ぶっつけ書きと恋と計算

こないだのエントリの一部をAntiSepticさんに改変使用されたのは別にいいのですが、こっちはブクマ0なのに向こうは9個もついているのに気づき、地方の三流芸大の学生の文章作成能力の話より、ブロガーの文章作成能力の話のほうが、ずっと他人の興味を引くという当たり前の事実を改めて突きつけられてやや憮然としている大野です。毎日暑いですね。


ブログはレポートや小論文とは違うので、内容によってはぶっつけで書いていいと思う。少しくらい文章がおかしくても、その方が生き生きしていて面白い場合もある。
たとえば、ぶっつけで書いてるっぽくって話があちこち飛んでいくユルユル天然漫談風の語りが、一種の個性になっているid:soulfireさんのような人もいる。あのタガが外れているようで外れてないような、危なっかしくも微妙なバランスは、真似しようと思ってもなかなかできない。ちょっとうらやましい。


ぶっつけ書きは、出たとこ勝負だから誤摩化しがきかない。絵で言うとクロッキーみたいなものだ。言葉の効果に敏感な人や感覚の特別ユニークな人は面白いぶっつけ書きができるが、そうでないとただ締まりのない一人言に終わる。
だが手だれの者になると、いかにもぶっつけ素のままでサラサラリ〜と書いたかに見せて、実は推敲に推敲を重ねている場合もあろう。出たとこ勝負に見せる綿密な計算。知能犯だ。


昔、文章のとても上手い友人がいた。博識でユーモアのセンスも抜群でお金の取れるレベルのものが書けた。彼の文章力は周囲の誰もが認めており、本人も結構プライドをもっていた。
文章は得意だが恋愛のほうはそうでなかったらしく、ある女性に片思いして、年上の私がいつのまにか恋の相談役にされた。んで飲みながら話していた時、こんなことを打ち明けられた。
「メールでやりとりするじゃん。でもあまり面白い上手い文章書くと、なんかかえって嫌みだし気持ちが伝わらないかと思ってさ、ところどころわざと下手に崩してる。ぎこちない言葉遣いにしたりとか。そういうことするんだ、俺」
彼は身を竦めるようにして恥ずかしそうに笑った。


書くのが得意なら普通は、恋をしている相手にこそ、面白く読ませるとびきりのメールを送りたいと思うだろう。しかしそれが上手過ぎたり、あまりにもカユいところに手が届くように書かれていたりすると、逆に相手を引かせることはある。その「どっからかかってきてもOK」な万全の態勢が、隙が無さ過ぎてとっつきにくいなと思われたりする。私の入る余地はないのかなと。
そういう読み手の反応も、文章が上手いからこそリアルに想像できてしまう。熱烈に恋はしているが、そのあたりのことは至極冷静。
そこで、「相手を好きなあまりかえって舌足らずになってしまった不器用な男」というものを演出したのである。そんな演出くらい、文章を書き慣れ、言葉の効果を知り尽くしている者には、お茶の子サイサイである。それで「あれ、ここ日本語ちょっと変。焦って書いたのかな。クスッ」とか思われて、少しでも近親感をもってもらいたいと。


そんなの、頭のいい女性があんまりモノを知らない振りをして男の気を引いているのと同じではないか? まあそうかもしれない。上手く書ける人が、相手に付け入る隙を与えるために、ちょっとだけ下手に書く。素朴さの演出。姑息と言えば姑息だろう。
でも文章に対する彼のこだわりとプライドの高さを知っていた私は、その恋心ゆえの小細工ぶりを「いじらしいなぁ」と思い、心から健闘を祈った。残念ながら彼女には他に好きな人がいて、その恋は実らなかったのだが。


なんの話だったっけ。文章をぶっつけで書くにも、ぶっつけっぽく計算して書くにも才能が必要という話だっけか。‥‥ほら、不用意にぶっつけで書いているとこういうふうにまとまりがつかなくなるんだわ。
そういえば、今年も人の文章をそのまま剽窃したレポートを発見してしまった。残念なことである。「これでは上手過ぎて怪しまれるかもしれないので、ところどころわざと下手に崩しておこう」くらいの姑息な計算はできんもんかの。