描くこと、似た人

見送りの準備
[父]タグのダラダラ長い記事に100以上もブックマークのついたのは初めてで、ちょっと驚いた。
その中の一つ。

elve <妄想>コレ描きながらも泣いてそうだなぁ、と思った。楽しくて哀しくて大変な作業だったろうなぁ〜。</妄想> 2013/10/05
http://b.hatena.ne.jp/elve/20131005#bookmark-164140478


その「妄想」は当たってないです。デッサンしている間は氷のように冷静で、どれだけ似せるかという観察と比較に集中するので。
冷静だけれども、一方で気持ちがいい。1時間を過ぎた頃に「お、めちゃ似てきた」と思い、おかしくて少し笑ったくらい。「哀しい」という感情は最後まで湧いてこなかった。
父の顔を写真からデッサンに起こすのも、目の前の丸めたティッシュを克明に描写するのも、私にとっては同じく対象を観察し情報を写し取り、そこにあるかのように演出することで、それ以上でも以下でもない。見る人がそこに自分の感情を乗せるのだ。


さて、前の記事で父の若い頃について「俳優の瑛太に似ている」などと書いて、70代の頃の父の絵だけ上げておくのは何か瑛太さんに悪い気がするので、ちゃんと比べてみよう。

↓34歳頃の父を母が撮ったもの。瑛太に似てないこともないが、小栗旬にもなんとなく‥‥というか、ミスチル桜井和寿


誰でも生涯のある瞬間に「(有名人の)◯◯に似ている」と言われることが、一回くらいはあるのではないかと思う。しかしいくらその時そっくりでも、たとえ骨格から目鼻立ちまで似ていたとしても、それぞれ違う環境で違う運命を生きていくのだから、その後の顔は違ってくる。
だから瑛太さんの40年後の顔も、私が描いた父の顔とは相当違うんじゃないかと思うがどうだろう‥‥。
40年後、私はおそらく生きていないので、確認できないのが残念だけど。


おまけ1

前の記事で、(父の)「兄が旧帝大に進学した時、上野の不忍池のほとりで兄弟二人が記念撮影した写真があった。角帽を被り丸眼鏡にマントを羽織った兄は少々カッコをつけて横を向き」と適当に書いたが、よく見たら不忍池じゃなくて、本郷キャンパス三四郎池のようだ。兄はマントではなくフロックコート姿で、この時もう大学院。父が旧制中学に入った当時で、名古屋から汽車に乗って一人で東京の兄を訪ねた時のもの。昭和11(1936)年頃。


おまけ2

10日ほど前に、老人ホームの父を訪ねた時に描いた、ボールペンのスケッチ。どうやったら徐々に死に向かう人の顔になるか腐心した。哀しくなって描く手が止まってしまうということはなかった。そういうものだと思う。