日本の純愛史 5  国民的ドラマの登場 -戦後 (1)

戦前から戦後にかけての大衆娯楽は、映画と芝居とラジオである。そこで楽しまれるエンターティメントは、戦前なら「お国のために一身を犠牲にすることをいとわない」ナショナリズムが台頭した中での束の間の息抜きであり、戦後は、生活を立て直し明日に希望を繋いでいく中でのささやかな楽しみだった。
こうした中で、幅広い大衆の心を捉えた純愛エンターティメントは、定番の「障害のある恋物語」だ。戦前、戦中の代表が『愛染かつら』(川口松太郎原作)、戦後は『君の名は』(菊池一夫原作)。
圧倒的に不利な立場で辛酸を舐めるのは、またしても女の方。世の中の偏見と社会制度の壁という障害が、ヒロインたちの前に立ち塞がる。
そういう気の毒な女が耐えに耐えて、最後にめでたく幸せを掴むという話である。幸せを掴むまでは、簡単に病死したり心中してなるものかという意地が、ヒロインの中に芽生えてきたところがそれまで少し違う。つまりあくまで女性目線で女性の受け手を意識して描かれたドラマである。


『愛染かつら』は昭和十三年の田中絹代に始まり、水戸光子京マチ子岡田茉莉子といった当時の錚々たる女優の主演で、戦中戦後にわたって何度も映画化されている。霧島昇という戦前のスター歌手の主題歌『旅の夜風』(♪花も嵐も踏み越えて)も、昭和十三年当時で一二〇万枚という驚異的な大ヒットを記録。昭和四十年代にもしつこく昼メロとなってお茶の間に登場していた、メロドラマのロングセラーである。
映画は人気に乗じて作られた続編、新編、完結編などがあるが、ここでは最初の物語ー子持ちの未亡人看護婦と青年医師との、身分差とすれ違いゆえになかなか結ばれない恋ーに沿っていこう。


青年医師津村浩三は博士号取得の祝賀会の席上、自分のピアノ伴奏で美声を披露してくれた看護婦高石かつ枝に一目惚れする。浩三の求婚に対して、かつ枝は子持ち(五歳の娘を姉に預けて働いている)という自分の身の上を言い出せず悩むが、相手の熱意にほだされて愛を誓い合い、病院長である浩三の親の大反対を逃れるべく、京都での結婚を約束する。
しかしかつ枝の娘の急病によって彼女は約束の列車に間に合わず、彼女をあまりよく思わない周囲や、わずかなすれ違いのために幾多の誤解を生んだまま関係が途切れてしまっていたところへ、かつてレコード会社に応募した作曲「愛染かつら」が一等となり、彼女は才能を認められて歌手デビュー。看護婦姿で舞台に立ち、満場の拍手を浴びたかつ枝のもとに、誤解の解けた浩三が駆けつけてめでたしめでたしとなる。


ちなみに「愛染かつら」とは、その樹の下で誓い合うと必ず結ばれると言い伝えられている桂の樹のこと(決して頭にかぶるカツラではない)。
ナースの制服で歌うというのはまるで椎名林檎の昔のビデオクリップみたいだが、もちろんそういう"自己表現"ではない。かつ枝は昔の看護婦仲間が応援に来てくれたと知って、わざわざ白衣姿で舞台に立つのである。
地味な看護婦が華やかなステージに‥‥というギャップが、庶民の女の「夢」を現している。


私が観たのは京マチ子版だが、西陣織のお召し物がぴったりくるようなゴージャスな美人なので、白衣があまり似合わない。まるで藤原紀香が看護婦役やらされているかのようなコスプレ感だった。
そのかつ枝に、鶴田浩二演じる浩三はパーティで会ってから間もなく、縁結びの桂の樹の下で「結婚して下さい!」と強引にプロポーズ。いきなりそんなことを言われたら「実は子どもがいて」などとは言いにくいだろう。
荒唐無稽と言えば、大変荒唐無稽な話である。鶴田浩二の古典的な男前と京マチ子の美貌を楽しむための、ビジュアル優先な作品だ。
もともと原作は、雑誌『婦人倶楽部』に連載されたものであり、それほどのヒットになるとは思わず映画化されたらしい。そして上原謙田中絹代というこれまた当時きっての人気俳優による第一作は、「愚作の見本」とまで酷評されたという。
しかし批評家にコキ下ろされようと、大衆にウケたという事実は重い。戦時下という耐乏生活の始まる時期において、数少ない娯楽であった映画で描かれた、地味な女が「花も嵐も踏み越えて」日の目を見るドラマ。日本人の四人に一人が映画を見ていたと言われる。
貧しいが美しいシングルマザーが、医者に惚れられ歌手になり、最後に幸せを掴む。子供、恋愛、人気職業。女の欲しいものが(結婚以外)すべて揃っているのである。


しかしよく考えると、かつ枝は常に「待ち」の姿勢である。結婚を熱望されて承諾し、誤解が生まれれば身を引いて、浩三が来てくれるのを待っている。どうも「私なんて」という卑下意識が、情熱を上回っているようにさえ思える。
そしてまた、いくら独身でも子を持つ母親が恋に走るなどいかがなものか?という世間の思惑が、かつ枝の行動を牽制している。娘が熱を出さず、かつ枝が浩三と京都ですんなり落ち合えたら、観客は納得しなかっただろう。
だいたい子持ちの女が金持ちのボンボンに求婚されるというだけで、女性の嫉妬を買う。だからそういう女はあまり積極的になってはいけないし、自信満々じゃいけないのだ。まあ一回くらいは諦めて苦労してもらわないと。
職業婦人として自立を果たし、母の役目も立派に果たし、じっと我慢してようやく「上昇婚」の可能性大の恋の成就に漕ぎ着ける。それが、貞操を守って頑張ってきた恵まれない女へのご褒美だ。 





『愛染かつら』より手の込んでいるのが、『君の名は』である。
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物語は長いがざっと以下の通り。
空襲の最中、数寄屋橋のたもとで運命の出会いをし、半年後の再会を約束した後宮春樹と氏家真知子。
約束を守れなかった真知子は春樹を探すのに疲れ、見合いの相手で春樹の捜索に協力してくれた浜口の誠実さに惹かれて求婚を承諾する。
結婚式前日にずっと真知子を探していた春樹と偶然再会するも、泣く泣くお別れに。しかしその後、また偶然にも春樹が浜口の会社に入ることとなり、出会いがあって恋心が再燃、それを知った夫の嫉妬と姑の虐めに苦しめられて悩み抜く。
舞台は東京から佐渡、鳥羽、北海道、九州各地と全国に渡り、子供を流産し病に倒れ、ようやく離婚が成立して、真知子の病の床に出張先のアメリカから春樹が駆けつけるというコテコテのラブストーリーである。
真知子は、『金色夜叉』の宮の弱さと、『野菊の墓』の民子の不幸を受け継いでいる女だ。明治の宮や民子と同様、戦後の真知子にとっての壁は、やはり「家」である。民子の怨念が、やっとのことで真知子を離婚に導き、春樹を病床に招き寄せたと言える。


昭和二十七年から二十九年(一九五二〜五四)にかけて、NHKラジオ第一で放送され一世を風靡。放送時間帯は、全国の銭湯の女湯がガラ空きになったという伝説まで生んだ。
昭和二十九年から翌年にかけて三部作の映画(佐田啓二岸恵子主演)となり、延べ三千万人を動員。結ばれそうで結ばれないハラハラドキドキのメロドラマに女性たちは夢中になり、岸恵子のアラブ人のようなストールの巻き方は、「真知子巻き」と言われて大流行し、映画のロケ地には観光客が押し寄せるという社会現象を生んだ。
ヨン様巻き(マフラー)が流行り、ソウル郊外のロケ地に「冬ソナ」ファンが押し寄せたのと似たものがある。とにかく純愛ものは、女性をあらぬ方向に暴走させるようである。
ラジオドラマの長さが、おそらくヒットの要因だろう。テレビの大河ドラマだって一年で決着がつくところを、二年もひっぱっているのである。その間に、真知子のせっぱつまった思いがどんどん蓄積されていくのに比例して、ラジオにかじりついているリスナーの中にも同様の思いがどんどん膨らんでいく。
早く二人を結びつけてあげて。真知子と春樹を会わせてあげて。浜口さん、いい加減諦めてあげて。
二十話もあった連続ドラマ「冬ソナ」に釘付けになって、チュンサンとユジンとサンヒョクの三角関係に盛り上がっていく視聴者の心情と同じである。


『愛染かつら』と同様、『君の名は』でも、二人がどういうふうに惹かれ合っていくかというプロセスは重要視されていない。出会ってすぐ恋に落ちる。空襲の一夜に偶然会っただけで「半年後の今日ここで」と重要な約束をしてしまい、名前も何も訊く前から運命のひと目惚れだ。
非常事態の最中に恋が生まれるというのは時々あることらしいが、いきなり相思相愛になれるのも、それをあそこまで長く引っ張れるのも、面食いの美男美女にしかありえない話である。
美人女優の誉れ高い若き日の岸恵子は、大人しくて幸薄い日本人形みたいな顔をしており、化粧も常にパーフェクト。
佐田啓二は「和製グレゴリー・ペック」(『ローマの休日』の俳優)と言われた甘いイケメン。顔だけで、浜口の嫉妬を掻き立てそうだ。
その浜口演じる俳優は、真面目な人と嫉妬に狂うサディストの両方を完璧に演じられる顔。
顔を見ればそれぞれの役柄とキャラがわかるようになっている。


おそらく真知子がああいう顔をしていたから、周囲の人々が同情してあれこれと手助けをしたのである。
彼女の女友達は春樹に惚れていながら、彼ら二人を出会わせるべく出しゃばり過ぎとも思えるほど立ち回るし、浜口の上司は家出した真知子の見請け人をわざわざ買って出るし、「春樹以外と結婚するなら離婚してやってもいい」などと意地悪を言われて困っている真知子に、偶然雲仙で知り合った男は偽装結婚に協力しようかと申し出る。
もともと浜口だって、相手が美しくはかなげな真知子だったから、お見合い相手の尋ね人探しなどという、自分には何の関係もないことを親切に手伝ってやったのである。つくづく、美人って得だよなと思わざるを得ない。
恋愛するのに美人であることは条件だと思わせるサブリミナル効果を、すべての恋愛ドラマは持っている。美人であればステキな人と結ばれるという話は、説得力がある。
だから恋愛したい女性は、オシャレや化粧に投資することになるのだ。恋愛と消費は分ち難く結びついている。



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『君の名は』も『愛染かつら』も、積極的になるのは男の方だった。度重なる障害の前に挫折しがちな弱い女のもとに、最後に駆けつけるのも男の方。
障害は、いずれも「家」である。『愛染かつら』では女を入れまいとし、『君の名は』では女を出すまいとする。
一方ヒロインは、不幸に対しても幸福に対しても受け身で、「おしん」のようにひたすら運命を耐え忍び、相手を待ち続ける。ともかく「耐えて待つ」ということに関しての腰の低さとものすごい粘りには頭が下がる。その忍耐度と粘り度の高さから見て、純愛と言うより、女の人生の苦労を描いた物語といった趣きだ。
しかし、ヒロインがここまで頑固に粘るようになったのは、時代の変化ではある。
不倫の恋の大きな代償を払った真知子によって、純愛もののヒロインは、男の回想の中に閉じ込められた民子や節子や夏子から一歩踏み出したと言えるだろう。その中で、「いつか王子様が」が、明治から変わることのない女の願望なのである。


女性向けのメロドラマに、性愛や性欲そのものが露骨に描かれることはない。
恋愛感情の基盤にあるのは性欲であろうが、性欲は恋愛という言葉で美しく粉飾される。そして、唯一無二の相手との恋愛結婚という形式によって家庭内に囲い込まれ、実質的には再生産(生殖)へと向けられるのは、白村の『近代の恋愛観』以来引かれてきたレールである。そのレールに乗らないと、幸せにはなれないことになっている。
「国体」を保持し、諸外国の列強に肩を並べる「大国」になるための国民の再生産を後押ししてきたのは、「産めよ増やせよ」という上からの号令だけではない。異性愛と純潔を条件とした近代の日本的な恋愛至上主義である。
だから通俗的な恋愛物語はすべて恋愛結婚かその可能性を示唆して終わり、純愛物語はそこにまで至らなかった童貞と処女の"悲劇"として描かれたのだ。
現実には、性規範は女性に厳しいものだった。男性は性愛の対象を家の外(妾、愛人、風俗産業)にも求めることができたが、女性にそうした「自由」は基本的にない。
近代国家及び資本主義の完成の過程で、性別役割分担は一層明確化され、多くの男性は公的領域へ、多くの女性は私的領域へと疎外された。戦後、理想として描かれた恋愛ものの受容者が圧倒的に女性中心となった背景には、こうした下地がある。


しかし、恋愛が近代社会の仕掛けた罠であり、ロマンチック・ラブ・イデオロギーの策動であり、人々はそれに洗脳されただけだと言い切ることもできない。
私はあの人のことが好きでたまらないし、あの人が「好きだ」と言った言葉を心から信じたいし、この恋に飛び込んで幸福というものを自分の手でつかみたいと、切実に願った女性は多かったはずである。これがまやかしだというなら何を信じたらいいのかと、せっぱつまった思いで生きていた人を、恋愛至上主義に毒された愚か者だと嗤う資格は誰にもないだろう(少なくとも私にはない)。
こうして、恋愛至上主義のロマンティシズムは、男性とは別の生き方を求められた女性達のファンタジーの中に深く根を下ろしていく。(続く)