(文化系)女子の憂鬱

反発する文化系・しないエビちゃん

このところ話題になっていた「文化系女子」について、あちこちのブログを巡回して感じたことを書いてみる。


主にダ・ヴィンチの記事(男目線からの文化系女子イメージ)に依拠したと思われる、自称非モテ(男性)の側からのいくつかの「文化系女子が好き」ネット発言に対して、そこに男から女への手前勝手な視線を読み取り、「ほっといてほしい」「文化系の女子を一括りにするな」「文化なんかどうでもいいくせに都合のいいイメージで女を語るな」などの反発が主に女性(たぶん文化系かそれに近い方々)のブログに散見されたわけだが、男の「エビちゃんていいなあ」発言に対して同様の反発がエビちゃんを目指す女子から上がるだろうことは、あまり予測できない。
エビちゃんを目指す女子の思惑の中で、自分が性的対象として見られることは織り込み済みである。


もちろんエビちゃんは、男だけにモテるのではなく女の子にもモテるという全方位外交のビジュアル系万能女子ということになっているから、それ系の女子も「男に‥‥とにかく若くてイケメンの男に注目されたい」という悲願はゆる巻きヘアの中にこっそり隠しているのだが、その心は「男にモテてなんぼ」であろう。それが虚像でもとりあえずは構わない。
これは大学や短大や専門学校でそういう女子を比較的身近に観察、リサーチしてきた私の実感である。


彼女達の必須課題は恋愛で、男は顔と金とファッションとコミュニケーション能力といった条件によって厳しくランキングされている。だから男から自分が査定されることも受け入れる。
そして男(特に若い男)は往々にしてまず外見で女を査定するという事実を熟知しているから、彼女達はそれに見合った戦略を取っている。
バカだろうが賢かろうが、どんな男もまずは女の外見イメージに萌えるものよ。だったら大多数の男の好むかわいい虚像のストライクゾーンのど真ん中に立って何が悪い? 
エビちゃん系女子の考えは合理的かつシンプルだ。そしてある面、真実を突いている。


どんな条件によってであろうと、人は異性を無意識のうちに査定しランクづけする。
その条件が顔であるか職業であるか知性であるか趣味や価値観の合致であるか自分への優しさであるかが、人によって違うだけだ。ランキングの上位になるほど、恋愛対象になりやすい。
エビちゃん系女子はそういう査定基準を自分の外見でわかりやすく表現して非モテやオタク(たとえば)を最初から圏外に遠ざけているが、文化系女子は読書などに没頭して査定基準をつまびらかにしないので、その不透明さがかえって魅力的に見えるということになっているようだ。


だが私の感じるところでは、(ダ・ヴィンチではなくユリイカで言うところのたぶん真性)文化系女子の男査定基準は、エビちゃん系より複雑でハードルが高い。外見とか趣味とか価値観だけでなくて、なんかもっといろいろやっかいなものが絡み合っていそうな。
仮に「やさしい人が好き」(まあそんな単純なことは文化系女子は言いそうにないが)などと言われて真に受けて誠心誠意優しくしていたら、思わぬ地雷を踏みそうな。
そのやっかいさ加減は、どこから来るのか。
ユリイカ11月号を読んだ上での印象を含めて言うと、おそらく女子としての生きにくさを自覚するところからくる。何をもって「女子の生きにくさ」とするかを一言で説明することは難しいが、求められるものとのズレを生きることとしておこう。文化系女子は、女子として求められるものとのズレを生きている。それは平塚らいてう与謝野晶子の昔からの、文化系女子の宿命である。
いや「文化系」などとつけるのはおかしい。それは女子の宿命。
それにとりわけ敏感で、そのことをこじらせやすいのが、たぶん真性文化系女子というもの。


エビちゃん系女子は、女子としての生きやすさを生きようとする。それだって結構エネルギーを使うだろう。
しかし文化系女子は生きにくさを生きる。エビちゃん系に反対したくてそうなったというより、なんとなく知らない間にそうなっていたのである。そのことを悔いてはないが、微妙なやるせなさは抱えている。男に対しても。
だから安易な「文化系女子っていいなあ」発言に反発したくなる。「女子としての生きにくさを理解しているわけでも理解しようとしているわけでもないのに、なんだその見当外れな萌え目線は」と。
文化系女子の代表として本上まなみとか緒川たまきとかの名前を出されようものなら、ブッ殺したくなる(だろう)。

「男」という病

つまり文化系女子論に反応する真性文化系女子は、エビちゃん系女子よりある意味で男からの視線に敏感である。
エビちゃん系女子は興味のない男からの萌え視線を無視で通すか、そういうものは最初から視界に入っていない。範疇外の男から「エビちゃん系萌え〜」などと言われても、涼しい顔でスルー。範疇内の男はそんなこと口にしないでさっさとデートに誘ってくれるので問題ない。
いくら「あんた達にわかってもらおうなんて思ってないからね!」と言ったとしても、○○系女子論に介入すること自体、どこかで理解と共感のコミュニケーションを前提にしているのだ(これを書いている私もそういうことになる)。
文化系女子」などという虚像を実像と勘違いせず、ちゃんと実体を見てもらいたいと思っている。エビちゃんはそんな"ヤボ"なこと言わない。
従って非常に単純化して言うと、一方的に語られることに対して黙っていられないのが文化系女子で、最終的にモテればいいと割り切っているのがエビちゃん系女子だ。
どちらが男に希望を持っているかと言ったら、前者の方である。


では、間違った目線でない理解目線、共感目線で語られるならいいのだろうか。虚像ではなく実像を見つめ、それを「好きだ」と言えばいいのだろうか。
それはいったいどういうものなのか。はたしてそういうものがあり得るのか。
そう考えると、私はやや懐疑的になる。文化系女子問題も「〜系女子問題」である限り究極的に性の問題だから、男と女の間に齟齬やずれが生じるのは避けられない。そこで発言するということは、具体的にどこまで深い齟齬やずれがあるのかを確かめるような作業になる。別にそれが無駄とは思わないが消耗はする。


非モテの男性(といってもいろいろあるらしいがここでは細かく分類しない)が文化系女子について語りたくなる理由は、理解や共感とはやはり違うように見える。
「語りたくなる」現象について分析している記事や、単に「好きだ」という記事は目についたが、こう理解し共感している、あるいは理解できず絶望しているという文章は発見できなかった。
もっともそういうものがあるとすれば、それは「文化系女子」などという括りではなく、自分の知っている女について考えた結果書いたものになろう。具体的な女との関係/非関係を通してしか、それは考えられないはずだから。


今流通している文化系女子のイメージとは、エビちゃん系とは違いモテなど眼中にないというものらしい。それから発展して、恋愛にもセックスにも疎いというイメージができあがる。
私に言わせるとそのあたりから微妙に間違っている気がする。疎いのではなく、そこらにいる普通の男にあまり興味が持てないのではないか。そして文化系女子は基本的に学習意欲に溢れているので、セックスに関してマニアックな知識が豊富だったりしても不思議ではない(実践の方は人それぞれだと思うが)。
そういう、外見からは伺い知ることのできない底知れない中身に関心がある、というのならわかる。実像なんかなかなかわからないし、誰でも未知のものに惹かれる。
だが男目線の文化系女子においては、なんとなく「男とか恋愛とか別に興味ありません」の方のイメージが一人歩きしている。
それを性的にスレてない"無垢"な女を求める保守的な男のメンタリティとして断罪する向きもあるようだが、別の角度から考察すると、男をあからさまにランクづけしそうな女に無視されるのはツラいが、男より「文化」をとる女なら諦めがつくという安心感を求める非モテの心性が見えてくる。


だとしたら、恋愛から卒業して「文化」に傾注するおばさんにいけば一番安心のはずだが、決してそうはならない。それはもちろん女を(自分を振り向いてくれない女を)あくまで性的対象物として見ていたいからである。
「ああ、またそれか」な話だ。しかし性に関する限り、多くのことはどうしようもなく「またそれか」に還元されるのである。


考えてみれば、「女」に○○という属性がついてカテゴライズされて性的消費の対象になるのは、今に始まったことではない。「女子大生」「女子高生」「お嬢様」「スッチー」などを始め、これまでさんざんされてきたことだ。
女をカテゴリー化しイメージ消費しないではいられないのが、「男」という病である。そして女もそこに(確信犯的に)乗ってきた。女は男の求める虚構の女に、さまざまな理由で身をやつしてきた(私も無意識のうちにそれをしていたことがある)。
だからもし、文化系女子(である自分)が見当外れのイメージで性的消費対象になることに耐えられないならば、あらゆる女の性的カテゴリー化に抵抗しなければならない。
男に媚びているような女は性的消費対象にされて当然だが、そこから一線を画して来た自分に火の粉がふりかかってくるのは困る、というのはおかしい。


だが、これを徹底するとエビちゃんを目指す女子にはウザがられるだろう。圧倒的多数の男と永遠の平行線を辿るだろう。結局、「男」という病を治療しようと思ってはいけないのだ‥‥そういう諦観に達するだろう。
そう考えた時、多くの(文化系)女子は深い憂鬱の内に沈黙する。



●追記
記事の終わりの方、三段ほどを、こちらの方が書き換えてパロってます。ちょっと面白かったのでコメントしました。