日本の純愛史 8 純愛の挫折 -70年代(1)

六十年代の終わり頃から悲劇的な要素の強くなった日本の純愛映画は、七十年代の半ばで下火になる。七十年代は現実のドラマとして純愛を描くことが、だんだん難しくなっていった時代である。
その七十年代初頭の純愛映画の女王と言えば、ストレートロングヘアとスクスク立派に育った肢体がまぶしい、十代の新人女優関根恵子(現・高橋恵子)。
大映がフィーチャーした関根恵子主演映画は、日活、東宝の「純潔純愛」路線とはガラリと趣きが異なっていた。
七十年の『高校生ブルース』(女子高生が妊娠し悩んで中絶する話)、『新・高校生ブルース』(「どうしても我慢できないのならあたしを抱いて!」というキャッチコピーがすご過ぎる)の高校生シリーズは、「レモン・セックス」路線と呼ばれた。レモンをセックスに使うことではないよ。若者の未熟で酸っぱい性を描いているということ。


高校生シリーズ三作目が、七十一年の『高校生心中 純愛』(篠田三郎と共演)という本格純愛ものだ。シリーズの中でも、もっともドラマチックでテンションの高い作品として有名である。
キャッチコピーは「あなたを誰にも渡さない!燃えて捧げた十六歳のすべて!」。六十年代までとは一味違うノリ。


オープニングは爽やか青春映画というか、学園ドラマ風に始まる。
由夫(篠田)と洋子(関根)は親友同士で、ここに仲本というメガネ男子も加わって、和気藹々の仲良し三人組。笑い声をたてて追いかけっこしたり、一緒に食堂でカレー食べたり、授業中つつきあってメモを回したり、スポーツで一緒に汗を流したり。
ところが、由夫の兄がふとしたことから父親殺しの殺人犯となってしまい、母は心労が祟って病死。これで社長令嬢の洋子は、母親に「人殺しの家庭の息子」との交際を禁じられる。
「仲本さんの息子さんなら、何も言いませんよ」。仲本君は洋子の家と同様、お金持ちなのだ。
ちなみに洋子の家は白いグランドピアノがあって、当時で各部屋に切り替え式の電話が取り付けてあるような、冗談みたいに豪華な邸宅。
そこで洋子は猛反発し、高校中退して働くため両親の故郷信州に帰る由夫を追って駅に駆けつける。
「黙って行くなんて、水臭いじゃないの。私たち友達でしょ!」 
熱血青春ドラマな洋子のセリフとせっぱつまった表情に気圧されて、由夫は電車に飛び乗った彼女を抱きしめる。
関根恵子は全編通して、制服以外はヤバイほど短いマイクロミニ姿。当時の流行だったとは言え、ぱんぱんの太モモもあらわに「友達でしょ!」と言われても‥‥それは困るのではないか。


さて、専属殺人犯の弟と家出娘ということを隠すために「兄妹」ということにして、小汚い四畳半一間に同棲し働き出す二人。といっても、まるでママゴトか新婚ノリで(この時点では性関係はなし)、状況の深刻さを全然わかってない楽しそうな雰囲気であるが、それも長くは続かず、捜索願いの出ていた洋子は警察の手で家に連れ戻される。
洋子のお目付役は、母親お気に入りの仲本メガネ君。彼は実は洋子に惚れていて、この期に乗じて恋人に‥‥と思っているのだ。
一方、交際を認めてもらおうと意を決して洋子の家にやってくる由夫だが、洋子の父に、財産目当てだったろうがこんなんでどうだと言わんばかりに、五百万の小切手で頬をピンピン叩かれる。
部屋に軟禁されている洋子には会わせてもらえず、侮辱を受けた悔し涙にくれて、由夫は小切手をビリビリと引き破りあえなく退散。
仲本君にドライブに誘われた洋子は嫉妬に狂った彼に襲われそうになり、間一髪で車から飛び出た直後、スピード出し過ぎてハンドル操作を誤った仲本君は崖から転落し車ごと炎上。
洋子はそのまま由夫のところに駆けつけ、泣きながら「私は人殺しよ!」「由夫さんに会いたかった!」とヒステリー状態、由夫は取り乱して手のつけようのない彼女を正気に戻らせようと往復ビンタ。‥‥‥もう大変な騒ぎである。


自首すると言う洋子を由夫は押しとどめ、「絶対に君を離さない」「一緒に死のう」。死ぬと決めたからにはセックスというわけでもなかろうが、そこで二人は初めて結ばれ(なぜかドライアイスの煙がもうもうでほとんど見えない)、思い出の地信州へ。
雪の中では一転して無邪気にはしゃぐ二人。相変わらずの悩殺ミニでパンツ丸見えの関根恵子。しかし「笑って」と言われて涙が堪えられなくなり、ヘンな顔になってしまう関根恵子
手を握り合って、一面の雪野原の中をどんどん分け入っていく二人の小さい姿に「完」がかぶる。


階層差、親の反対、駆け落ち、雪山心中。「お嬢さん」吉永小百合とチンピラ浜田光夫の『泥だらけの純情』と、似ているところは多い。
が、中身は過剰にドラマチック。ヒロインの捨て鉢な無軌道ぶりと"十代のエロス"も、六十年代純潔純愛にはなかった要素である。


洋子が選ぶのは常に「崖っぷち」の道である。大人から見ればいいとこのお嬢さんの暴走であるが、暴走に拍車をかけているのは、大人達への絶望と怒りということになっている。
中流家庭の子息から、一気に貧乏な勤労青年になった由夫を見捨てられない洋子の義侠心と、彼を差別する親への義憤が、みるみるうちに由夫への恋愛感情へと変化していくのである。
赤軍派の幹部である親友をかばった末に、由夫の兄が殺してしまう父親の職業は、刑事。洋子の父親は、政界に進出予定の建設会社社長。つまり大人たちは、「社会の欲望」を体現している「体制側の者」として登場している。
そして、七十一年は六十年代に盛り上がった学生運動も沈滞化した一方で、内ゲバが繰り返されていた頃である。この映画が公開された翌年には、あさま山荘事件が起こっている。
だから由夫と洋子の最期も、心中という「自爆」となるのだ。どこにも突破口を見出せず、抵抗虚しく敗北する物語の救われない結末は、当時の新左翼学生運動の挫折感と明らかにシンクロしている。





これ以降、関根恵子篠田三郎のゴールデンコンビは、次々純愛映画に主演する。
ヒロインが最後に、雪山(また雪山)で遭難した恋人を自分の体で暖めて救おうとして死ぬ『樹氷悲歌(エレジー)』。関根は極寒の中で胸まではだけ、「眠っちゃダメ!」と恋人を叱咤激励する。そして、山形の高校生のロミオとジュリエットばりの恋を描く『成熟』、ヤクザの下っ端の少年と貧しい少女の心中もの『遊び』。
しかし関根恵子、高校生で実に一年に四回も濃ゆい純愛(セックスあり)をしている強者である。脱ぎっぷりも、後になるほどヤケクソかと思うほど大胆に。吉永+浜田の純潔純愛コンビは、すっかり過去のものとなった。


心中が流行った江戸末期は、下層の遊女と借金苦の手代など、経済的にどん底の人々が心中に走るケースが多かったというが、七十年代初頭の純愛ものに心中を呼び込む条件にも、貧しさが関係している。金持ち令嬢であっても、親の保護下を離れれば貧困に直面するのは当たり前だ。
そしてこの頃はまだ、家柄や階層の違いという壁が、純愛の障害として普通に登場していたというのも注目ポイントである。
七十年に大ヒットしたアメリカ映画『ある愛の詩』(宣伝コピー「愛とは決して後悔しないこと」が有名)でも、身分差カップルが親の反対を押し切って結婚するにも関わらず、女が白血病で死ぬという悲劇が描かれている。
周囲から孤立したカップルの心中が雪山で行われるという設定も、邦画では時々見られるパターンである。
『学生心中』(一九五四)、『銀心中』(一九五六)、『泥だらけの純情』(一九六四)、『残雪』(一九六八)、『神田川』(一九七四)、『失楽園』(一九九七年)のラストシーンも雪山。
人里離れた真っ白な雪景色の中の二人。雪は、純愛の清らかさとそれが報われない悲しみを表現する重要なアイテムであり、雪山は、二人の運命を決する日常から遠く離れた異界。心中を美しく演出するために、雪は使われている。


昔の任侠映画でも、出入りの直前に雪のシーンがあり(これから流されるであろう血の赤との効果的な対比)、静かな悲壮感を盛り上げる演出がされる時がある。
もちろん、心中に行くのと戦いに行くのとでは、モチベーションはまったく異なる。任侠者は為すべき仕事をしに敵陣に赴くのであって、死ぬ覚悟をしていても死にに行くのではない。だが、東映任侠映画古典路線末期の、高倉健の最後の決闘直前場面に漂っていた深刻感と、七十年代冒頭の純愛映画に描かれた若者のせっぱつまった感じとは、どこかで繋がっていた。
「義理と人情秤にかけりゃ義理が重たい男の世界/積もり重ねた不幸の数をなんと詫びようかおふくろに/背なで泣いてる唐獅子牡丹」
という『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』で高倉健が歌う歌は、七十年の東大駒場祭のポスター(橋本治制作)で「とめてくれるなおっ母さん/背中の銀杏が泣いている/男東大どこへ行く」
というコピーに書き換えられている。ポスターの絵はもちろん、もろ肌脱いで入れ墨を見せている高倉健
任侠映画の中のやくざ者の悲壮感が、前年の学園紛争で入試まで取りやめになった日本で一番荒れた大学の、学生のメンタリティに乗り移っているのである。


しかし純愛映画が下火になっていくのと期を同じくして、古き良き任侠世界も七十三年の『仁義なき戦い』の大ヒットで駆逐された。
たとえ古臭く理想を貫いても、待っているのは犬死にである。
ひたむきに突っ走る愛は、決して祝福されないのである。
仁義だの純愛だのといった世界は、所詮キレイごと。もう通用しません。
そういう宣告がなされたのであった。(続く)