父が施設に慣れるまで

老人養護(介護)施設に入った人がその環境に完全に慣れるまでに、平均して一ヶ月くらいかかるという。しかし8月半ばに入所した父はいまだに気分の波が激しく、いろいろ問題行動を起こしているようだ。
それというのも、入所して10日、少し慣れ始めた矢先に誤嚥が元で肺炎に罹って病院に逆戻りし、3日間高熱に苦しんだあげく何とか一命をとりとめて、9月の上旬にやっと施設に帰ったためだ。
それで、また何もかもゼロに戻ってしまった。というかマイナスになったかもしれない。


父の体力はガクンと落ちて自力で立つこともできなくなり、ついでに入院中に昼夜が逆転してしまって、日中、食事の時以外はひたすら眠り続けるようになった。一週間に2、3度父を訪ねていた母は、「いつ行っても寝てて起きないんだもの。張り合いがないわねえ」とこぼしていた。てんかんを押さえる薬が麻酔のように効いているのか、呼びかけても体を軽く揺すっても起きない。その代わり、夜になると起きて動き回ったり大声を上げたりする。
そして、9月の終わりから10月にかけて、たまたま3、4日誰も訪問しない日が続いた。その間に昼間目を覚ますようになった父は、家族に長いこと放っておかれている、ほとんど見捨てられていると思い込んでしまった。


その日、母たちより一足遅れて父の部屋に行くと、ベッドで目覚めた父が久しぶりに口を利いている最中だった。母が父の手を取っていて、いつも母に同行してくれる叔父と、担当の介護スタッフの人が二人、後ろで見守っていた。耳の遠い父の声は大きく、喋り方はまるで小学生が教科書を音読しているような感じだった。
「ほんとに今日、来てくれるとは思わなかった。夢を見ているようだ」
「厭ねえ、しょっちゅう来てたのよ」
「知らない」
「いつ来てもお父さん寝てたから」
「家に帰りたい」
「そんなこと言わないの」
「家に帰らして」
「私がお父さんの面倒看れないから駄目です」
「だいじょうぶ。お母さん、大事にするから」
「大事にするってどうするの? お父さん自分で自分のこともできないじゃないの」
「できる」
「できないわよ。立てないじゃないの。ここなら全部面倒看てもらえるでしょう。こんないいところないのよ」
「いいことはない。ここはつらい」
「そんなこと言っちゃいけません。何がつらいの。皆さんほんとによくして下さるじゃないの」
「‥‥‥‥。今日、来てくれるとは思わなかった。夢を見ているようだ」
「これからも来るからね。お父さんちゃんと夜寝て、昼間は起きててよ」
「家に帰りたい」
「それは駄目」
「家に帰らして」
「私が面倒看れないの。お父さん、私だってあちこち悪くてお医者さん通ってるのよ」
「お母さんを、大事にする」
「あなたね、そんなこと今頃言うなら、どうしてもっと元気な時に大事にしてくれなかったの。私、55年間何でもお父さんの言う通りにしてきたのに、一回も感謝してくれなかったじゃないの。私が温泉旅行行きたいって言った時、くだらんって言ったじゃないの、自分は何回も海外旅行行ってるくせに」


母の言葉が恨み節になってきてたので、私が替わった。
「お父さん、我がままばかり言うんじゃないよ」
「ここの生活はつらい」
「何がつらいの? 前、ごはんがおいしいって言ってなかった?」
「ごはんはおいしくない」(退院後、嚥下がまだうまくできないのでゼリー状のものを食べている)
「お風呂、広くて気持ちよかったでしょ」
「家に帰りたい。サキちゃんからもお母さんに頼んで」
「お父さんの気持ちはわかるけど、現実問題無理。お母さんが倒れちゃったらどうするの?」
「お母さんは倒れない」
「倒れないなんてことないよ、人間だから」
「お母さんは倒れない」
「倒れるの。もう倒れる寸前だったの」
「お母さんが倒れることは、絶対ない」
ダメだこりゃ。
叔父も加わって20分ほど代わる代わる説得を試みたが、父は壊れたレコードのように同じことを繰返した。母がとうとう切れて「お父さんが家に帰って来るんなら、私は家を出ます!」と言い放ち、まあまあと皆で宥める。
やっと久しぶりに話ができたと思ったらこんな会話になってしまった。ガッカリして泣きそうな母を慰めながら、施設を後にした。


家にいる頃、母は父の言うことを何でも聞いてやっていた。そうしないと怒り出すからだ。家庭内では自分の意見を押し通し、誰かが異を唱えようものなら途端に不機嫌になり、時に大声で恫喝して相手を黙らせるということを、平気でしてきた父だった。
母は「私が何でもハイハイ言ってきたのが間違いだった。一度思い切りぶつかっておくべきだった」と嘆くが、今になってそんなことを言っても遅い。
「体が弱ってこういうところに入ったら、少しは穏やかになってくれるかと思ったのに」
「それはないわ。性格はそう簡単に変わらないから」


翌日、母や叔父より一足早く私と夫は施設に着いた。「あんな状態だから、明日はあなたたちは来なくていいわ」と母は言っていたが、その日は父の米寿の誕生日だったから「おめでとう」を言いたかった。
また「家に帰りたい」が始まるかなと思いながら声をかけると、目を覚ました父は「ああ、来てくれたの」と、布団から手をこちらの方に出した。そして「よく来てくれた。ほんとによく来てくれた。ありがとう、ありがとう」とまるで何十年ぶりかで会うように感極まった様子で、覗き込んだ私の顔を痩せ細った両手でさすった。
「今もうすぐお母さんも来るよ。昨日もみんなで来たんだけど覚えてる?」
「昨日」と父は改まった声で言った。「お母さんに、お父さんがここにいるのがお母さんのためにも一番いいと言われて、そう思うことにした」
「そう?そう思ってくれた? よかったぁ」
頭のどのチャンネルが切り替わったのかわからないが、昨日とはえらい違いだ。やがて入ってきた母は父の変化に喜び、父の顔を両手で挟んで、「毎日、お父さんどうしてるかなって思ってるのよ。忘れたこと一回もないのよ」と優しい声で話しかけた。
しかし、思えば父が最初に入居した頃もこんなふうに日によって気分の上下が激しかったので、慣れるまでまだいろいろあるかもしれないと思った。


案の定その夜中、父はまた問題行動を起こし、翌日訪問した母には「ここは昼間、部屋に戻らせてくれないんだ」(戻ると寝てしまうので、なるべく食堂にいるようにされたらしい)、「おかゆみたいなものばかり食わせる」などと不満をぶちまけ、介護スタッフの悪口まで例の大声で言ったらしい。
「スタッフの人たちみんな感じがいいし、ほんとに親切にしてもらっているのに、もう申し訳なくて。こんなふうではそのうち追い出されるんじゃないかしら」。電話口の母の声は、疲れきっていた。
「追い出されるなんてことはないよ。あまり心配しないでプロに任せておこうよ。そのために預けたんだから」
「でもあんなに人に迷惑かける人もいないわねぇ。いっそ、ボケて何もわからなくなった方がいいかしらねぇ、文句も言わなくなって」
「まあボケも進行するだろうけど、施設にもそのうち慣れると思うよ」
「でもねぇ、また誤嚥して肺炎起こすかもしれないし‥‥。そうしたらお父さんまた苦しむでしょう。それも可哀想だしねぇ」
家で父から目が離せなくなり母の気力と体力が限界になったから、父に施設に入ってもらっているのに、今度は施設での父の様子に一喜一憂している母。父本人より、くよくよと要らぬ心配をしている母の心労の方が気になる。


それまで食べたい時に食べ寝たい時に寝て、何もかも自分のしたいようにしてきた老人が、一応は規則正しい集団生活が基本になっている養護施設での生活に慣れるには、それなりの時間がかかるだろう。
同様に、朝から晩まで夫の世話に明け暮れてきた妻が、夫の介護を完全に人に委ねるという状態に慣れるのにも、相応の時間がかかるのかもしれない。
そのまた翌日、念願だった歯医者に母の付き添いで施設の車で連れていってもらって、父は再び機嫌が良くなった。昼食が始まったので帰ろうとした母に、「お母さん、体を大事にするようにね!」と食堂に響き渡るような大声で言ったという。



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