自尊心の最後の砦

もうこの話題はお腹一杯な人も多いと思うが、もうちょい引っ張ります。


pal-9999氏はこちらのエントリで、女性の「褒め褒めコミュニケーション」は、「友達沢山つくる」のと「敵を減らす」ためであろうとし、私もそれには基本的に同意である。
しかしここで注意しなくてはならないのは、男性の「ファックコミュニケーション」が、かなり親しくなった者同士の親愛の情を確かめ合うものであるのに対し、女性の「褒め褒め」は、それほど親しくない相手とより親しくなるための手段としても使われるということである。
つまり両者を単純に同じ位相で比較できるわけではない。


たとえば男性が、罵倒表現を含む会話をそれほど親しくない相手にしかけたら、リアルでもネットでも引かれるか喧嘩になるだろう。
知り合ったばかりの相手に好感を持ちより親しくしたいと思ったら、何らかの褒め言葉を発するとか、相手の喜ぶようなことをしようとするだろう。互いにそういうことを重ねていき、気心が知れてから「ファックコミュニケーション」に移行するはずだ。
つまりコミュニケーションの出だしでは、男女の性差はそれほどないと思われる。男性でも、あるコミュニティにおいて、有利な立場を確保するため「敵を減らす」目的で「褒め褒め」傾向になる人はよくいる。
男女差が現れるのは、ある程度親しくなってからの一対一の関係においてである。


「ファックコミュニケーション」は、互いの貶め合いである。互いの長所をよく知っているから、欠点をつつき合っても許される。どこまでだったら言っていいかの線引きもできている。
例えばハゲ、莫迦野郎、ハゲチョビン、ヘタレ、童貞、阿呆、若年性毛根欠乏症、魔法使い、つるっぱげ、知恵おくれ、ノータリン、童貞キングペレ、薄らハゲ、変態、エロ坊主、汁男優、幼稚園児などといった言葉(こちらのコメント欄の「ファックコミュニケーション」から引用)をぶつけあっても、許容される間柄であるということだ。


上の引用であるように、男性の「ファック」には身体や性に関する罵倒が目立つ。pal氏のエントリでも「マスかき野郎」というのがあった。
男性が身体や性に関してそこまで互いを貶め合っても比較的許される(親しくても絶対許せんという人もいると思うが)のはなぜか。それは男性には過去、女性より高い社会的地位や仕事があったので、それ以外の点で貶められても余裕を持てていたためではないだろうか。
仕事能力や何らかの才能さえ認められていれば、男は同性にも異性にも軽蔑されることはなく、ハゲチョビンだの童貞キングペレだのはキツい冗談の内で済まされる。
しかし女性は長らく、容姿や若さで男性に評価され選ばれる存在であったので、その仕事能力や才能については軽視される傾向にあった。
そのため、容姿や若さ、つまり身体や性にまつわる事柄は、女性にとってもっとも罵倒や中傷から守るべきものとなり、「自尊心の最後の砦」に囲い込まれた。それについて(親しみを込めてであれ)コキ下ろされるのは、いくらか大袈裟に言えば、自己の存在を否定されるに等しいことになる。


だから今でも、女性の「褒め褒めコミュニケーション」は、才能や能力についてより、容姿、オシャレ、持ち物、生活にまつわることが多い。
「Aちゃんてほんと仕事の手際いいよね」
「いやBちゃんの方がいいよ。きっと私なんかより出世早いと思うよ」
などというのより、
「Aちゃんて肌すごくきれいじゃない?」
「Bちゃんの方が色白いじゃん、いいなーうらやましい」
という会話の方が普通だろう。
それは互いの「自尊心の最後の砦」を補強し合っているのである。そうした「褒め褒めコミュニケーション」によって女性は、「自分は女としてどうなのか」という不安を打ち消し、「私もまだ大丈夫」との自信と癒しを得る。そこである程度の心の平安が保たれなければ、他には逃げ場がなかったのだ。
男のように、そんなチンケな「砦」などお互いグチャグチャに潰し合っても、他にちゃんと本丸があるので笑っていられるような余裕など、女にはなかった。
だから「褒め褒めコミュニケーション」に違和感を感じる時、その女性はおそらく、同性間の癒しムードに隠された、女性の位相の本質的(と言って悪ければ歴史的)な惨めさに感づいているのではないかと思う。