きらきら光る お空の星よ

はてなに来るずっと前、はてなスターというものをよく知らなかった頃、たまたま読んだ記事のタイトルの横にある☆マークを「何だろな?」と思ってぽちっと押してみたことがあった。別に何も面白いことが起こらなかったのでそのまま忘れ、後で意味を知った。
記事やブコメに「良い」「面白い」といった共感の印としてつけるらしいが、それならブックマークして「良い」「面白い」と書くか、そういうタグでもつければいいのではと思ってしまった。それでも足りるような気がする。なぜこっそり星を贈らねばならぬ?


はてなスターに言及している記事をいろいろ読んでみると、コメント欄に書いたり、ブクマして保存するほどではないが、ちょっと「いいね」と声をかけたいという"ちょっと心理"にアピールしているようだ。なるほど。気軽でいいんだろうね。
はてな村の政治」というものがあるらしいので、それを鑑みた場合、誰それさんと誰それさんが思い切りdisってる記事に同意ブコメつけると、なんか目をつけられそう。もし同意ブクマが自分だけだった場合、村人に冷たい目で見られそう。逆にdisブコメにスターをつけてネガティブ感情を裏で共有したいとか。それで黙って星だけ贈っとく。


はてなに引っ越して一ヶ月。秋の星座と冬の星座を作れる程度のお星様が貯まった。なんとなく嬉しい。ブコメなどに思いがけずスターが付くと、心の中にポッと明かりが灯った気分だ。ブックマークで記事に賛同して頂いて更にスターも頂戴したりすると、「有り難や」という気持ちになる。
でも自分は誰にも星をあげてないので、なんとなく申し訳ない。もらってばっかりで。たまにオリオン座が作れるくらいの星を差し上げたい記事もあるが、同意ブクマ(大抵コメント付き)で終わりにしている。同意ブクマとスターをどこで分けたらいいかという基準が、自分の中でうまく作れない。
あれにスターをつけたらこれにもつけるべきではないか、あれには二個つけたがこれは二個か一個か。そういうことでも悩んで時間をとられそうだ。そんなこと考えず気軽につけるものなのに、私はつまらんことで時間を喰う質(とか言いつつ、もらえるものはもらっとく質)。
あと、「いいね」と軽い共感を示すのが、なんか照れてできない。スターフレンドというものになると、互いにコメントをつけられるそうだが、それもなんか。だって前もって共感以外にないとわかってるのに、なんかそれはアレです。


スターをすんなり付けられる人は、別のシチュエーションで喩えると、好意をもった人には自然にニッコリできる人かなと思う。そういう人は相手にも好かれやすい。私はそのニッコリができない人ということになる。ニコともしないでいきなり「あなたのここがいいと思いマス、なぜならば」とか言っちゃう無粋なタイプ。その前にちったぁ微笑めよ。
でもそれが誰かをdisるものである場合は、ニッコリではなくニヤリになるわけだな。ニヤリを共有して頷き合う。それがスターの醍醐味なのか。でも私はやはりブコメかコメント欄に行く。まあ何もせず黙ってニヤニヤしていることの方が多いが。
誰からのスターかわからない仕組みになっていれば、やってみるかもしれない。その記事に、3個なら3個、10個なら10個の☆があるのがわかるだけの仕組み。普通に無記名投票っぽくていいと思う。変な「政治」も緩和されるし。


星と言えば、サン=テグジュペリ『星の王子さま』だ。王子さまは別れる前の会話で、語り手の「ぼく」に自分の星の在処を教えない。「ぼくんちは、とてもちっぽけだから」と。
「だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのが好きになるよ。‥‥」
いい台詞じゃの‥‥。
でもこれは、必ずその人の星が視界の何処かにあるとわかっている時の話であった。だから心にポッと明かりも灯るのだ。はてなスターを無記名にすると、そこがわからない。それどころか、時として星一つない真っ暗闇。現実は童話のようにはいかないものだ。