いつか王子様が

熱狂の正体

先週から今週始めにかけては、ペ・ヨンジュン来日報道ばかりであった。ファンのオバサン達の過熱ぶりもピークといった感じだ。ペの行くところ日本人女性の群れあり。
今なら彼がどんなことを言っても、オバサン達は従うだろう。「ソウルで僕と一緒に新年を祝いましょう」と言われたら、もちろんみんな大挙して行くはずだ。「僕と一緒に死んでください」と言われたら、喜んで死ぬかもしれない。


先週の報道ステーションで古館が、
「かつてビートルズ来日の時に熱狂した人と、今回ヨン様に熱狂している人は世代的には一致するところはあるが、実際は一人も重なっていないと思う。スターに熱狂するという体験は一度だけのもので、ビートルズで卒業しちゃった人はヨン様には行かないのではないか」
といった、ハテナ?なことを言っていた。何を分析し出したかと思いきや。河野アナもリアクションに困っていた。
古館のコメントは、ヨン様おっかけの女性達は普通若い頃に済ませておくべき通過儀礼をし損なっていて、大人になって醜態を晒しているという意味を含意しているのであろうか。少女のエネルギーの発散はまだ見られるが、オバサンのそれは見苦しいと。
たぶん日本中のヨン様ファン以外の人が、テレビを見て多かれ少なかれそう思っているだろう。


しかしオバサンが見苦しくなってしまうのは、オジサンの責任も多少あるんじゃないかとみんな何となく感じているので、分別ある人はあまり表立って不快感を露にしないできた。
あんなニヤニヤメガネのどこがいいんだなどと漏らすと、ほとんど韓国の男に嫉妬しているように聞こえかねないし。もう何をやってもペの一人勝ちだから、嵐が過ぎ去るまで黙ってやり過ごすしかない。いや少しでもペ関連商売に乗じておいた方がトク。


話を戻す。
ビートルズペ・ヨンジュンとでは方向性もジャンルも違い過ぎな気はするが、女性ファンの熱狂の共通点はもちろん、抑圧された性的欲望の一点集中である。
ああしたスターへの熱狂が人生に一回もないまま済んでしまう人もいれば、何回となく訪れる人もいるだろう。要は個々の環境と沸点の問題である。


女の子達はやがて、ビートルズ(あるいはその他のアイドル)以外に転移対象(異性)を見い出して、次第に浮かれるような熱狂からは遠のいていく。そして、現実の異性は王子様ではないということを、その後の30余年で学ぶ。
カッコよくて優しい男など、巷には存在しない。そのことを身に沁みて知った中年以降になって、仕事でも結婚でも育児でも昇華されなかった悶々たる思いは、普賢岳のマグマのように噴出する時を待っていた。そこに純愛ファンタジーを体現する王子様が現れ、再び欲望に点火されてしまった。
簡単に言うとそういうことだと思う。


しかしビートルズペ・ヨンジュンは、一つ本質的なところで違っている。
ビートルズビートルズだが、ペ・ヨンジュンは、あくまで冬ソナのチュンサンだということである。冬ソナという虚構を経由してからでないと、ペは転移の対象とならない。
オバサン達が見たいのは、目の前で動いたり微笑んだり手を振ったりしてくれる、あの優しいチュンサンの「実物」なのである。オバサン達に物語と現実の境目はない。
実際につきあうことはない雲の上のスター、いや物語上の人物に対しては、こちらの思いをどれだけ昂進させても拒否されない。失望したり傷つくこともなく、リスクなしの永久脳内恋愛を楽しめる。そこに没入していれば、苛酷な現実を見なくて済む。
苛酷な現実とは、「容貌が衰えて女とは看做されなくなったので、色っぽいことからは降りている中年女」という損なポジションを初めとして、いろいろある。そうした中年女性にとって、冬ソナが猫にマタタビだったのは当然だ。


冬ソナのラストは唐突だったが、後で考えるとあまりにもよくできていた。
失明したチュンサンとユジンとの再会。これで、恋人の中に永久に若く美しい頃の自分の姿が焼きつけられたままで、ユジンは安心して歳をとっていくことができる。男と女という潜在的上下関係に障害者と健常者という非対称性が加味されて、盲目の王子様に寄り添う聖母マリアのごとく美しい自画像も完成される。かゆいところに手が届くような結末とは、このことだ。
中年女性の欲望のツボにはまりまくりの純愛ドラマのラストシーンについて、ヨン様フィーバーばかり取りあげているメディアは、ちっとはまともな考察をしてほしい。

「負け犬の星」

一昨日の夕方のニュースでは、単独でおっかけしている36歳の女性をリポートしていた。
「色っぽいこと」から早々と降りた女性という感じでもない、並み以上の容姿。年齢的に見ても、永久脳内恋愛に行くには早過ぎる。一人、手製と思われるハッピを来て韓国語のプラカードを頭上に掲げ、キンポ空港の警備員と揉み合っている彼女の姿を見て、「これまでに何があったのか知らないけどさ‥‥」という言葉が脳裏を掠めた。


「色っぽいこと」から既に降りているのではないかと危惧されていたのは、紀宮である。地味な容姿が、その危惧に拍車をかけていた。「これまでに何があったのか知らないけどさ‥‥」という下世話な勘ぐりすら起こらない。30過ぎても、なんだかいつも菜の花畑の真ん中でニコニコしている幼女のような感じからして、そういう想像がしにくい。
「何があったのか」というより「何もないのか。何かないのか」という世間の目をウザったいと思ったのだろう、8年前には記者会見でその手の質問には答えないと言った。
あの時は私も、少し紀宮に同情した。そりゃ嫌でしょう、毎年「彼氏はまだ?」と報道陣に聞かれてちゃ。「うるさい!ほっとけや」と言いたくなったと思う。


彼女がアニメージュ読んでてジブリファンで同人誌も出していたという話を知ってから、異性の影がないのが一層腑に落ちたような気はした。眼鏡かけてた時なんか特に、漫研に必ず一人はいそうな普通のおたくの女子に見えたし。
もしかすると鳥類の研究なんかより、ずっとアニメや漫画に没頭していたかったのでは。
日本を代表するサブカルチャーと言われるアニメを、皇室の独身おたくの姫が研究しているというのも悪くはない。カーマニアで母親と同居の都庁職員39歳と結婚するよりは、楽しそうではないか? 


紀宮の婚約が決まって、それまで諦めモードだった世間の反応は判で押したように「よかったよかった」である。
普通は地味な30半ばの女が結婚しないでいると「相手がいないもんね」と当然のごとくあしらわれ、婚約したらしたで「よく相手が見つかったね」と陰で揶揄される。男の場合も金と地位がなければそうであるが、女に対する視線は苛酷だ。「結婚するなら若い美人」と思っている男が多いので、仕方ない。
紀宮は普通の人ではないので、誰もそういう失礼なことは言わない。しかし紀宮にも、そういう世間の雰囲気だけはなんとなく伝わってくる。
さぞ憂鬱だっただろう。今回の祝福+すごい安堵ムードも、内心きっとムカついてるだろう。私ならムカつく。「私の結婚に関係ないあんた達が、なんでそんなにほっとするんだよ」と。まあ皇室の人が何を考えているかなんてことは、私の想像外なのだが。


しかし、上の二人は男に生まれたというだけで皇室に居残れるのに、女に生まれたばかりに人生の途中で生活の激変を余儀無くされるわけである。昨日まで様々な人に仕えられていた身分であったのが、今日からは自分が夫と姑に仕える身分。逆シンデレラ物語だ。いずれにしても皇室って、ジェンダーの観点から見ると日本一時代遅れの場所である。
一般人になったといっても、好きなマンガ雑誌買いまくるとかコミケに出店するというわけにもいかないだろう。したらいいと思うが。普通の主婦は韓国人俳優追いかけ回しているんだし、やっと日本一自由のない「負け犬の星」の座を降りるのだから、紀宮もたまにナウシカのコスプレくらいしたって許されると思う。


これまで「あのサーヤだってまだなんだから」と言ってきた人は、「サーヤが結婚できるのだから、私だって」と思っているのか。「ついにサーヤも結婚してしまうのに、なんで私は」と思っているのか。「裏切り者!」と思っているのか。
紀宮と比べるのはなんだが、林真里子が結婚した時、独身だった私の友人は「もうショックでさぁ。あの人は結婚しないと思ってたのに、結構まあまあの人つかまえちゃって」とやっかみ気味にこぼしていた。


今似たような感慨を抱いている人は多いかもしれない。
でも少なくともあのヨン様命の36歳の女性には、カーマニア39歳都庁職員なんて、ちっとも魅力的には見えないだろう。彼女と紀宮とどちらが幸せ/不幸かというのは、難しい問題だ。