ブロガーのルックスを云々すること

オフ会レポートを書かなかった理由

はてな界隈のオフ会に参加した私のリアル発言を引いた瀧澤氏の記事こういう反応があって、草実氏のところ(コメント欄も参照)でも取り上げられた。その捕捉として。


瀧澤氏の記事のコメント欄で私が名前を出した人々は、かなり以前からテキストの内容や書き方に関心を抱いて閲覧しているブログの書き手達であり、コメント欄でやりとりしたことのある人々であり、メールの交換をした人も複数含まれている。
こうしたことを通し、私の中でその人々の外見や雰囲気がある一定の輪郭をとるようになっていた、ということがあった。
私がクリルタイ2.0の打ち上げに参加したのは、普段文章を通してしか知らないそれらの人々がどんな人だか見て確かめたい、会って話してみたいという単純な動機からである。「非モテって言ってるけど、ほんとに非モテなの?」という興味は、実はほとんどなかった。
というのは、クリルタイ2.0の編集部の人の幾人かに彼女がいるという情報はウェブ上で知っていたし、そうでない人でも、打ち上げという一応フレンドリーでホモソーシャルな場所で、実際どれだけ非モテなのかなどわかるはずがないと思ったから。


で、皆さんに会ったら、私が抱いていたブログでのイメージをあまり外れていなかったというのは事実である。
もっとも瀧澤氏のコメント欄でも書いたように、その人々の外見情報はそれなりに断片的に得ていたケースが多いので、外れにくい条件はある程度あった。
さらに、"非モテ論壇"界隈でああいう文章を書いている○○さんや××さんが、陽に灼けたマッチョであることは普通想像し難い。
だから私の予測が外れなかったことは、ある意味では当たり前だった。そしてそれまで抱いていたイメージを大きく覆されることがなかったことについて、なぜか安心した(なぜだろう?)。


後日、瀧澤氏とショータ氏に会った時、文章を読むとその人の外見がわかるかのような言い方をしたわけだが、外見とは目鼻立ちそのものというより、全体の雰囲気である。文章に漂う雰囲気とその人の持つ雰囲気が似ていたということ。
もちろん、私が文章から受けていたイメージが、初対面の彼らの印象にフィルターをかけていた可能性も大いにある。
言うまでもなく私は超能力者ではないから、性別や世代を特定することのできない文章からその人のルックスを想像することはできないし、文章を読んでいつも書き手の外見を当てっこしているわけでもない。
ただ、関心をもった文章については、書き手自身への想像力が働くことが多い。また、細かく情報を拾って読んでいれば、それなりに想像できることはあると思う。

一方で、想像力がどの方向に働くかは、読み手の考え方や書き手との心理的な距離によるところが大きい。
たとえばこのブログを読んだ人のうちの誰かが、「きっと底意地の悪い傲慢な感じのオバさんだろう」と想像することや、「底意地の悪い傲慢なオバさんであることを隠すために、あえて柔和な印象を作っている姑息なオバさんだろう」と想像することを、私は止められない。実際当たっているかどうかは措いておいて、それはその人の受け取り方なので。


オフ会のレポートを書くかどうかは、少し迷った。
たまにオフ会の報告を目にするが、大抵男性で最初からそのコミュニティに属する人が書いているように思う。私は非・非モテ当時者であり女であり世代も40代後半と離れているので、そういう者の目からどう見えたかを書くことになる。そして自分の性分上、初めて会った個々の人々の印象(外見の雰囲気、発言、立ち振る舞いなど含めて)に言及することになる。当然、「この人の文章からこういう想像をしていて‥‥」といった書き方になる。
その結果がどんな事態を引き起こすかについては、見当がつかなかった。「空気を読めてない」ことになる可能性はあるのかな、という気はなんとなくした。
また書くからには登場して頂いた人にあまり失礼のないように、しかも読み物として面白く書こうという意識は当然働く。その意識が行間から見えることが、また予想外の別の読み取りを誘発し、いらん揉め事の種を撒くことになるかもしれない。‥‥などと考えて、一部だけ別のテーマの記事の中で触れるに留め、全体的に書くのはやめたのだった。

言説の効果と害

そこで瀧澤氏の記事が出たわけだが、私は以前も瀧澤氏と会った時のことについて書かれているので、それ自体は問題ない。氏の記事を巡って出た、「文章から外見がわかる」という私の非常に抑圧的な物言いへの疑義については、「その通り抑圧的で暴力的です」としか言えないし、反発が来るのは当然だと思う。
無粋を承知で書けば、瀧澤氏は以前ショータ氏の記事のコメント欄でこういう発言をしているので、そのオフの場では通じること前提で言った。
そしてリアルで言ったそれを記事に書かれたので、まあフォローはしておこうと思ってコメントした。
ちなみに瀧澤氏の記事(特に女性のブログ文章についての記述)は私から見ると、はてな界隈で反発や疑義が起こるであろうことはある程度想定の上で、例によって天然の振りをして女性の神経を逆撫でするように書かれているのであり、あの記事に反応することは瀧澤氏の術中にハマることにしかならないので、無視を通すのが良いと思う。どういう狙いがあるのかはわからないが、何も意図せず記事を上げることはないだろう。


草実氏が問題にしたのは、ブロガーの外見について云々することで、「そのような言葉がウェブ上で発せられて、不特定多数に届く場合に、どういう効果を生んでいるか」である。それについて自覚的であるべきではないかと。
氏の指摘(標準的身体を措定した上での何気ない言説の抑圧性)は基本的にもっともだと思っている。
コメント欄で草実氏は、
「まったく面識のないブロガーの外見を云々するのはわりと無害なんでしょうけど、オフ会がからむといろいろ害が出てくるだろうと思います」
とも書いている。
確かにそれが詳細であればリアルで特定されないとも限らないという危険性はあるだろうし、それを別にしても、会った人の外見についてあれこれと感想を述べるのは、趣味のいいことではないのかもしれない。相手との関係性と程度問題、書き方の問題に帰するところはあるにしても。


ただその「害」については、あまり考えたことがなかった。オフで会うくらいなので基本的にネガティブ感情はもっておらず、むしろ「この人があんな文章を書ける人なんだー」ということで三割方ステキに見えたりすることもある気がする、というのが正直な感想なのだが、そういう感想込みで何か書くことはやはりまずいのだろうか。
あるいはルッキズムに抵抗する非モテのオフ会だから、ルックスに触れることは控えるべきなのだろうか。
それとも、オフで会った人の外見の印象に触れること自体、不謹慎なことなのだろうか。
なんだかまったくネットの常識を知らない人のようで恥ずかしいが、よくわからないのである。


で、私のコメントだが、ヘボメガネ氏についてもその他の人についても、何か特別なことを言ってはいない。むしろ何も言ってないようなコメントである。加野瀬氏が「村長」と言われていることも、ヘボメガネ氏が「いい人」認定されていることも、「界隈」では周知の事実であり、私の発言はそれを何の芸もなくなぞっている。
これがもし「加野瀬さんは全然落ち着きのない人だった」とか「ヘボメガネさんは邪悪オーラを放っていた」とか「Masaoさんの[俺は顔がいい]は真っ赤な嘘」とか書けば話は別だが、そんなことはなかったし(これも本人に会ったことのない人には真偽判定不可能な記述になるが)、もし仮にそうだったとしてもわざわざ書くわけがない。
つまり私のしたことは、既存の情報やイメージの追認でしかない。
私が今回もっとも気にしていたのは、期せずしてウェブ上に出てきた「ブログの印象=オフ会での印象」といった自分のリアルでの発言について、会った人々に非礼がないようにしたいということだった。瀧澤氏の記事のコメント欄での私の発言内容は、その意図を越えるものではない。
だが無自覚に何らかの「害」を引き起こしているとしたら、それがどういうものかは知りたいと思う。


以上、またいらん地雷を踏んでいるところもあるかもしれないが、思ったことをつらつらと書いてみた。