子どもの「美術離れ」と大人の「信仰」

くらしナビ・学ぶ:美術離れ、食い止めたい 武蔵野美大、公立小中の出張授業 - 毎日jp(毎日新聞)より

 子供の「美術離れ」が懸念(けねん)されている。学力低下が指摘される中、昨年度から完全実施された中学の学習指導要領で、美術や音楽の選択教科が廃止され授業時数が減ったためだ。とはいえ、保護者も芸術よりも学習を重視する傾向にある。国内有数の美術大「武蔵野美術大」(武蔵美、東京都小平市)は「美術だからこそできる教育がある」と、学生や卒業生の出張授業に力を入れている。


多摩美もだいぶ前から、こういう出張授業の取り組みをしていたと思う。学校側も、「外注」した方が子どもを刺激できると考えているのかもしれない。
しかし少なくとも中学校においては、受験科目にない美術・音楽にいずれしわ寄せが来ることは、「ゆとり教育」が終わった時目に見えていたのではないかと思う。生徒にとって美術はほとんど息抜き、”癒しの時間”になっている。小学生ですら、高学年になるにつれて意欲、関心が薄れるという調査結果を見たことがある。


さてここに、国立教育政策研究所教育課程研究センターというところが、平成21年から22年にかけて、全国の国公立私立学校から無作為抽出した小・中学生(小学校119校 約3,500人、中学校104校 約3,300人)及び教員に行った調査がある。
特定の課題に関する調査(図画工作・美術)
この膨大な調査内容のうち、「調査結果」から「児童・生徒質問紙調査結果の概要」の一部を見てみよう。以下は、少し前に某大学での美術教育に関する講義のためにまとめ直したもの。赤、青強調は大野。青は、無視できない割合のネガティブ反応ということで注目したい。

■ 小学生
そう思う◎ どちらかというとそう思う○ どちらかというとそう思わない△ そう思わない×
 ‥‥◎○または△×合わせて50%以上
 ‥‥△×合わせて30〜40%超くらい
 

1. 図画工作の学習が好きですか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎48.3 ○35.0 △11.4 ×5.1
2. 図画工作の学習は大切だと思いますか‥‥‥‥‥‥◎35.8 ○46.1 △13.3 ×4.7
3. 図画工作の学習は、ふだんの生活に役立って 
 いると思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎27.5 ○40.7 △23.0 ×8.5
4. 図画工作の学習は、将来の生活や社会に出て 
役立つと思いますか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ◎30.0 ○39.8 △21.7 ×8.2

5. 図画工作を学習すれば、形や色を考えたり、
 表したりする力がつくと思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥◎68.3 ○25.4 △4.0  ×2.0
6. 図画工作を学習すれば、アイデアを思いつい
 たり想像したりする力がつくと思いますか‥‥‥ ◎69.8 ○23.8 △3.7  ×2.5
7. 図画工作を学習すれば、ものの美しさを感じ 
 る力が豊かになると思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎38.6 ○42.9 △12.7 ×5.6

8. 図画工作を学習すれば、心や気持ちが豊かに
 なると思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎24.1 ○40.5 △24.8 ×10.3
9. 将来、図画工作の学習を生かした仕事をした
 いと思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ◎13.1 ○19.1 △31.4 ×35.9

10.ふだんの生活の中で、絵をかくことはあり 
 ますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ◎41.0 ○23.3 △18.8 ×16.8
11.ふだんの生活の中で、工作をすることはあり
 ますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ◎21.5 ○24.8 △28.8 ×24.6
12.ふだんの生活の中で、絵や立体の作品を見る
 ことはありますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎29.0 ○28.9 △25.2 ×16.6
13.ふだんの生活の中で、かなづちやくぎを使う 
 ことはありますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎10.5 ○15.2 △27.8 ×46.2
14.ふだんの生活の中で、面白い形や色、材料を
 見つけたとき、これで何かできそうだと思う
 ことはありますか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥………… ◎39.2 ○32.0 △17.2 ×11.6
15.ふだんの生活の中で、美術館に行きたいと
 思うことがありますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥…………◎12.2 ○18.8 △25.7 ×43.2
16.家で、自分の作品を飾ったり、図画工作や
 美術の話をしたりすることがありますか ‥‥‥…◎21.3 ○25.5 △23.1 ×30.0
17.家で、図画工作や美術に関係のあるテレビ
 番組や新聞・雑誌を見ることがありますか‥‥…◎12.1 ○20.1 △30.4 ×37.4


図画工作が生活に役立つか?と聞かれても大方の子どもは困るだろうし(08年の学習指導要領のQ&Aでは「図画工作がどのように役立つのかわからないと感じている児童がいる」ことが問題視されているのだが)、5、6、7、8あたりはNOとは言いにくいだろう。
それより「やっぱりな」と思ったのは、15、16、17(これらは端的に美術に興味があるか?という質問)に過半数がネガティブな答えをしていることだ。「ふだんの生活の中で、美術館に行きたいと思うことが」どっちかというとないか、ない子どもは全体の7割近い。マンガ、アニメ、ゲーム、テレビといった視(聴)覚メディアの圧倒的な量と刺激に比べて、美術は子どもにとって影が薄い。そうなるのが普通だろうと思う。よほど親などが美術鑑賞に熱心でその影響を受けているのでもない限りは。
次、中学生。ここは間にコメントを挟んでいく。

■ 中学生
そう思う◎ どちらかというとそう思う○ どちらかというとそう思わない△ そう思わない×
 ‥‥◎○または△×合わせて50%以上
 ‥‥△×合わせて30〜40%超くらい


1.美術の学習が好きですか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥……◎35.2 ○39.5 △16.4 ×8.6
2.美術の学習は大切だと思いますか‥‥‥‥‥‥…◎20.5 ○42.2 △25.7 ×10.9
3.美術の学習は、ふだんの生活に役立つと思い
 ますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥…◎13.4 ○34.4 △34.7 ×17.1
4.美術の学習は、将来の生活や社会に出て役立つ
 と思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ◎14.9 ○35.6 △32.6 ×16.4
5.美術の学習は、生活を明るく豊かにするのに
 役立つと思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥…◎33.1 ○39.5 △18.0 ×8.9
6.美術の学習は、心を豊かにするのに役立つと
 思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥…◎46.1 ○36.5 △10.7 ×6.2

2のネガ回答は小学生では2割以下だが、中学生では3割超になっている。3、4のネガ回答もぐっと高くなって5割前後。しかし5、6の質問‥‥あえてNOとは言いにくいし、なんとなく誘導尋問臭い(全体に言えるが)。

7.美術を学習すれば、日本の伝統的な美術や文化
 のよさがわかるようになると思いますか ‥‥‥ ◎39.4 ○39.5 △13.2 ×7.5
8.美術を学習すれば、日本と諸外国との文化の違い
 や共通性がわかるようになると思いますか ‥‥◎33.0 ○42.5 △15.2 ×8.7

教養、知識は必要だと思っているのだ。つまり小学校までの実技中心の感性・心情的理解から、美術をより幅広く知的に理解する方向に誘導した方が効果的かもしれないということ。

9.美術を学習すれば、アイデアを思い浮かべたり、
 想像したりする力がつくと思いますか ‥‥‥‥ ◎64.4 ○25.7 △5.7 ×3.7
10.美術を学習すれば、思いや考えを、形や色など
 で相手にわかりやすく伝える力がつくと思い
 ますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎49.0 ○35.4 △9.8 ×5.3
11.美術を学習すれば、美術作品やデザインなどの
 見方が広がると思いますか ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥…◎55.5 ○33.3 △6.4 ×4.3
12.自分が思うように絵が描けるようになりたいと
 思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ◎73.2 ○17.3 △3.7 ×5.3

11は「見方が知りたい」、12は「描き方が知りたい」という欲求の現れだと思う。いずれも体系だったものを求める。「感じたままに自由に」という指導だけでは、生徒は満足しなくなる。

13.ふだんの生活で、絵や彫刻などの美術作品を
 鑑賞することはありますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎8.9 ○15.9 △28.9 ×45.7
14.自分の服や持ち物を選ぶとき、デザインを考え
 て選んでいますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥◎59.2 ○27.2 △6.6 ×6.4
15.美術館や博物館にある作品を見に行きたいと
 思いますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥…◎18.4 ○25.4 △25.6 ×30.1

14が唐突(美術に興味があろうとなかろうと、自分のものを選ぶのにデザインなんかどうでもいいという少年少女は、今時少ないに決まっていると思うのだが‥‥)。13、15の「美術に興味があるか」という質問に、やはりネガティブな答えをしている生徒の多さが目立つ。



元記事に戻る。

このような公開制作は武蔵美が2008年度から全国の公立小中学校の美術教師と協力して実施している出張授業の一つだ。このほかに学生のつくった作品を一緒に鑑賞して感想を語り合う対話型鑑賞や一緒に作品をつくるワークショップも開いている。これまでに出向いた学校は40校以上。プロジェクトを指導する教職課程研究室の三沢一実(かずみ)教授(美術教育)は「美術は学力でなく、内面を育てる。子供が日常的に触れる機会を減らしたくない」と話す。


「美術が子どもの内面を育てる」という見方それ自体は間違っていないのだろうが、私の知る限り、日本の初等・中等美術教育においてはそれが「信仰」の域にまで高められてきた。
このことは、美術教育研究者金子一夫氏の議論を拠り所として拙書に詳述したので、飛び飛びになるが一部を引用しておく。

 「図工なんてものは、子どもが楽しんでやれればそれでいい」「図工くらいは自由にやらせてほしい」という意見は、一般の人から時々聞きます。「子どもが自由に楽しんでやっている」ということは、教育者にとってもたしかに大きな喜びではあるでしょう。でももしそれで十分なら、学校の教科で扱う必要はない。学校は子どもをまず「社会化」する場所です。それぞれの教科においては、基礎知識やルールが伝授される。基礎知識やルールは、客観的な世界に属します。子どもは学校に入って、自分勝手な主観の通用しない客観世界に向き合うわけです。その中で、図工、美術は「自由」と「個性」、「感性」と「創造性」を掲げかなり例外的な扱いをされてきた。そうしないと子どもの内面を育て「人間形成」ができないという理由で。
 戦後美術教育の基本理念を批判している研究者である金子一夫は、次のように述べています。

子どもに規範を示す教育の方が親切である。ある規範を十分に守った大人が、その規範の非本質性を意識することは、一種の悟りである。いわゆる還相においてものを見ることである。しかし往相にある子どもに、創造性・個性教育の名の元に規範の無意味性、非本質性を教えるのは正しい教育とは言えない。子どもは物事に関する価値規範や約束事を知りたがる。それは子どもが規範に従う、良心的であろうとする意志と見るべきである。子どもはしばしば大人以上に道徳的である。そのとき、教師が規範の非本質性を言うのは、子どもの道徳的意志を挫くことである。美術教師が、美術は自由なのだ、規則はないというのは、還相にある教師個人にとっては良心的言説である。しかし、それを往相にある生徒に迫ることは、生徒を無勝手流的不自由にさせ、美術の本質は才能と誤解させる。逆に美術の高度な規則性の存在を教えられた方が、美術を尊重するであろう。
(『美術科教育の方法論と歴史[新訂増補]』p.233)


 この、極めて重要な示唆を含む指摘に至る金子氏の主張は、九〇年代後半の美術教育界に波紋を投じ、議論を巻き起こしました。
 [中略]
[…]学校教育の目的が近代的・社会的人間の育成にある以上、美術教育も徒に「個性」や「創造性」などの内面を期待するのではなく、教育内容をできるだけプログラム化し、美術を方法論として知的に理解させる教育を行うべきである、というのが全体的な論旨。
 これを受けて『美育文化』(九七年十月号)誌上で、金子一夫、柴田和豊、藤澤英昭の三人の研究者による鼎談「戦後美術教育における“創造主義”の再検討」が行われました。柴田氏は現状認識については金子氏に一定の同意を示しつつも、「主観絶対主義」は美術教育と言うよりは教育全体、社会全体の問題であり、創造主義の教育がまだ不十分だったとして戦後美術教育を擁護。
 [中略]
 両氏とも子どもの内面を重要視した上で、柴田氏は「だからこそ学校教育で扱うべき」とし、金子氏は「だからこそ学校教育はそこになるべく介入すべきでない」としている点も対照的です。指導するべきことを明確化した上でそこから先の心の問題には立ち入らないとしている点で、金子氏の方が子どもの内面を大切にしているように思えました。
 [中略]
 『美育文化』は各論者への賛成、反対意見を募り、多くの研究者をはじめ小学校や中学校の教員も参加し、九九年から二〇〇〇年代初めにかけて断続的に論争が続きましたが、結局七割くらいの人々が柴田氏を支持したかたちになり、何度かのやりとりの後に議論は収束しました。多かった反論は、「金子論は知識詰め込み型」、「鑑賞に偏重している」、「子どもの立場に立っていない」など、議論の内容を理解していない脊髄反射や、反論のつもりで教師の熱意や善意が強調されている意見。全体としては美術教育界でいかに創造主義と心情主義が「信仰」となってきたかを伺わせるものだった。反論執筆者の誤読の多さと論旨の不明さを、金子氏は「美術教育界の知的衰退状況」と批判しました。
 多くの読者にとって金子氏は新保守、柴田氏はリベラルのように見えただろうという指摘もありました。たしかに「内容をプログラム化せよ=なんだか効率主義っぽい=新保守=強者の味方=悪」、「一人一人の豊かさを大切に=子どもの立場に立っている=リベラル=弱者の味方=善」という、実にイージーな構図の中で自らを「弱者の味方」「善」の側に位置づけて安心したい欲求は、美術(教育)業界限らずどこでも見られるものです。「自由」、「個性」、「創造性」、「感性」、「豊かさ」、「生き生き」、「子どもの立場」、「人間形成」‥‥。ほぼマジックワードと化しているこれらの言葉の重力圏内では、図工・美術という教科こそが抑圧されている現代の子どもたちの心を解放する”希望の灯火”だと今も信じられている。[以下略]


(『アート・ヒステリー』第二章 p.163〜168)

 もし本当に純粋に「自由」「個性」「創造性」を賞揚していった場合、その先に「国家及び社会の形成」にとって有害なものが生まれてくるかもしれない。実際、昭和初期の新興美術運動は当局に反社会的と看做されて弾圧されました。となると、そんな「アナーキー」な人間を作り出しかねない美術教育は、学校の中に居場所をなくします。従って「自由」も「個性」も「創造性」も、ディシプリンの機能*1を逸脱しない範囲で曖昧に賞揚されるだけのものになる。その上で、校則と同調圧力で抑圧的な学校の場において、図工・美術という教科が子どもにとっての”解放区”であるかのような言説を流布するとしたら、それは欺瞞でしょう。金子氏の論に私が一定の信頼を置くのは、こうした欺瞞や摺り替えがないからです。


(同上 p.174)


柴田・金子論争は13〜4年ほど前になるが、それより遡る約10年前に「新しい学力観」のもと、図工に「造形あそび」が導入され、小・中学校の図工・美術は心情・感性主義を強めてきた。「ゆとり」が方向転換しても図工・美術は基本的に変わらなかった。
これも遡れば、戦後の創造美育運動、さらには大正から昭和初期の自由画運動に行き着く。規範と権力に抗し個性と自由を賞揚する日本の民間美術教育運動は、かつて文学者や芸術家を刺激し巻き込み、大きなうねりを見せた。しかし個性と自由を尊重し子どもの内面を育てるという考えは、戦後いつしか学校の美術教育のドグマとなったようだ。


美術大学の学生やOBがそこに関わっていく時、そうした理念の硬直性を破壊するような試みがあれば面白いとは思うけれども‥‥‥。
一方で子どもって、ラッセンみたいな「すげえ、これどうやって描いたんだ」てな絵も大好きだったりするんですよね。

*1:「学校教育の本質はディシプリンである(学校は「権力の場」に子どもを半ば自発的に服従させるシステム)」ということを、その前に書いている。