連載「日本の純愛史」

日本の純愛史 16(最終回)『星の金貨』、マレビトの奇跡 -90年代(2)

九十年代のテレビドラマで目立っていたのは、『ピュア』『ひとつ屋根の下』『家なき子』など障碍者が登場するドラマである。そこでは概ね、障碍者=純粋な心をもった者という設定で作られていた。 純愛ドラマで粘り強く愛を貫こうとするのも、障碍者の方であ…

日本の純愛史 15 『この世の果て』にみる純愛の限界 -90年代(2)

純愛とは、「一身を犠牲にすることをいとわない、ひたむきな愛情」(新明解国語辞典)。 これが思い切りベタに描かれたのが、『高校教師』で一躍名が知れた脚本家、野島伸司の悲劇の純愛ドラマ第二弾『この世の果て』(94年/鈴木保奈美、三上博史、桜井幸子…

日本の純愛史 14 『高校教師』のご破算願望 -90年代(1)

「純愛三部作」の後、純愛ドラマはシリアス路線を強めていく。立ちふさがる邪魔者。越えられない壁。追いつめられ苦しむ主人公。 となれば、『101回目のプロポーズ』が既にそのパターンだったが、コミカルなやりとりで笑いをとったりはしない。タッチはあく…

日本の純愛史 13 『101回目のプロポーズ』の欺瞞 -90年代初頭(2)

純愛者が奇跡的にも結婚に辿り着いてしまったのが、『東京ラブストーリー』の半年後に放映された『101回目のプロポーズ』(武田鉄矢、浅野温子、江口洋介、田中律子、石田ゆり子)である。101回目のプロポーズ [DVD]出版社/メーカー: フジテレビジョン発売日…

日本の純愛史 12 『東京ラブストーリー』のウケた理由 -90年代初頭(1)

「トレンド(先端)」という言葉が流行語となった八十年代後半は、一方で、価値観の多様化とか相対化などという言葉も、メディアで飛び交った時代である。 あれもあり、これもあり、それもあり。つまり何でもありだが、コレ!と言える「軸」や価値基準は曖昧…

日本の純愛史 11 『ノルウェイの森』と純愛論争 -80年代(2)

テレビドラマでは九十年代に純愛ものが続々と出てくるがその数年前、小説の「純愛物語」があった。八十七年バブルの絶頂期に出てベストセラーとなった、村上春樹の『ノルウェイの森』である。 帯の文句は「限りのない喪失と再生 今いちばん激しい一〇〇パー…

日本の純愛史 10 反純愛としてのバブル期「トレンディドラマ」-80年代(1)

八十年代のテレビでは、恋愛ドラマが復活する。その最初の話題作は八十三年放映の『金曜日の妻たちへ』(古谷一行、いしだあゆみ、竜雷太、小川知子、泉谷しげる、佐藤友美、石田えり)。 東急田園都市線沿線のニュータウンを舞台に、三つの核家族の交流と夫…

日本の純愛史 9 純愛の挫折 -70年代(2)

七十年代のテレビドラマではホームドラマと学園青春ものが全盛となり、いわゆる純愛ものは映画でもドラマでも次第に廃れていく。 二人だけの世界から、おうちや学校に復帰しよう。純愛ってちょっと重過ぎるし、雪山で心中なんて暗過ぎるし‥‥。まだテレビが一…

日本の純愛史 8 純愛の挫折 -70年代(1)

六十年代の終わり頃から悲劇的な要素の強くなった日本の純愛映画は、七十年代の半ばで下火になる。七十年代は現実のドラマとして純愛を描くことが、だんだん難しくなっていった時代である。 その七十年代初頭の純愛映画の女王と言えば、ストレートロングヘア…

日本の純愛史 7 乙女の恋と富島青春小説 -50〜60年代

純愛ものを好んだのは主に女性。これは当時隆盛した少女雑誌に、純愛的恋愛小説が掲載されたことにも窺える。 少年向けの雑誌に、純愛ものが載ることはあり得ない。そこにあるのは探偵小説や冒険小説(あるいはその種のマンガ)だ。 つまり、女の子は恋をし…

日本の純愛史 6 純愛と吉永小百合 -戦後 (2)

昭和三十年代から四十年代にかけては、純愛ものが続々と登場してくる純愛黄金期である。その純愛時代を象徴する花形映画スターが、吉永小百合。 それについて述べる前に、純愛とは趣きの異なる戦後カルチャーの話題物件をざっと見てみよう。 昭和二十二年(…

日本の純愛史 5  国民的ドラマの登場 -戦後 (1)

戦前から戦後にかけての大衆娯楽は、映画と芝居とラジオである。そこで楽しまれるエンターティメントは、戦前なら「お国のために一身を犠牲にすることをいとわない」ナショナリズムが台頭した中での束の間の息抜きであり、戦後は、生活を立て直し明日に希望…

日本の純愛史 4 純愛の二極化 -昭和初期

昭和八年(一九三三)、「一身を犠牲にすることをいとわない」極めつけの純愛小説、谷崎潤一郎の『春琴抄』が登場する。江戸末期、盲目のお嬢様の春琴と、彼女に献身的に仕える丁稚の佐助の物語。春琴抄 (新潮文庫)作者: 谷崎潤一郎出版社/メーカー: 新潮社…

日本の純愛史 3 恋愛結婚と純愛 -大正時代

大正期は、貞操を巡る議論が活発になった時代である。 大正三年、雑誌『青鞜』を中心として貞操論争というものが勃発。女がパンのために体を売るのは是か非か?という一人の女性のリアル体験の問いを発端として、『婦人公論』『平凡』など他の雑誌媒体にも飛…

日本の純愛史 2 恋愛至上主義と『野菊の墓』 -明治時代

日本人が初めて「恋愛」という言葉に出会ったのは、明治時代である。 その頃恋といえば、元禄あたりからずっと続いていた男の「色道」を指していた。男の「色道」の相手は"素人"つまり堅気のお嬢さんではなく、"玄人"。芸者、女給、踊りの師匠、女優の卵など…

日本の純愛史 1 少年愛と「情熱恋愛」 -恋愛至上主義の曙

純愛とは「一身を犠牲にすることをいとわない、ひたむきな愛情(世慣れしていない男女について言う)」であると、新明解国語辞典にはある。 「純粋な愛。ひたすらな愛」(広辞苑)。 「邪心のない、ひたむきな愛」(大辞林)。 恋愛のイメージとは異なるが、…

連載のお知らせ 日本の純愛史 -恋愛至上主義再考のために

昨年「非モテ論壇」界隈で散見された恋愛至上主義批判。私も当ブログで少し触れてみたが、どうも抽象論に終始しがちな感じであった。恋愛至上主義(恋愛を人生最高のものとする価値観)なんて今時どこにあるの?という疑問も見られた。 恋愛至上主義はかつて…