レポート採点

机の横に、「ジェンダー入門」の大学生のレポート約350人分×5〜6枚の入ったダンボール箱が二個ある。三日半かかってようやく全部読み終えた。一日だいたい100人の勘定。それ以上は、脳が拒否して読めないので。


テーマは、映画、小説など物語についてジェンダー観点から分析し意見を述べよというもの。
合格ラインは、特に「ジェンダー」という言葉を使ってなくても、「性」について、物語分析を通した自分の意見が書けていれば良しとしている。対象を丁寧に観察しており、自分の言葉で書かれた思考の跡が読み取れれば、一般的なフェミニズム的見解とは対立するものでも良し。
文章が下手なのはかなり大目に見ている。ほとんどの文が「〜のだ」で終わる、あんたはバカボンのパパか?というようなレポートもしばしばあるが、言いたいことが明確に主張されていれば良し。


例年だと不可になるのは1割から2割弱であったが、今年は3割近くになった。良、優も例年と比べてかなり少ない。去年から新しい科が新設されたことと関係あるのかもしれないが、それにしても文章レベルが落ちている。
ストーリーを説明しているだけのもの。個々の登場キャラクターについてはある程度分析できるが、物語の解釈ができてないもの。「でも」「しかし」が続いて何を言いたいのか論旨が不明のもの。ほとんど「性」について触れてないもの。途中からいきなり自分語りになって終わってしまうもの。改行すべきところで改行なし、句読点を打つべきところで無しなどあたりまえで、信じられないほど誤字が多い。


授業ではドラマや映画を見せ、幾つかの設問を立てて意見を書かせ、それらをなるべく幅広く紹介しながら私のコメントをつけるというかたちを中心にやってきた。
ジェンダーの基礎知識については、そこらのジェンダー入門書を一冊読めばだいたい足りるので、最小限に止めている。それより何かを見聞きして自分の考えを自分の言葉で書いてまとめるトレーニングをした方が、学生のためになると思っている。
社会に出て必要なのは、自分の考えを筋道立てて人に伝えられる能力だ。それを「性」という観点を通してやらせてきた。


成績評価のレポートは、その最終仕上げのようなものである。
5枚以上という分量になると、当然下書きは必要だ。それをして推敲してから書くように言っているが、たぶんぶっつけで書いている学生がかなりいると思われる。だから、繰り返しが多かったり、論旨に一貫性がなかったり、尻切れとんぼで終わったり、文体が突然変わったりする。まとまった文章を書くにあたって、最低限のことができないのだ。できないというか、その方法を知らない。


確かに、私の行ってる地方の芸術系の私大で、論理立てた文章の書ける学生は少ない。そもそも高校までに、自分の意見を少し長目の文章にまとめる訓練をしていないような学生が大半だ。二昔くらい前なら大学進学などしなかったような層が、ボリュームゾーンとなっている。
それでも、拙いなりに模索しながら自分の言葉で考えをまとめようとする学生は、一定数いた。逆に明らかに背伸びして書いている学生も、一定数いた。こちらが驚くほど完成度の高い文章を書いたり、ユニークで鋭い論考を展開する学生も、数は少ないながらいた。その数が激減している。これは他の大学にも言えることなのだろうか?


考えて書く授業ではなく、知識を教える授業にしてそれを試すテスト(○×式とか穴埋めとか)で成績評価すれば、数百人のレポートを読むという私の負担も少なくなるし、学生にとっても楽なのかもしれない。最近多いネットや本からの剽窃という手も防げる。
でもそういうのは、あまりやりたくない。来年からどうしようか思案中。