編集者

先生

こないだの金曜日、東京で三人の書籍編集者の人に順番に会った。
一日に三人の編集者。別に、急に売れっ子エッセイストになったのではない。去年会社を替わられた旧知の編集者さんへのご挨拶と、最近メールを下さった編集者さんにお会いするのと、今執筆中の本の担当の人との打ち合わせの日を重ねたのである。そう頻繁に上京できないので、用事はまとめてということで。


私のような素人の者に幸運にもオファーが来たのは、いずれもブログが契機だった。
世の中にブログはゴマンとあり、編集者もゴマンといる中での偶然の邂逅。実績や世間的評価のないところで、こちらを見つけ声をかけて下さった最初の人は、文章を書き続けていこうと決めている者にとっては特別な存在である。できればずっと後になって、あの人がすべての始まりだったなあ‥‥などと思いたいものである。
あの人で終わりだったなあ‥‥ということもあり得るわけだが。


今回は、この一年していた本書きとその担当の人とのやりとりについて書いてみる。
去年の一月、夏目書房の吉本さんという方からメールを頂き、東京に行った。単独で初対面の編集者の人に会いに行くのは、それが初めて。
とりあえず自分を評価してくれている人と会うのだから嬉しいことは嬉しいが、無名の者にとって編集者は「こわい人」である。就職の面接(過去に一回だけ。落ちた)くらいの緊張状態。
待ち合わせ場所にいたら、携帯が鳴った。出たら、少し離れて横に立っていた背の高い人がいきなり目の前に来た。なんか厳しい顔つきの青年だった。
茶店に行き、私がそれまでに書いたブログ記事半年分をプリントアウトした分厚い束を、テーブルにドサリと置かれた。やや怯んでいたら、その上に、故ナンシー関中村うさぎ酒井順子斎藤美奈子など売れっ子文筆家の本を、次々とカバンから取り出して積み上げられた。ますます緊張。


そして「純愛論」を書きませんかという提案をされた。
その一ヶ月くらい前に「純愛シンポジウム」というのを仲間とやって、純愛って何だろなあ(難しい)と考えていたのだが、それをまるで透視していたかのようなタイミングである。しかも400枚の書き下ろし。既に企画は通してありますと言われて、またびっくり。もう後に引けない。


といっても、まだこの時点で私の読みは甘く、書き出せばまあ何とかなるだろうと踏んでいた。ブログのささやかな手応えで、自分の文章はそこそこいい線いっていると自惚れていたのである。
その後、ブログにもアップした純愛論の最初の章は、たくさんの書き込みがされたファクスで吉本さんから戻ってきた。私は小論文の添削をバイトでしているが、その時リアルに受験生の気持ちがわかった気がした。
それ以降、まとまった量が書けるとメールで送り、意見を頂いた。そして徐々に、自分の甘さを思い知らされることになったのである。


編集者は、厳しかった。丁寧な言葉遣いで、毎回ズバズバと痛いところを突かれた。
今思うと当然のことを言われていたのだが、メールが来る度開けるのがこわい。
「落ち着け落ち着け。なんて書かれててもヘコまないように」
と自分に言い聞かせて読んで、
「ぐさー‥‥」
時には
「なんでよ?」
しかし虚心に自分の文章を読み直してみると、指摘は図星なので文句が言えない。


美術作品を作っていた頃、私は制作途中を人に見られるのがとても嫌なタイプだった。よくアーティストがギャラリストにアトリエを見せたりするようだが、自分は一度もない。ギャラリーで作品をセッティング中に訪ねて来た友人を、怒って追い帰したこともある。
舞台裏を見られるのは恥ずかしい。裸を見られるのと同じではないか。
そういうことを、文章で思い切り体験するはめになったのである。
呻吟苦労の跡、勇み足、迷い、蛇足、一人よがりの箇所、すべて編集者に丸見え。たぶん美術作品より文章の方が、そういうことが如実にわかるのではないかと思う。それが恥だと思ったら完璧なものを出すしかないのだが、そうはうまく運ばない。人の文章のアラはわかるが、自分のにはなかなか客観的になれないものだ。
これでよしと思って送って、思いがけないところに指摘を受け、自分の未熟さと盲点に気づく。私はすぐ、チャチなプライドを捨てることになった。


吉本さんの指摘は、内容面ではなく主に書き方についてだった。読者の立場に立って、いかにわかりやすく書くか。誰にでもわかる言葉で噛み砕いて書いてスカスカになるようなものは、もともと大した内容がない。そこに収斂されていた。
私の文章にそれほど難解な言葉遣いはないが、理路の飛躍や「これでわかるだろう」推量で書いているところが、最初はよくあった。そこを大枠でもピンポイントでも的確に突かれる。先生に諭される生徒の心境。
吉本さんは、私より二十歳近く若い。電話で話している時、
「年下の者にいろいろ言われて、正直御不快になったりしませんか」
と訊かれたことがあった。
「とんでもありません」
商品としてのレベルに達してない文章が、担当編集者にツッコまれるのは当たり前である。
不快になるとしたら、なかなか満足のいくものが書けない、情けない自分に対してだ。

悪魔

ようやくきっかけを掴めたのは、書き出して4ヶ月以上経った6月後半。
ほったらかしていた最初の章を、思い切って全面的に書き直した。これで良くないと言われたらもう後の手がない。これでダメならたぶん見捨てられる、もうご縁はなかったということで‥‥。
そういう悲壮な覚悟(大袈裟)でいたので、メールで「かなり面白いです」「相当良くなってます!」という言葉を読んだ時は、嬉しくて上半身がパソコンの上に崩れ落ちそうになった。
それで調子に乗ってどんどん書いていくと、またザックリ冷静なダメ出しと叱咤激励が入り、軽くヘコむのだった。


そういうことを何度かしていって、12月にようやくすべての原稿を書き終えた。送られてきた最初のゲラにはバシバシ"朱"が入っていた。全体量がかなり多かったので、まあ多少の削除は覚悟の上。
そしてこれ以上は書けないし直すところもないし、言いたいことはすべて言い尽くしたし、もう限界‥‥と思われるものを送った。


ところが二月後半になって突然、全体の見直しを踏まえた更なる大幅カットといくつかの章の書き直しを言い渡された。
電話口で吉本さんは、それをちょっと言いにくそうに告げた。彼は一貫して、丁寧な態度を崩さない人である。しかし「今になって大変申し訳ないんですが」という声の中には、「どうしてもこうするしかありません」という響きがあった。この人が確信を持って何か言ったら、それは結果的にほぼ正しいということは、これまで一年の経験で知ってはいた。
でも図書館に通いビデオを見直し、何ヶ月もかけて推敲を重ねた原稿の約三分の一を、この期に及んであっさり捨てろというのは、あんまりだと思った。そこまでの大胆な"大手術"は、私の想定の範囲外。
かと言って「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか!」とも言いにくい。それではまるきり編集者に責任を押し付けているみたいだ。
ここでヒステリーを起こしてはいけない。私は、ショックと失望と怒りを出さないよう努めて冷静に対応した(‥‥つもりだったが、後で聞いてみたら声に結構出ていたらしい)。


その時ちょうど一段落ついた気分で、友人と飲む予定で居酒屋にいたのだった。店の外で40分近く電話して戻ってきた私に、カウンターの板さんと友人が
「随分長かったねえ」
と声をかけた。
「込み入った話だったの?」
「うう‥‥。お酒ください」
「一合ね」
「いや二合とっくりで」
一升瓶ごとでもいい。もう今日は死ぬほど飲んだくれてやる。編集者って悪魔だ。冷酷非情、残酷無慈悲な悪魔だ。アクマだアクマだ。


しかし頭は妙にキーンと冴えてしまい、ぜんぜん酔っぱらえなかった。
読み手の立場になれば、"大手術"の妥当性については納得せざるをえない。原稿を捨てたくないというのは、結局自分が可愛いからである。
それまで相当書き直しをし、相当思い切って捨てたつもりでいたが、まだ修行が足りんかったのである。
本当は書き手が自らやるべきことであって、むしろ編集者の英断に感謝せねばならない。というか、それがプロの編集者ってものなんだろうけど。


で、こないだの金曜日。大幅に削除し、推敲、書き直しをした原稿は10日ほど前に送ってある。
新幹線の中では胃がキリキリ痛かったが、全体的には概ねOKが出て、安堵感で喫茶店のテーブルに上半身が崩れ落ちそうになった。
その後飲みに行って、この企画を通すのがわりと大変だったらしいことを初めて知った。初対面の時の厳しい顔つきはたぶんそのせい。しかも思ったより世話が焼ける書き手だったし(言われてはないけど)。
自分の苦労ばかり考えていたが、若手編集者の心労はそれ以上。


最終地点が見えてくると、やはり「売れたらいいですね」という話になる。売れるたって、無名なのでまったく読めない。賭けみたいなものだ。が、"もし"という仮定の話をしたくなるのが、ギャンブラーの心情。
「大野さんだとどんなポジションになるんでしょう」
「女性のエッセイストはみんなそれなりにキャラが立ってますよね。私はちょっと‥‥」
「エッセイ界の黒木瞳って感じですかねー」
飲んでいたワインを噴きそうになった。私を知っている人ならみんな噴く。


黒木"香"を聞き間違えたかと一瞬思ったのは性についての発言が多いからだが、私はセクシー系でもナイスバディでもない。それに黒木香はAV女優やめてから悲惨な末路を辿っていたはず(って、ええー?)。瞳にしても香にしてもリアクションに困る。
「あのー、それはいくら何でもアレですよ、怒られますよそんなこと言ったら」
「ハハハそうですか」
なんで笑うのさ。


瞳ということにして考えてわかった。黒木瞳は人気女優だけあって驚異的に若々しい。最新ファッションも着こなす憧れのクール・ビューティということになっている。その彼女とこの私の共通点をあえて挙げるとしたら、「40代で若作り」という一点だけ。
私は学生時代から着るものがあまり変わってない。その日もワークパンツとナイロンのスポーツブルゾンだった。本当は"大人の女"然とした春らしいスーツなどを颯爽と着て来たかったのだが、持ってないので仕方ない。
そういう格好で待ち合わせ場所でマンガ読むのに没頭していたので、吉本さんは夜目に学生かと思ってしまい、初対面でもないのにちょっと離れたところからまた携帯かけてきたのである。
つまりベクトルはまったく違うが、"黒木瞳並みの若作り”の年齢不詳中年女。そういう意味であったと。
で、一瞬舞い上がりそうになったのをぐっと堪えたこっちのあたふたしたリアクションを見て、面白がっていたと。
やっぱり編集者は悪魔だ。



●追記
昨年2月ちょっとだけ書いてずっと更新を中断していた純愛論ですが、以上のような事情でその後リライトを重ねながら書き続けておりまして、5月に出版の予定です。タイトルはまだ未定。無事出ましたらここでお知らせしますので、よろしくです。