いろいろなエントリやブクマコメントを見て感じたことなど

私は10日の記事を、特定の事象についてほのめかす形で書いた(そうした理由はkanose氏の6/11の記事のコメ欄を参照)。
特定の事象の「特異性」については、Masao氏の記事で端的に述べられている。そこのコメ欄でも少し書いたが、この件にはネット上の人間関係も絡まっており、解決は難しいと個人的には思っている。ただ、わかる人に読まれればいいと思って書いた(11/18追記:こちらブコメ参照)。


昨日様々なエントリやブクマを見ていると、その特定の事象の「特異性」から離れて(というか知らずに?)、罵倒一般の是非論になっているようなところがあった。私は罵倒一般を全否定してはいない。私自身は罵倒表現は使わないが、罵倒すべき場合/相手に罵倒もできないネット、痛快な罵倒芸が読めないネットは窮屈だと思っている。
記事中で問題視しているのは、「交流もない相手に、大した根拠もなく、いきなり投げつけられる脅しや威嚇を含んだ罵倒」である。それは「芸」ではなく、ただの理不尽であり暴力である(この立場を取っているので、罵倒一般として扱ったnitito氏の記事の図の中に、自分の場所を見出すことはできなかった)。
しかし脅しや威嚇、つまり私が実際に受けた脅迫に対して言及しなかったために、罵倒全般について言っているかのように取られたのは、私の記事の書き方の拙さもあったと思っている。


kanose氏が6/11の記事で、今後は特定の事象に対して個人的に言及していくと書いていることに対し、「多数決で決めるのか」「みんなにルールを徹底するのか」といった意見が出ていて違和感をもった。「自分の関係あるブロガーの行動全てに責任をもてということか」というのもあった。
そんなことは誰にもできないし、する権利も義務もない。
しかし、たかがネット上であっても、友人だと思っている人が理不尽な言動をとっていたら、牽制したり疑義を呈するのは普通ではないかと私は思う。
理不尽な言動を取られている人が知っている人なら、なおさらではないかと。
私はそういうふうにしたことがあるのでそう思うわけだが、それはネット上のコモンセンスとは外れると思っている人はわりと多いらしいということを、今回感じた。