ブコメに反応(&質問)

追記あります。


9日の記事「おまえに理由など説明する必要はない」に頂いたブックマークコメントから、四つほど選んで反応してみます。


id:hatayasanさん 自分の感想用、中の人との対話用、茶化すための暇つぶし。ユーザのブックマークの傾向に着目しておけば、スルーするか向き合うかは自然に見えてくるのかもしれない。


なるほど。しかしこれ、かなりベテランユーザー向けですね。判別するのが難しいケースが結構ありそうです。一人のブックマーカーの中に、三つが入り交じっている場合もあるでしょうし(hatayasanさんのこれは「自分の感想用」でしょうか)。
そう言えば、「ブコメは自分のメモ用」という意見を時々見ますが、個人的メモや感想でも、公開されている以上は記事の書き手に読まれてOKということなので、すべてのブコメはメッセージ性を帯びたものだと言うこともできますね。
それに「スルーするか向き合うか」は、結局自分のスタンスや価値観と照らし合わせるしかないんだろうなと思います。


※追記:お答え、どうもありがとうございました!


id:Ciboさん 幾ら偉そうな事だって、親友に言われれば何も腹は立ちませんけどね。要するに問題なのは、「偉そう」という部分ではなく、「見ず知らずの他人に自分のテリトリーを侵された事」なのでは。


オンラインの話なので、「親友」とはこの場合、ネット上の親友ということですよね。で、根拠も示さず「つまらない」と書かれても、親友なら腹は立たないと。うーん、そうですか。親友というくらいの間柄なら、いきなり「つまらない」で終わらせることはないような気もしますが。ま、ケースバイケースですか。


あの記事は、「(ある種の)ネガティブなブコメが偉そうに思えるのは、その内容に根拠が感じられないからでは?」というsho_taさんの記事を受けて書いているので、「偉そう」をとっぱらってしまうと前提から崩壊してしまうんですよねー。困った。
で、思ったのは、(ネガコメによって)「自分のテリトリーを侵す」「見ず知らずの他人」も、本人にとっては「偉そう」にしている人に思えるんじゃないかということです。第一印象として。「見ず知らずの他人に自分の〜」は、"その理由"として出てくると思います。
とすれば、「問題なのは「批判の根拠が感じられない」という部分ではなく、「見ず知らずの他人に自分のテリトリーを侵された事」なのでは」ということになるのかなと。
これは面白い観点ですね。ネガコメと言われるもののどこまでが、「見ず知らずの他人」が「自分のテリトリーを侵す」ことだと言えて、どこまでがそうでない感想や意見や批判と言えるのか、その基準は人によってまちまちで難しそうですが。


id:kameda007さん 根拠がありそうな意見に対して「勉強になりました。再考します(思ってないけど)」等どっちもどっち。被害者意見ばかりのブロガーが多い場所でネガコメ嫌だは想像するのが容易い。絶対加害者にならないんだろうから


前半についてですが、記事では(無根拠ではない)批判の中には学ぶものもあるとしか書いていないので、どのあたりについて「どっちもどっち」と言われているのかわかりませんでした。そういう事例はよくあるのですか。「勉強になりました。再考します」と「思ってないけど」言う人がいるとしたら、どういうケースか興味あります。
「被害者意見ばかりのブロガーが多い場所」というのはどこですか。そういう人々がごっそり固まっている「場所」があるなら知りたいような気もします。
 

id:blackdragonさん 「ネガコメ」にカチンと来る人は、むしろ、根拠のない中傷コメントより、根拠の付いた批判コメントに対して大きく反応しているように思うのだが…。根拠のある批判を歓迎する人は、むしろ中傷はスルーできる気が


とても興味深い指摘だと思いました。
まずカチンと来るのは、その根拠に納得できない場合でしょうね。つまりそれは書き手にとって「根拠なんかではない」、それで反発する‥‥という回路は普通にあるような気がします。
実例を上げるといいのですが、いろいろ差し障りがありそうなので、たとえば「長いので、読み辛い」というネガコメがあったとして考えます。
「読み辛い」というネガティブ評価の根拠として、「長い」という要素が指摘されていますが、書き手が「長くない」と思っていれば、それは根拠と看做されません。
「長いことと読み辛さは関係ない」「確かに長いが、この内容を書くためには必要な長さだった」と思っていても、同様です。
人に(記事が)「長い」と言われる人は大抵は、単に「長い」なんてのは批判の根拠にならないと思っているんじゃないでしょうか。


これが、「繰り返しの部分が多いために全体が無駄に長くて、読み辛い」とか「枝葉の部分が長いので論旨が見えにくく、読み辛い」だったら。
それでも「この繰り返しが重要なんだ」とか「あれは枝葉じゃない」と書き手が思う場合はあるでしょう。本人が「その根拠は私にとって根拠たり得ない」と判断すればそれまでです。
が、指摘がより具体的になったことによって、自分の文章を見直す人はいるかもしれません。そして冷静に考えて「そうかもしれんな」と思うかもしれません。これは書き方だけでなく、内容面についての指摘でも同じです。
その場合、書き手はそのコメントを(それなりに納得せざるを得ない)「根拠の付いた批判コメント」として受け取ったことになります。


で、問題となるのは、(それなりに納得せざるを得ない)「根拠の付いた批判コメント」だからこそ、逆に反発してしまう場合です。
本当は納得せざるを得ないのに反発するという心理は、不可思議ですがしばしばあると思います。
他人に自分の文章の陥穽を見破られて悔しいとか、痛いところを突かれて不安になり防衛機制が働くとか、そう易々と批判を受け入れるのはカッコ悪いとか、この人の意見だから素直に聞けないとか、書き方が直裁過ぎるのが厭で反発するとか。気合いを入れて書いたものほど、間違いを素直に認めるのは苦しかったりします。
そこを乗り越えられている人が、「根拠のある批判を歓迎する人」で、「中傷はスルーできる」(この「中傷」は文脈上「根拠のないネガコメ」と読みました)のでしょうね。


※追記:この記事には非常に納得。


「根拠があるからこそ苛立つ」ことについて、id:yamatedolphinさんは、「それは「正しいけど認めたくない」気持ちを経由し、その正当化として「正しさへの懐疑」などという受け入れられ易いもっともらしさへと向かったりするのかも」と書かれていました。このブコメだけで、一つエントリが起こせそうなくらいの内容を孕んでいると思いました。そのうち書いてみたいです(追記:後で気づきましたが、この記事は、最近のネガコメ関連の中では一番ストライクでした)。


わー長いや。でも短くしたくない(笑)。



●追記
またブコメに反応。

id:yumizouさん ネガコメ関連。そのコメントに納得いくかどうかという話になるのか?だとしたらコメントした人との距離感・信頼関係ということになりそう。


「コメントに納得いくかどうか」は、コメントした人が誰であろうと、あくまでその内容の説得力にしかないと思います。
距離感が近かったり既に信頼関係のある人の方がより聞き入れやすいということがあるとしたら、それも、過去のその人のコメント(やブログ)の内容が説得力のあるものが多かったという実績に基づいているのではないでしょうか。そういう話であればわかります。