「タマを、真っ黒にしてきました」

言い間違いというのは誰にでもある。フロイトによれば、言い間違いはその人の無意識に抑圧された願望の反映であり、言い間違った言葉の中に実は言いたいことが潜んでいたりする。
しかし昨夜の夫の言い間違いは、実に奇妙なものであった。


昨夜彼は、昔の恩師と飲みに行くということで夜出かけ、私が寝てから深夜に帰宅した。帰ってきた気配は、居間で「タマ、こら、タマ〜」などと酔っぱらって猫と戯れたり、ドタドタ猫を追いかけている物音でわかった。人が寝ているのわかっているんだから、少しは静かにしなさいよ。
やがて夫が寝室に上がってきた。思い切り襖にぶつかっている。「ちょっとうるさいよ」と小言を言うと、布団に潜り込みながらやけにはっきりした声で言った。
「タマ、真っ黒にしてきました」
は? タマを? 真っ黒にした? 「どういうこと?」と訊ねると、また、
「タマを、真っ黒に、してきました!」
「意味わかんないよ。何やったのよ?」。思わず上半身を起こした。
「だからー、タマをー、真っ黒にー、してきたんだよー」


タマを真っ黒にした‥‥。うちのタマはキジトラである。それを黒猫にしたというのか。墨汁でもぶっかけて。確かに「俺、真っ黒な猫が好きだな」と言っていたことはあった。いやいや、いくら酔っぱらってたからってそんな無茶なことするはずがない。
「真っ黒にしたって、どういう意味?」
「真っ黒は、真っ黒だー」
夜中にコントやってる場合ではない。ともかく、タマに何かやらかしたのかもしれない。一階に見に行こうとすると、
「いつもー、真っ黒にー、してないでしょー‥‥‥zzzzz」
3秒くらい考えてわかった。「真っ黒」じゃなくて「真っ暗」だ。


猫は一階で飼っている。二階の寝室に上げないのは、朝ミャーミャー鳴いて起こされるのが厭だと夫が言うからだ(とは言いつつ、彼は時々居間で朝まで猫と寝ている)。夜、二階に上がる時夫は、猫のいる居間の灯りを点けたままにしておく。猫は夜行性だから真っ暗だって平気なはずなのに。
しかし彼に言わせると、「真っ暗にするとタマが可哀相」。いきなりすべての物音が消えたシーンと暗い空間に独りぼっちで取り残されるのは、きっと猫だって寂しいだろうと。「Sさんとこなんか、留守でも一日中テレビつけっぱなしだってよ。猫が寂しくないように」。
そんなもんかなあ。まあテレビつけっぱなしより灯りがついている方がまだいいような気がするが、電気代がもったいない。なので、私が後から二階に上がる時は灯りを消している。
夫はそのことを言っていたのである。つまり、
「タマ、真っ黒にしてきました」→「タマのいる部屋は、真っ暗にしてきました(いつもあんたが電気消せと言うからね)」。
せめて「真っ黒」でなく「真っ暗」と言えばすぐにわかったのに。


今朝、「昨夜こんなこと言ってたけど、覚えてる?」と訊いた。「なんだそれ」と、全然覚えていないらしい夫は腹を抱えて笑った。「なんでタマを黒くせないかんのだwwww」。あなたがそう言ったんです!
酔っぱらいの多くは、酔うと最初は喋る文章がぐだぐだ長くなり、更に酔っぱらうと今度は短くなる。間をすっとばすので意味不明になっていく。訊いても同じ言葉を繰り返す。だから説明不足なのはわかるけれども、「真っ黒」が変だ。こういう言い間違いも、無意識の願望の現れなのだろうか。確かに黒猫が好きだとは言っていたが、でも実際に口にしていた以上、それは抑圧された願望ではないわけだし‥‥。
もしかしたら、自分が猫の立場になっているので、「あ、誰もいなくなって急に暗くなったニャ。テーブルも黒い。椅子も黒い。テレビも黒い。何もかも黒く見えるニャ。真っ黒だニャー」とか変換して、つい「真っ黒」と言っちゃったのかニャ?