴいことが書いてなければ、そこまで売れまい。そう思い、読者はどういう評価なのかと「魔法の言葉」についてアマゾンのカスタマーレビューを見たら、絶賛のコメントが相次いでいた。
「魔法の言葉」とは、Dr.佐藤の提唱する「口ぐせ」を指す。どうやら、「口ぐせ」で「愛されてお金持ちに」なれるという、臍が茶を湧かすようなプロパガンダが強力に行われてきた模様である。そんなトンデモ本がデカい顔してのさばっている御陰で、私の本は今やコーナーの片隅に追いやられ消え去る寸前。


私怨の混じった怒りが、ふつふつと沸き上がってきた。この怒りをまっとうな批判に変えたい。そのためには実際に読んで、内容を分析してみなければならぬ。
そこで前述の2冊と『王子様に出会い愛されるシンデレラの教え』と『最強の幸運体質をつくる魔法のアファメーション』(いずれも佐藤富雄著)をアマゾンのマーケットプレイスで手に入れた。
どれも頭が痛くなってくるようなタイトルである。しかも長い。
王子様とかシンデレラとか魔法とかは、ターゲットである若い女性のメルヘン志向、お姫様コンプレックスを意識したものだろうか。「アファメーション」とは「肯定的宣言」という意味らしい。横文字に弱い人には神秘的な響きかもしれない。「最強の幸運体質」の吸引力については言うまでもない。テンコ盛りのタイトルには周到な戦略が張り巡らされている。


自己啓発本に書いてあることは概ね次の通りだ。
自分に自信を持ちなさい。毎日を前向きに過ごしなさい。くよくよせず、いいことだけを考えなさい。すべてのことに感謝しなさい。いつも笑顔でいなさい。そしたらきっと、眠っていたあなたの潜在力が引き出されます。
そういうことを手替え品替え説いて、素直で免疫のない人をその気にさせるものである。
一方、モテ本に書いてあることは、まず恋愛に積極的になれということだ。
恋をして苦しく切ない思いを存分に味わい、己の人生について考えてみよということではなく、恋をすれば気持ちが前向きになり、外見も内面も磨かれて輝き、結果美人になれる、そうすれば自然にモテモテになりますよという具合。女の子向け雑誌にもよく書いてありそうなことである。ファッションとかふるまいとか会話とか、具体的なノウハウはいろいろあるにしても、「恋をすればキレイになる」という点では共通している。


『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』は一言で言えば、自己啓発本とモテ本を足して、いいとこ取りをしたような内容であるが、肝はやはり「口ぐせ」の奨励である。
自分のことをポジティブに捉えるだけでなく、それを実際に口に出して自分をほめ「口ぐせ」にせよ。そうすればセルフイメージが更新され、自律神経系の働きが理想の恋を引き寄せ、恋によって脳が覚醒し、快楽ホルモンが分泌され、ヤル気が喚起されてお金持ちになれる。
Dr.佐藤によれば、そうなるのはすべての人に「勝ち組遺伝子」が組み込まれているからということだ。だからポジティブな口ぐせを毎日唱えて、その遺伝子を目覚めさせれば、放っておいても必ず夢が実現していくのだと。
ざっくりと要約してみたが、本当にそういうことが大真面目に書かれているのである。これのどこが「科学」なのかよくわからない。


むしろ、小学校の先生が学芸会で舞台に立つのを怖がっている生徒に、「もっと自信をもちなさい。「ぜったいできる」って言ってごらん。ほらほら、できそうな気がしてきたよね、ハイ頑張って!」と言っているのに近い内容である。
子供はほめて伸ばせというのは、教育論や育児書によく書いてあることだ。部下はほめて伸ばせというのも、ビジネス本でありそうだ。それと同じことを、人生全体にまで範囲を拡大して、しかも自分に対して行えというのが、Dr.佐藤の主張。
何のことはない、一種の自己暗示の勧めである。こんな安直な本が何十万部ものベストセラーにまでなった本当の秘密は、いったいどこにあるのだろうか。

私は世界一のいい女

それはまず、Dr.佐藤の自信満々な断言口調にある。『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』の最初の一文から、それは始まっている。

女性が充実した素晴らしい人生を送れるかどうかは、「自分の容姿にどこまで自信を持てるか」にかかっています。

思わず、なんですと?と聞き返したくなるような出だしであるが、実は日本人の女性の8割が自分の容姿に自信がないというデータは、実際にある。
つまり多くの女性が、できればもっと容姿に自信を持てるようになりたいと密かに思っているわけで、そういう読者のウィークポイントをいきなりズバッと突いてくるところが、Dr.佐藤のテクニック。
じゃあ、容姿にあまり自信のない私は「充実した素晴らしい人生」を送れないのか?と読者が怯んだところで、

客観的に見て美人かどうかは関係ありません。

と安心(?)させ、

自分で自分を「魅力的ないい女」と思える女性ほど、何をしてもうまく運びます。恋愛、結婚、家庭、育児、仕事、人間関係、金銭面でも、思いどおりの人生を歩んでいけるのです。

ときっぱり断言。
ええ〜そう? だって「魅力的ないい女」と「容姿に自信のある女」はイコールじゃないでしょ。容姿に自信があるなしに関係なく魅力的な人はいるだろうし、容姿に自信があってもヤな女はいるし‥‥とあれこれ考えようとする読者に間髪入れず、

あなたは現在の暮らしに満足しているでしょうか。特に、恋愛関係と経済状態について、望みどおりの結果を出せているでしょうか。

とドクターは問う。
まあ大体は満足かなと思っている人でも、「望みどおりの結果」とまで厳しいこと言われると自信がなくなるものだ。そこにたたみかけるように、

もし不満があったとしても大丈夫。この本を読み、上手に活用していくと、本当にすごいことが起こります。(中略)「魔法の言葉」で脳が生まれ変わり、「世界一のいい女」になれます。そして、これからの人生をぐんぐんレベルアップしていけます。

とまた断言。ここまでが最初の1ページ。


何なんだろう、この詐欺師みたいな口上は。「これを買えば、長患いは直るし金回りもよくなるし、すごいご利益があります」といった甘言で、何百万もする壷(この本は定価1200円だが)を売りつける人を連想させる。
しかし、素直な読者はドクターの自信たっぷりな断言口調に圧倒されてしまうのだ。そして、そのまま圧倒されっぱなしで最後まで熟読してしまう。だから1ページ目にして、書いてある内容がもう既にかなりおかしいことに気づかない。


たとえば、「たとえ周囲はそう思わなくても、自分で自分を「魅力的ないい女」と思える女性」とは、ナルシズムの強い女性ということである。つまりナルシズムの強い女性ほど、「何をしてもうまく運ぶ」というありえない話になる。
もし仮にそういう女性が「私ったら何をやってもうまくいっちゃうわ」と思うとしたら、それはあまりにナルシストなために、自分のやることなすことをすべていいようにしか解釈できないだけではないか。傍から見たら、ただのイタい女だ。
つまり「自分を魅力的ないい女だと思う」ことと「何をしてもうまく運ぶ」こととは、まったく別の問題である。Dr.佐藤の断言するように前者から後者を必然的に導き出すのは、論理的に不可能だ。
しかしこれをひっくり返してみると、ちょっと違ってくる。
「何をしてもうまく運ぶ」ので自信をもった結果、「自分を魅力的ないい女だと思う」。それはありうるかもしれない。


現実的に考えてみよう。
まず「何をしてもうまく運ぶ」には、ものすごくチャンスに恵まれているか、陰でたゆまぬ努力をせねばならないだろう。普通の人はそうそうチャンスに恵まれていないわけだから、努力が必要である。
しかしどんなに努力しても不可能なことはあるのが世の常なので、「何をしてもうまく運ぶ」なんて人は、実質極めて稀。だからその結果として「自分を魅力的ないい女だと思う」ところに到達するのは、めちゃくちゃ大変という話になろう。
それに比べると、ただ単に「自分を魅力的ないい女だと思う」のは、ずっと簡単である。だってとりあえずは何もせず、心の中で思えばいいだけなんだから。前の話よりも、入り口の敷居が圧倒的に低い。
そして、そう思い込むことさえできれば、「何をしてもうまく運ぶ」とDr.佐藤は言っているのだ。リアルでキツそうな話は聞きたくない、つらい思いまでして努力したくない女性にとって、これは悪魔の囁きである。


しかし何の根拠もなく、自分を「魅力的ないい女」だなんて思えるのか。普通はちょっと無理ではないか。
その無理を可能にするのが、「魔法の言葉」、つまりポジティブな「口ぐせ」である。

まず最初になすべきは「私は世界で一番いい女である」と自分に宣言することです。

たとえば、「私はすごくいい女。だからすごくいい男に次々会える」「能力のある男ほど私を求める」「私は本当によくモテる」「私はお金と相性がいい」、そういうことを、毎日何度も口に出して言え、そして自分をほめまくれとDr.佐藤は言う。
そんな思ってもないこと恥ずかしくて言えるか、と思ってはいけない。

たとえ嘘でも、ほめてしまえばいいのです。とりあえず「すべて、これでいい!」と認め、少し大げさなくらいにほめてください。

自分を騙してでも、無理矢理イタい女になれという教えである。ここで躊躇しているようでは「愛されてお金もちに」なることはできない。


こうした"理屈"が、これでもかってほどのオーバーな表現と共に繰り出されてくる。

「すべて、これでいい!」の一言から始めましょう。すべてが驚くほど順調に運ぶようになります。お金も仕事も津波のようにやってきます。

Dr.佐藤は読者に立ち止まって考えることを許さない。というか、ドクター自身が全然立ち止まらない。「津波のようにやって」くるのは、ドクターの尋常ならぬポジティブオーラである。
そのオーラに当てられながら、「愛されてお金持ちになる」ためだと必死でついて行くうち、ネガティブな猜疑心はどっかに行ってしまうのである。
(続きの後編は明日掲載致します)