これ、結構反対する女性がいるのだが、是非とも拙書『「女」が邪魔をする』を読んで頂きたい。
違います大野さん。こういうときには本の中でどう書いていたかをバンバン開陳すべきなのです。
[中略]
このエントリにしたって、綾子なんてどーでもいいからミニスカを履くオンナの意識についてガンガン書きながら、「それについては『女が邪魔をする』でこう書いた、ああも書いた」と綴って初めてブックバカーが興味をそそられて書店に走るのです。
[後略]
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091204/p1
「綾子なんてどーでもいい」わけではないですよ。
でもそうやって宣伝するのか。へぇー‥‥‥
何の話かというと、先日の曾野綾子とミニスカートの記事の中で、ファッションと性的アピールについてやや煽り気味というか極論気味に書いている箇所につき、反応が予想されたので(予想通り)、補足で自著をお薦めしておいた件です。
本の中では、当ブログの過去記事を母体に再構成、加筆修正し、「すべてのファッションは女装である」という章タイトルで掲載しています。「「それについては『女が邪魔をする』でこう書いた、ああも書いた」と綴」るより、該当記事を読んで頂いた方が早いですね。下にリンクしておきますので、ご興味のある方は是非。*1
●すべてのオシャレは男ウケである(2007-5-08)
●女の「男ウケより女ウケ」をめぐって(2007-5-10)
●追記
ブコメで、記事リンクより一部引用の方がいいんじゃないかと言われました。んじゃ、そうします(人の意見に振り回されておるがな)。*2
すべての女性向けファッションは、先取りされた女性性に則ったものである。女性性に括られるであろうところのものを、どのように表現しているかにおいて、フェミニンな装いからマニッシュな装いまで、正装からラフな格好まで多種多様に展開されている。
女性性を女性性たらしめているのは、他者の目=男性の目である。言い換えれば、男という性が一方になくして、いかなる女性イメージも立ち現れてこない。
たとえば、主体的に「私が好きなオシャレ」をしている「私」を「私」は肯定するわけだが、そこには「私」を鑑賞しジャッジを下す他者の目が必ずある。エビちゃん女子なら、直接的には他のエビちゃん女子達の目だが、もう一歩引いて見れば、そうしたエビちゃん女子なるものを肯定するであろう男の目である。想像された男の目は、女性の中で意識に上らぬほど深く内面化されている。
異性ウケは、同性ウケにおける無意識なのだ。
「エビちゃん女子」は、書籍化の際「森ガール」にするべきだったと今更後悔。
「女装」(擬態)は他の章でもキーワードになってます。読んでモヤモヤしたり何か言いたくなってきた人は、是非本を買って他のとこも読んでみてね!
目次など、全体的な内容紹介はこちらです!
- 作者: 大野左紀子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/06/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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