日本の純愛史 4 純愛の二極化 -昭和初期

昭和八年(一九三三)、「一身を犠牲にすることをいとわない」極めつけの純愛小説、谷崎潤一郎の『春琴抄』が登場する。江戸末期、盲目のお嬢様の春琴と、彼女に献身的に仕える丁稚の佐助の物語。

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

春琴は、琴と三味線の師匠になるほどの才能ある美人だが、高飛車、贅沢、驕慢、強欲、我が侭と五拍子揃った女王様キャラの女だ。四歳上の佐助に三味線の稽古をつけるのも滅法厳しく、激しい罵倒と折檻でヒイヒイ泣かせるほどである。
一方、何も見返りを求めずひたすら春琴を崇拝する佐助の姿は、騎士道とやや似ているがその中身は桁外れに濃い。
全盲の春琴の着替えや爪の手入れや按摩といった世話を始め、お風呂で全身を洗ってやり、毎回トイレに付き添って下の始末までしてやる徹底ぶり。
身分差ゆえの主従関係と、師匠と弟子ゆえの上下関係にどっぷり浸りつつ、春琴の美貌を崇め彼女のサディスティックな気質に心酔している佐助は、言わば春琴フェチのマゾヒストだ。
二人はやがて密かな肉体関係に発展する。ところが、押し入った賊に熱湯を浴びせられて春琴は顔に酷い火傷を負い、美貌が一変、甘美な倒錯ワールドにヒビが入る。
そこで佐助のしたことは、「わての顔を見んどいて」と懇願する彼女に応えて、自分の眼球に縫い針を刺して潰し、盲目になることだった。
そんじょそこらのマゾヒズムではなしえない暴挙である。


なぜに佐助は、こんな過激な行動を取るのか。目明きの人生をためらいもなくリセットしてしまうのか。
だいたい、佐助が盲目でなかったからこそ春琴の世話ができていたのであって、目が見えなくなったらただの役立たずでは?
‥‥というのは、表向きの関係だけにこだわる人の見方だ。「見んどいて」と言われたら絶対服従で見ないのが、Mたる奴隷の立場である。それも「大丈夫、見ません」じゃダメ。「見えません(目潰しちゃったし)。だから安心してください」というとこまで徹底せねば。
醜くなった顔を見られているという多大な苦痛を、プライドの高い春琴に味わわせるなど、彼女が気分よく過ごせることだけに心を砕いてきた佐助には、到底できないことである。お師匠様の幸せは自分の幸せ、お師匠様の不幸は自分の不幸と考える佐助にとって、自分が目明きであるということだけで春琴を苦しめるのは、彼女に暴力を振るうに等しい行いだ。
もともと、盲目の春琴と同じ「暗闇」に身を置き、一心同体となって生きることが、佐助の願望であった。まだ少年の頃は、お師匠様と同じ立場になろうと、わざわざ真っ暗な押し入れの中で三味線の稽古をしていた。
だから佐助は目を潰した後、「嗚呼此れが本当にお師匠様の住んでいらっしゃる世界なのだ此れで漸うお師匠様と同じ世界に住むことが出来た」と、むしろ大感激。それまで肉体関係はあったが、これで心と心が一つになったと喜んでいる。


佐助の行為を知った春琴はこう言う。
「よくも決心してくれました嬉しう思ふぞえ」(←キャラは違うが一生に一回くらい言ってみたい)
「ほんとうの心を打ち明けるなら今の姿を外の人には見られてもお前だけには見られとうないそれをようこそ察してくれました」
醜い顔になって一気に弱気になった女王様を救ってくれた佐助への、初めての愛と感謝の言葉である。
身の回りの世話は、やろうと思えば誰でもできることだろう。しかし、彼女のプライドを傷つけないためのここまで捨て身な行いは、佐助にしかできまい。
佐助は春琴の言葉に天にも昇る心境だが、夫婦同然の暮らしをしつつも結婚はせず、春琴が死ぬまで主従関係を崩そうとしない。なぜなら佐助の愛しているのは、あくまで美貌自慢の自信に溢れた高慢な春琴のイメージだからである。妻などという下世話な存在に春琴を貶めたら、そのイメージが崩れる。


つまり佐助の目潰しは、単に春琴への無償無私の愛というだけではない。
もし醜い春琴の顔を見続けて、つい「哀れだなあ」という気持ちが湧いてしまえば、美しい女にいたぶられながらかしずいているという、甘美なSM世界も壊れてしまう。それでは一瞬一瞬が輝くような「自分の欲望」を生きることはできない。佐助が一番怖れていたのは、そのことである。
だから、S女春琴の姿=完璧な美を自分の中に永久にキープしていくためには、自分も盲目になるしかなかったのだ。
かりに春琴が「見んどいて」と懇願(という形の命令)しなくても、佐助は自分の目を潰したかもしれない。それによってもし社会から完全に置き去りにされたとしても、「美」のためなら構わんと。


谷崎潤一郎の描く恋愛(というより性愛)至上主義的世界は、社会規範や道徳や常識といったものに完全に背を向けている.もちろんデモクラシーも恋愛結婚も関係ない世界である。
勝手に「治外法権」を作っているのだから、俗世間から締め出されても結構。むしろその方がいい。女への愛は突き詰めれば変態と紙一重
自由恋愛に"参加"して浮き足立っているモボやモガに、水を浴びせるような恋愛観である。


この作品はのちに何度か舞台化、映画化されているが(映画では一九七六年、山口百恵三浦友和主演)、九十年代の純愛ドラマ『この世の果て』では、愛する女の火傷で醜くなった顔を見まいと、佐助ばりに自ら両目を潰す男が脇で登場した。
「あれって春琴抄だよね」と一部のドラマファンの間で話題になった。



* 



だが特異な設定とディープな展開の『春琴抄』より、純愛ものと看做されている小説で普通あげられるのは、堀辰雄の『風立ちぬ』(昭和十一年・一九三六)と武者小路実篤の『愛と死』(昭和十四年・一九三九)である。
明治だったら『たけくらべ』より『野菊の墓』が出てくるように、戦前昭和だと『春琴抄』より『風立ちぬ』と『愛と死』。だいたいそういうことになっている。それはなぜかを探ってみよう。


風立ちぬ』では、肺結核の少女とその婚約者の青年の生活が、信州のサナトリウムを舞台として叙情的に描かれている。肺結核は不治の病である。
死別を覚悟しつつも、限りある時間を精一杯共有しようとする主人公たちのせつない心情。
「期間限定付き」であるがゆえに純化される、やさしくいたわり合う恋。
そういった観点から、純愛ものと看做されることが多いようだ。
しかし物語の中盤から見えてくるのは、死を前にしたヒロイン節子とそうではない「私」との、目線の微妙なずれである。
一心同体の愛情で結ばれているにも関わらず、八ヶ岳の美しい風景はそれぞれの心には異なったかたちで映っている。それは死に直面している者とそうでない者の、わずかだが決定的な違いである。
そして最終章では、節子の死を「私」がどのように受け入れ生きていくかという点に、ポイントが置かれている。


従って私見では、これは純愛小説ではない。純愛小説の体裁をとった、生と死をめぐる小説である。男女の愛は、その命題を描き出すための道具立てなのである。
純愛小説としては、不治の病が出てきた時点で、ヒロインは死ぬんだろうなという結末がわかりややシラける。


『愛と死』も、内容そのまんまなタイトルによって結末は見えているが、その結末を除くとこれは青春小説に近い趣きである。
青春小説では、初々しく魅力的な少女が登場し、それは大抵新しい隣人か友人の妹かなんかで、青年はどんどん彼女に惹かれていき、やがて微笑ましく幸せいっぱいの恋が生き生きと描かれるのが定番である。この小説の内容は、八割方それに合致している。
新進小説家の村岡は、友人の妹の夏子に出会って恋人同士となり婚約までするのだが、ひとり洋行して戻ってくる船中で、夏子の突然の死(流行性感冒)の知らせを受け取り、墓の前で悲嘆に暮れる。簡単に言うとそれだけの話である。
幸せの絶頂から、突然絶望の淵にたたき落とされた、茫然自失の主人公。『野菊の墓』の民子のような悲しい「抵抗」も、『春琴抄』の佐助のような体を張った献身もない。『風立ちぬ』のように、婚約者の死を予感して悶々とする時間すらない。  


つまり『愛と死』は、愛し合う者が突然の死によって引き裂かれるという「理不尽な運命」についての物語、と見るのが正しい。これもやはり、純愛小説のかたちを借りた生と死をめぐる小説である。
「人生になぜ死などという馬鹿なものがあるのか。」
いや、死がなかったら大変なことになるんだけれども、この小説が日本が戦争体制に入っていく最中に白樺派の理想主義者によって書かれたことを考えれば、「死などという馬鹿なもの」に込められた意味はほぼ見当がつく。


生と死をめぐる小説なのにも関わらず、『風立ちぬ』と『愛と死』は、純愛小説として広く読まれることとなった。
なぜなら、純愛の元祖たる『野菊の墓』の「セックスなし+女が死ぬ+男の回想」パターンを継承していたからである。二人が結婚を前提とした関係だったことだけが、『野菊の墓』と違う。


西欧の「情熱恋愛」であれば、男女の関係はまず「道ならぬ恋」であった。主人公は「社会の欲望」と「自分の欲望」の狭間で苦しみ、恋を邪魔立てするものと戦い、相手のパーフェクトな愛情を得たいと渇望し、ともかく何かとジタバタした。
しかし日本の場合、女は婚約者である。男女関係は社会的に認知、保障されているのである。そこに葛藤や障害はない。
おそらくこれは明治〜大正期に、恋愛より(恋愛)結婚に重心が置かれたという日本的な事情がバックにあると思われる。
最初に女との幸福な関係があり、それがある日永久に失われ、男が決定的な喪失感の中に取り残される。
死という運命には、何人も抵抗不可能だ。
では生き残った男は、この喪失(愛する女の死)をどのように引き受けていくべきか。
これが、『野菊の墓』から『風立ちぬ』『愛と死』(そして『ノルウェイの森』『世界の中心で、愛をさけぶ』まで)に共通したテーマである。それらは純愛小説の系譜に位置づけられてはいるが、問題となっているのは喪失であって、純愛ではない。


さて、上記の二作品が純愛小説として読まれたもう一つの要因は、ヒロインのイメージやキャラクターが、絶妙に当時の文学青年の萌えポイントを押さえていたからである。これ以降、ヒロインの清純さ、純粋さ、純情さ(プラス当然処女であること)は、純愛ものの必須条件となった。


まず、『風立ちぬ』の節子。はかなく繊細でいじらしく、守ってやらねばと思わせるような薄幸の美少女である。俗世間とは隔絶された軽井沢のサナトリウムに暮らす結核病みのか弱い少女のイメージは、当時の青年子女の憧れを掻き立てたという。肺結核は病気の中ではもっとも"ロマンチック"なものとなった。
一方、『愛と死』の夏子は、実に明朗快活で自由奔放でおちゃめでかわいらしい。人前でいきなりバク転をキメてみせたりするお転婆なところもあれば、婚約が決まってからは苦手な料理や裁縫を習いに行くというしおらしいところもあり。男子が理想の恋人のタイプとして描きそうなタイプだ。
結婚前の彼女たちが病気で死ぬということは、男にとって純粋なもの(処女)が純粋なままで失われるということを意味する。
純粋なものは、はかないのだ。処女のままはかなく逝ってしまった恋人よ。君はもう僕の手には永久に戻ってこないのだ‥‥(シクシク)。
それは、ナルシスティックに喪失感に浸り、ノスタルジックに過去を回想する男の感傷である。あまり一方的に垂れ流してほしくない種類のものである。


たしかに恋人を病気で亡くしてしまった人は、気の毒だ。しかし、「恋人が性関係のないまま若くして病死した」という不幸と、純愛とは、別問題である。
純愛を描いたものならば、仮に恋人の死で幕を閉じるとしても、そこに至るまでの行程において、自分の欲望を諦めない純愛者がどんなふうに「崖っぷち」の道を歩いて行ったか、に重点が置かれていなければならない。そこが描かれていない純愛ものは、雰囲気だけ純愛ぽくても、あえて邪道と言うべきである。





ところで、純愛と死との結びつきは、現実の事件によっても強化されていた。
昭和七年五月九日に、湘南大磯坂田山で若い男女の心中死体が発見される。捜査の結果、二人は親に交際を反対された現役慶大生と良家の令嬢だったことが判明。検死の結果、「遺体は純粋無垢の処女であった」という警察発表があった。それが異例の発表だったため、双方の親の意向が働いていたのではとの見方もあったらしい。
だがその警察発表があったことによって、この事件は「純潔の香高くー天国に結ぶ恋」と大々的に新聞報道され、一躍全国的な同情を集めた。童貞処女のままで結ばれることなく死んだ恋人達という、清らかなイメージができあがったのである。
事件を題材に取った松竹映画『天国に結ぶ恋』が、わずか一ヶ月後(!)に封切られて大ヒットし、主題歌も流行。


しかし坂田山を始め、全国に同じような心中が続発し(この年だけで二十件あったという)、映画館内でも自殺する人が出て、社会問題に発展した。
近松心中ものの人気に見られるように、死をもって愛を成就させるという美学に日本人は弱いが、たった一本の事件と映画が、潜在的に多かった障害ありの恋に圧倒的な燃料を補給し、心中という「自爆」の連鎖を引き起こしてしまったのかもしれない。


こうして、戦前昭和の純愛は、概ね以下の三つのパターンが出揃った。
1.反芻派/女が病死し男が泣く‥‥『風立ちぬ』、『愛と死』
2.行動派/ a.親に反対され心中‥‥『天国に結ぶ恋』、b.どこまでも仁義を通す‥‥『春琴抄


「情熱恋愛」のスピリットが息づいているのは、行動を起こす2のbである。
aは、駆け落ちもままならない四面楚歌の坊ちゃん嬢ちゃんだけに許される道。何でも死ねばいいというものではない。かといって病気なんかで若死にするのは、不本意だ。「悲劇のヒロイン」はたしかに捨て難いが少しは意地を見せたいし、苦労の末にいつかは幸せに結ばれたい。死んだ後で男に泣いてもらって、何が報われるというのか。
この明治以来の女の怨念は、日本中の女性の紅涙を絞った二大ドラマに結実する。(続く)