ブコメにお返事

先日のこれが男の生きる道?- 上野千鶴子vs澁谷知美、‥‥‥そして橋本治についたブックマークコメントのいくつかについてコメントを返したかったのですが、ブコメでは書ききれないので、エントリ立てました(追加あるかも)。再度のご意見などありましたら、当コメント欄に直接頂ければうれしいです。


http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100117/1263733408

id:kmiura 家事を見事に搾取しているのが日本のコンビニ文化だと思ったりする。自立のアウトソーシング、みたいな。


外食産業もそうだということになるでしょうね。毎日コンビニ弁当やマックだと飽きるし栄養が偏るし、たぶん野菜不足で病気になり易くもなるでしょうが、それでも構わないという人に「自分で作れ」とは言えないです。でも、コンビニを利用したら「生活の自立」を果たしていない‥‥ということにもならないと思います。私も時々デパ地下でお惣菜を買いますが、別に罪悪感は覚えません。
家事は食事の支度だけではなく、家の中の生活にまつわるあらゆることがあります。まだ何もできない小さい子供の頃、母親かそれに替わる人がすべて面倒をみてくれていたことです。丁寧にやろうと思えばキリがないし、だいたいでいいやと思えばそれで済んでいきますね。


id:angmar コンビニがそうなら電子レンジ洗濯機掃除機も家事の搾取だな/自立のススメは楽に生きる処方箋と同じくらい提示が難しいと思うけれども。


前半:家電の発達で家事が便利で楽になるのは、とてもいいことですよね。それだけ家事に対するハードル、参入障壁が低くなって、誰でも「これなら自分でやれる」と思えるわけですから。


後半:「楽に生きようよ」はメッセージとして優しいです。それに比べて「自立しようよ」はウザがられると思います。でも20歳前後の人達と接していて、耳に優しいことばかり言っていてもしょうがない、という気持ちはあります。
「自立のススメ」とは私が書いた三つの自立について言っているのか、橋本治の文脈(重なりますが)なのかわからなかったので、まず私の方から。
「生活の自立」が難しいのは第一に、若いうちに親元から離れて生活する機会を得ることが難しいからです。それが可能な人は、曲がりなりにもせざるを得ませんが、実家にいればあまりしないで済みます。実家にいてやっている人もいるでしょうが、母親は(特に男の子には)いつまでもあれこれ面倒をみることが相対的に多いだろうと思います。父親も滅多に家事などしない。そうしていれば、なんで家事能力なんかつける必要がある?というふうに思って普通です。
ハウスキーパーとコックを雇える経済力がない限り、家事なんかできなくても一生困らないという人はいないでしょう。結婚したら妻が全部やってくれるだろうということも、今やあまり期待できません。そもそも結婚するかどうかもわからない人が多い。パラサイトシングルのまま、家事も含めて親の介護をすることになるかもしれない。だから若いうちに基本的なことは一通りできるようになっておくのがベストだと思います。「自分のことは自分で」に慣れておくということです。歳をとってからでは何事も億劫になります。
料理について個人的に付け加えれば、お金がなくても安い旬の食材でちゃちゃっと何か作れるとか、家族や友達に食べさせて「おいしい」と言われるのがうれしいとか、そういうことは些細だけれども、この世知辛い世の中というか厳しい人生をサバイバルしていく上で大切なことだと思っています。
「経済の自立」については、若い人にとっては最近だんだんと難しいことになってきているので、何が何でも自活せよなどということは言えませんが、事情の許す限り目指した方がいいと思っています。もし自分一人が暮らしていく分が稼げなくても、そういう人が三人集まったらなんとかなるということはよくあります(もっともこうした相互扶助は誰でもできるというものではないので、最終的にはBIの導入の方に期待したい気持ちがありますが)。
で、橋本治の言っている「自立」(「一人前になる」)には、「自分の生き方をつらぬくためには、人に嫌われることをいとわない」という「精神の自立」が根底にあります。これはなかなか難しいことです。「無駄な波風たてずに楽ちんに生きるのが私が主体的に選択した私の生き方なんだから、これで私は精神の自立をしていることになるんだ」なんてへ理屈は一蹴されます。
私としては若い人には、「もっと楽に生きようよ」より、こちらの自立をおすすめしたい。既にそういう自立を果たした者の立場からではなく、未だ自立途中の者の立場から。それは難しそうなことだからこそ、です。
ただ、澁谷知美の言う「男が楽になること」も、まずはそれまでの「男はこうあらねばならない」という規範から積極的に離れることでしょうから、そのタイプの男やそういう男を支持する女には嫌われるかもしれないわけで、その意味では「精神の自立」を目指すことになるのかもしれません。


id:letterdust 大野さんの文章はいつもどことなく「コンサバティブなこだわり」が底にある気がする名古屋嬢フェミ。「気楽になれば?」と無責任になっていいとおもうんだけどなあ。


「コンサバティブなこだわり」について、できれば具体的に指摘して頂けますか? この記事についてでも結構です。ちなみに名古屋嬢におけるフェミニズムとは、実家から離れず年収600万以上と結婚して専業に収まり姑とうまくやりながら夫を尻に敷くことです(どうでもいいですがw)
「○○しなくちゃいけないんじゃないか」(男子なら、将来は結婚して家族を養わねばならないとか、正社員にならねばならないとか)にこだわっている学生には、肩を叩いて「もう少し気楽になれば?」と言いますが、芸術系の大学なのでたぶん普通の大学よりずっと人生を気楽に考えている学生が多いのです。私もそうでした。そういう意味での「気楽になれば?」「楽に生きれば?」は、言ってもあまり意味ないんですよね。まあ私を見れば、こんな人でも結婚して夫ともども非常勤で好きなことしながらだらだら生きてこられるのかと、ますます油断するでしょう。
澁谷知美はフェミニストですから、「気楽になれば?」の中身は上記のことを言いつつ、当然、ジェンダー規範から自由になれば?それ以外にもう君らの生きる道はないよということで、その点では「性別に関わらず自立を目指そう」とフェミ的に極めて凡庸なこと(凡庸過ぎて恥ずかしいかもしれない)を言ってる私と、根本的なところでは大して変わらないと思います。微妙なスタンスと語り口の違いかと。そのあたりには「コンサバティブなこだわり」があります。




http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100117/1263733408

id:aozora21 メタブ 自立しててもボケるときはボケるのよね…。必要に迫られれば飯ぐらい炊く。こうあらなければならない、というのからできるだけ開放されたいと思うし、それが私の考える自立かなあ。


歳をとってボケたら、それまで自立してようがしてまいが、どんな人でも人の世話になるのは当たり前ですよね。だからと言って、最初からいかなる自立も目指さなくていい、どうせボケるんだから、という理路にはならないと思うのですが、いかがでしょうか。「必要に迫られれば飯ぐらい炊く」はその通りだと思いますが、では当面必要に迫られてはいない学生に授業で「まずは生活の自立を目指してください」などと言う必要はないというふうにお考えですか? 
ちなみに「こうあらねばならない」からの解放=自立とは、橋本治が一貫して言っていることです。そして「こうあらねばならない」というあらゆる規範から自由になって「自分で自分の生き方を決める」のは、そんなに簡単なことではないとも思います。
あと本題に関係ないですが、ちょっと気になったので伺います。なぜ最初からメタブコメなのでしょうか。ブコメのどれかに当てたものなのかと思いましたが、よくわかりませんでした。