授業の攻防

専門学校・実技の場合

長い春休みが終わり新学期が始まって、ようやく仕事に慣れてきた。
学期の始まりは、いつも大変緊張する。お客さんの顔ぶれが一新するからだ。3カ所5クラス週12コマの授業が前期にあるが、一週間でトータルだいたい200人(多い年で250人くらい)の学生の顔を見る計算になる。
もっと多い人もたくさんいらっしゃるであろうが、計200人もの初対面の、それも決して好意的なばかりでない、むしろ粗探ししてやろうと思っているかもしれない人々の前で喋ると考えただけで、新学期授業開始直前はすんごいストレス。
そのストレスを跳ね返そうと異常にテンションを上げて、普段のもの静かな自分とは別人格になって臨む。


特に、専門学校(デザイン系)ではそうなる。生徒の何割かはこちらを舐めてかかっているような悪ガキだから、私のような見た目威厳も迫力にも欠ける女性講師は分が悪い。
その上運が悪いと、もう見るからに扱いづらそうな奴が混じっているクラスに当たる。
「話をやめなさい」と注意しただけで、「ああ?」と言わんばかりのガンを飛ばしてくるヤンキー。そういう奴をアメとムチでいち早く手なづけておかないと、後々の授業運営がタイヘン。最初のツカミで失敗すると、なかなか取り返しがつかないし。


そういうことを見越して万全の対策をとったにも関わらず、何ともならないクラスに当たった時があった。
困った学生は35人くらいの中の2、3人しかいないのだが、しょっちゅう喋ったり席を立ったり堂々と寝る彼らのために、全体がずるずるとだらしない雰囲気に汚染されていくのである。
最初は「周りに迷惑でしょう。静かにね」「ほらどうしたの、寝不足なの?」と穏やかだった私の言葉遣いもだんだんと荒くなり、「そこ、やかましい!今度喋ったら外に出す!」「コラ起きろ!ここは寝る場所ではない!」などと怒鳴ることに。
「チッ、うぜえなあババア」と呟いたのは‥‥聞こえなかったことにする。ええ聞こえませんでしたとも。そこの我慢が肝心。


一度は怒鳴るのも疲れたので、ふざけていた学生2名のところに静かに歩み寄り、スケッチブックを取り上げて廊下に思い切り放り投げてみた。教室は水を打ったように静まり返り、彼らはすごすごと外に出ていった。
そのままどっかにフケただろうなと思ってほっておいたが、しばらくして廊下に出てみると、二人ともぼんやりと階段に座っていた。そこで懇々と説教。
ああやだやだ。なんで私が「ごくせん」みたいな、いや「ヤンキー先生」みたいなことせにゃならんの。
鬱な気分で休み時間に外でタバコを吸っていると、「先生元気?これバイト先でもらったタバコなんすけど」。
やれやれ。なんで40も過ぎて18の子供に慰められにゃならんの。でもタバコはもらっとく。


実技の授業は、結果がそのつど歴然と出てくるところが、シビアと言えばシビアである。ヤンキーだろうが何だろうが、一生懸命手を動かさないことには何も始まらない。それをちゃんとやっとかないと、学校出ても使いものにならないという大前提がある。だから専門学校生を教えるのは、体力はいるがわりとシンプルである。
それでも私の担当する基礎デッサンの授業は、地味なわりに成果の出るのが遅い科目。学生にとってしんどい授業のようだ。最初はそういうことを知らないので、悪ガキ共は舐めてかかっている。


そういう彼らに最初は自分の手を描かせるのだが、細かい鉛筆の使い方とか描き方の要領を、その課題ではほとんど教えない。
経験も知識もなく、説明を聞いて理解しようという姿勢も満足にできてない学生が少なくないので、最初から懇切丁寧にやり方を教えてもあまり意味がないからだ。「まず見た通りに描け」と言うだけ。
巡回していると、必ず描き方を教えてくれと言ってくる。でも「よーく見て、見た通りに」。
少しして訊いてみる。
「これ、見た通り?」
「‥‥のつもり」
「手、見せてみなさい。ふうん、いい手だね。‥‥で、これがその手か(笑)」
嫌な講師である。
しかし「見た通りに描く」の困難さを思い知ってから、ワルもやっと少しは真面目に指導を受ける気になる。少しは、だけど。

大学・講義の場合

大学の一般教養の講義では、学生が席に着いて黙って講師の話を聞いていれば(聞いてるふりでも)、一応授業は成り立つ。人数の多い授業ほどそういう形になる。
私が担当するジェンダー入門は、開講されたこの3年ほどで2年生以上が大体受講してしまったためか、今期初めて100人を切った。しかし大教室で100人近くもいれば、授業中こちらの目が届かないだろうと、いろんなことをしている学生がいるものである。


こないだ、後ろの方で手鏡を前にかざして髪を弄っている女子学生がいたので注意した。注意したかったのは他にもいたが、ジェンダー入門の授業で、見事に女のジェンダーそのものをやってくれてたので、つい目が行ったのだ。
しかし授業の最後に書かせたミニレポートには、「ああいう学生をいちいち注意しても時間の無駄だと思います」「鏡見てるのはうるさくないけど、私の前の人は喋っててうるさかった。お菓子まで食べてた」という意見があった。
確かに、鏡見ててもケータイ見てても化粧してても授業妨害ではない。見つけた私が不愉快になるだけで。が、傍で喋られたら学生は迷惑であろう。そういうことに、大講義室でマイク使って板書しながら喋っていると、気づかなかったりする。
ただ不思議なことに、すぐ傍で喋られても、学生が学生に向かって「静かにして」と言うことはあまりないようだ。お喋りが出るのは講師の責任だから講師が注意すべきだと思っているのか、学生同士でも言いにくいのか。ともかく講師に「注意してほしい」と。
小学校の先生になった気分。
‥‥しかしお菓子とはな。幼稚園でもそれはないぞ。なかなかヤル気をなくさせてくれるではないか。


そうした中にも、意欲に燃えた真面目な学生は常に一定限いるものだ。そういう学生の意欲がもっとも減退するのは、私が過去に聞いたところによると、ざわざわしていても何の注意もなく淡々と進められていく授業だという。
うるさいから集中できないだけではないのだ。学生が聞いてようが聞いてなかろうが、こっちは日々のノルマをこなすだけ‥‥という講師の暗い諦観が感じられて、ヤル気を削がれるのである。
せっかく準備して臨んでいるものを、相手がちっとも聞いていないとなったら、傷つかないのだろうかと思う。学生なんてそんなものだということだろうか。注意してもどうせ聞かないし? 疲れる一方だし? 
私は幸か不幸か、まだそういう諦観の境地には至っていない。気が小さいので、そこまで鉄面皮にはなれそうもない。


授業への要望を書かせると、「楽しい授業を」「面白い授業を」という意見が時々出て来る。楽しませろ。面白がらせろ。はいはいサービス業だからね。でも「もっとレベルをあげろ」というのはない。
100人の学生が100人とも興味津々で固唾を呑んでじっと聞き入る授業をすることは、大変難しい。講師のレベルと学生のレベルで決まることだが、ほとんど不可能に近いかもしれない。
もっともこちらも、こちらなりの楽しくて面白いレベルというものを設定してはいる。その設定を低くして、「学生のニーズ」にどんどん応えていると、結果的にどんどん授業のレベルは落ちて、意欲に燃えた学生が来なくなるだろう。
だから「じゃあちょっと楽しくしてやろう」なんて無駄なことは考えないが、全然聞いてくれないのも困る。難しい話を噛み砕き過ぎて、誤解されるのも困る(そういう失敗もあった)。


学部生対象の一般教養の授業を成功させるのは難しい、ということが、内田樹のブログ(4月13日)に書いてあった(内田樹神戸女学院大学の教授)。

教員の中にも勘違いしている人が多いが、授業がいちばん楽なのは大学院である。
いちばんきついのは1年生の一般教養科目大教室講義である。
大学院は教師がじっと押し黙っていても院生や聴講生たちがそれなりのレベルの議論を進めてくれる。
一年生相手の講義では私語したり眠ったりしているテンションの低い学生たちを相手に、孤独な90分汗だくのステージ・パフォーマンスが要求される。
疲労度からいうと10倍くらい違う。


もちろんその疲労度に報酬が比例しているわけではない。むしろその反対‥‥。
上げたテンションがガクッと落ちそうになるのは、そのようなことをじっくり考える時である。