イブの日の葬儀

一昨日と昨日、知人の通夜と葬儀に出席した。
夫を通じて知り合い、いろいろ御世話になった先生である。癌が見つかって入院されているのを人づてに聞いた時は既に面会謝絶の状態で、それから一ヶ月足らずで亡くなった。70歳。秋に拙書を送ったのに丁寧なお礼状を頂いたのが最後だった。


通夜と葬儀に出たと言っても、夫と私は受付係を頼まれていたので、始まるかなり前に会場に行き、儀式が執り行われている間のほとんどの時間は、寺の境内にある葬儀会館の外に張られた受付テントの中にいた。
元職場の大学関係の記帳が4つ、友人関係が2つ、親族が2つで、受付係は総勢15、6人。最初に葬儀屋さんが細かい手順を説明し、それぞれのグループで打ち合わせをして、始まる1時間前からそこで待機ということになった。
弔問客に住所と氏名を書いて頂き、お香典を受け取り、帰りにお持ち帰り頂く供養品や即返し品などの引換券や駐車場のチケットを渡す。住所氏名の上に番号を振っておき、後で簡単に照合できるように頂いた香典袋の裏に同じ番号を書いて、後ろにいる香典管理係の人に渡す。仕事としては簡単だが、場合が場合なので粗相があってはいけないと少し緊張。


境内の入り口から葬儀会館までは、ざっと100メートルほどはあるだろうか。通夜は暗くなってからなので人通りはないが、昼から行われた葬儀の前の時間帯は、犬を散歩させている人、参詣の人、家族で散歩している人などがポツポツ行き交う。その中をやがて喪服の人が一人、また一人とこちらに向かって歩いてくるのが小さく見える。
日常的なのどかな風景の中から離脱してくる黒い人。その人がだんだん近づいてくると、たまに「あ、○○さんだ」などとわかる。弔問客からしたら、遠くからテントの中の十数人の喪服集団に一斉にじっと見つめられながら歩いて来るのは、随分居心地が悪いだろうと思う。


テントの中には大きなストーブが焚かれていたが、寒波のせいでとにかく寒い。通夜よりも翌日昼間の葬儀の間の方が体感的に寒さが増しているようで、足下がしんしんと冷える。人一倍寒がりの夫は15分置きくらいに「さびー」と言って席を立ち、後ろのストーブで足を暖めていた。
「ズボンの下にスキータイツ穿いてくればよかったのに」
私もタイツを二枚穿きしてくるべきだったと思った。それとホカロンと膝掛け。
突然夫の携帯がけたたましく鳴った。後ろを向いてヒソヒソ声で、
「今、葬式なの。葬式の最中で、受付やっとるの。ほんじゃ」
「誰?」
「Kから。メリークリスマス!だってよ」
K君はこちらとは関係のない地元の若い友人で、夫とよく遊んでいる。いつものように電話をしたら葬式中だと言われて、さぞ驚いただろう。


通夜ではお焼香の時だけ一時的に中に入って、すぐ受付に戻った(遅がけに来る人がいるため)が、葬儀ではお焼香の少し前から入って最後まで参列した。
遺族の方の顔が、参列者の頭の間から見えた。お子さんを連れた二人の娘さんが、泣き腫らした目をしていた。昔、お宅を訪れた時は下の娘さんがまだ小学生だったなと思い、お酒の好きだった故人のやや訛りのある温和な喋り声を思い浮かべ、もう二度とその声を聞くことはないのだと思ったら、それまで出なかった涙がどっと溢れてきた。一度溢れてくるともうハンカチを当てっぱなしだ。
隣の夫も眼鏡を上げて、何度か目のあたりを押さえていた。考えてみれば私より夫の方が先生との縁はずっと長く、大学浪人の頃からの知古なので、内心かなり堪えていると思う。
献花を終え、出棺。男性が8人くらいで柩を持った。バタンと閉まる霊柩車の扉。長いクラクションと「出棺です!」の声。人々に見送られてゆっくりと遠ざかる車。先生、さようなら。


この一年で、親戚を含めて知人が6人他界し、そのうちの3人が50代だった。あとは70そこそこの人が2人。天寿をまっとうしたと言えるのは、88歳で亡くなった夫の伯父だけである。平均寿命はこれから短くなっていく傾向にあるのだろうか。
来年は、「まだ若いのに」「まだ早いのに」と思いながら人を見送ることがありませんように。