女の子がだっこされて言ったこと

SMを求める理由 - 雨宮まみの「弟よ!」


SMを求める気持ちの中には、理性を捨てて泣いたり甘えたりしたい、つまり子供になりたいという感情があるのではないかという記事。これはこれでそうかもなぁと思ったのですが、私が引きつけられたのは冒頭のエピソードです。

近所に、ちいさな女の子が住んでいる。いつもおてんばで、夕方、保育園から帰ってくる時間になるとお母さんに怒られてる声がきこえてくる。今日は、ひとりきり怒られたあとに急にその子が「お母さん、だっこしてー」と言い出した。お母さんはさっきまで怒っていたのに思わず笑い出し「やだよ、暑いし重いしベタベタするし」と言ったけど、抱っこしてあげたみたいだった。女の子は「なつかしい? 赤ちゃんのときみたいで」と言って、お母さんはまた笑った。


女の子の台詞が面白い! 
子供は怒られた後に甘えてみたくなる。自分を怒った相手に甘えさせてもらうことで、嫌われたわけではないと安心したいのかもしれない。三才くらいまでなら大抵は甘えてだっこしてもらってそれで終わりだろうけど、この子は相手(お母さん)の気持ちまで想像して言葉にしている。


お母さんに甘えたい、久しぶりにだっこしてもらいたい‥‥。私は大きくなっちゃったけど、だっこすればお母さんだってなつかしいでしょ。私が赤ちゃんの時はいつもこうしてだっこしてたなぁって。そしたらお母さんもきっといい気持ちでしょ。でもちょっと照れる‥‥。
保育園児のその子が、こんなふうに順序立てて考えたかどうかはわからないが、それに近い心の動きがあの言葉にあったんじゃないかと想像した。


母子一体の蜜月関係を切り裂くのは、「父」である。必ずしも実際の父親とは限らず、「父」的なもの。言うなれば「法・秩序」。「もう赤ちゃんじゃないんだから、だっこはしないよ」「もう小さい子じゃないんだから、自分でしなさい」といった躾けの言葉も、それに近いだろう。
子供は、母親を我が物としていた全能感を失い、分離され自立を促される。ラカン精神分析ではこの「父」の介入を「去勢」と呼び、主体の確立に不可欠のものとしている。


子供にとってそれは、くぐり抜けねばならない試練だ。「人間」になるのは辛いことなのだ。だから時々、弱気になった時などに、お母さんにべったりひっついて、無制限に甘やかされていた赤ちゃん時代に戻りたいなあと思ってしまう。
しかし、母がそれを許容してくれるだろうか。拒絶されるのではないだろうか。私が小さい赤ちゃんだった時のことを、思い出してくれるだろうか。そんな不安と、だっこしてもらえたという安心感、母との絆を再確認してみたい気持ち。
「なつかしい? 赤ちゃんの時みたいで」
だっこしてもらいながら、母親の目線に同化して自分たちの関係性について喋っているところが、かわいいというか、いじらしいというか、小悪魔(?)というか、知能犯というか、なんとなくだが、女の子ならではの振る舞いだと感じた。