1967年の「みらいへのけんせつ」

放射性物質にさらされた世代 - 続・たそがれ日記


ブックマークコメントで「そう言えば雨に濡れるとハゲると言われた」といったコメントが散見されたが、これ「酸性雨」のつもりで書いている人も混じってないかな?とふと思った。「放射性物質を含有する雨」と「酸性雨」はまったく違うものですよね。
酸性雨は工場などの大気汚染によってもたらされる硫酸や硝酸を多く含む雨で、森林被害や湖沼の汚染、土壌汚染を引き起こす。19世紀末から1970年代にかけて重工業化が急速に進んだことで発生した。その雨に濡れたらハゲるというのは聞いたことがないが、酸性だから毛根にあまりいい影響はないと思う。『ブレードランナー』(1982、リドリー・スコット監督)でしとしと降っていたのはこれ。
放射性物質を含有する雨はウランやセシウムを含んでおり、もちろん土壌や河川を汚染するが、人体への被害としては、一定以上の放射能を帯びた雨に打たれると白血病に罹り頭髪が抜け落ちるという症状が出る。*1 広島で原爆が投下された直後に降った雨は誰も危険と知らず、溜まった雨水を飲んだ人もいたそうだ。井伏鱒二原作の映画『黒い雨』(1989、今村昌平監督)では、ヒロインを演じた田中好子の長い黒髪がごっそりと抜け落ちていく様が描かれていた。


ところで冒頭の記事で触れられている昭和30年代、1955〜64年の間の生まれに私も属する。生まれた時からさまざまな環境汚染があり、知らず知らず有害物質を身体に溜め込んできたらしい、高度経済成長期前期の被汚染世代(?)のちょうど真ん中だ。
「公害」というのが社会の時間に最初に習った「しゃかいもんだい」で、煙をモクモクと吐き出す四日市のコンビナートや、カドミウム汚染のイタイイタイ病の患者の姿をテレビで見た。もちろん足尾銅山鉱毒事件のように明治時代から公害はあったし、酸性雨は世界中で降っていたが、「公害」という言葉が人々の意識にはっきり刻まれるようになったのは60年代後半からだと思う。
公害問題が、国会でも重要な政治課題として集中的に審議されるようになったのは1970年頃から。71年に環境庁が設置され、本格的な取り組みが始まる。光化学スモッグが問題になったのもこの頃だ。


一方で、60年代の小学生に、未来は常にとてつもなく明るく眩しいものとして提示されていた。
たまたま手元に子供の頃買ってもらった『68年版3年の学習年鑑』(学習研究社、1967年10月発行、定価400円)という本がある(4、5、6年のもあったはずだが紛失)。
 
今では皇族の子供くらいしか着てなさそうな、女の子のクラシックなワンピースが時代を感じさせる。真ん中の写真は全日空が64年に採用したボーイング727と思われる。


 
手塚治虫の描く未来都市みたいな口絵。色が人工着色料のようだ。以下、解説文。

 ライトをあびて、夜空に美しくかがやく大げき場。花びらのように開いた美じゅつかん。
 これは、わたしたちのみらいの都市にできるたてものです。
 住みよい、べんりな町や都市にするために、わたしたちの土地は、新しくみらいへむかってつくりかえられているのです。

学習雑誌やその類いのものは、いつ頃までこういう「夢のような未来」の図像を掲載していたのだろう。


 
住居が蜂の巣みたいな超高層マンション。右下に内部のイラストがある。耐震構造は大丈夫か?なんてことは昔は思わず、ひたすら「スゴーイ」と眺めていた。左の写真は建設中の霞ヶ関ビル


 
海の上にもどんどん建設しちゃうぞーと。今見ると堤防を描いてないのがちと不安。


1967年当時私は8歳だから細かい記憶は曖昧だが、「10万馬力」の原子力をエネルギー源にする鉄腕アトムのマンガやアニメに夢中だった。水爆実験が原因で生まれたゴジラの映画に男の子達は夢中になっていた。
調べてみると1967年は、ソ連の宇宙船ソユーズ1号が着陸に失敗して宇宙飛行における初の犠牲者を出し*2、中国が初の核実験を行い、日本では四日市ぜんそくの患者が初めての大気汚染訴訟を起した年である。でも子供向けの読み物には、衒いのない前向き感が満ち溢れていた。子供向けである限り、いつの時代もそうなのだろう。表面の見かけは変わっても。


1960年代に子供が考える「21世紀」は、まるで銀河系の遥か彼方を想像するくらい遠い遠い先のことで、まったく非現実的だった。ただ科学技術への無邪気な信仰と、「夢のような未来」が来るという信念だけはしっかり植え付けられていた。
60年代の子供は皆、図工の時間に一回は「未来都市」というテーマで絵を描かされた(んじゃないだろうか)。メカニックなものが苦手だった私は、巨大なお菓子の家みたいなファンタジックな建物がたくさんの花に囲まれて林立している、童話のような絵を描いた記憶がある。私一人が脳天気だったのではない。みんな似たり寄ったりだった。未来とはSFの世界だった。
SFにディストピアというジャンルがあるのを知ったのは、ずっと後だった。

*1:追記:脱毛は一度に大量の放射線を浴びた場合に起こるらしい。http://square.umin.ac.jp/jin/text/hibaku.html 白血病に罹って(から)頭髪が抜けると書いたのは誤解を招く書き方でした。

*2:追記:失敗はあらかじめわかっていたらしい。http://www.gizmodo.jp/2011/03/post_8720.html