ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥)

8/29下北沢B&Bでのトークイベントにお越し下さった皆様、どうもありがとうございました。
満員のお客さん&著名な論者とのトークという緊張で、自分の喋りが時間に追われた時の講義のように早口(そしてところどころ日本語崩壊?)になっていた点を含め個人的にはいろいろ反省点もありますが、概ね楽しんで頂けたようで良かったです。


Togetterに実況が上がっています。発言の骨格はだいたい拾って下さっている印象。多謝>misonikomiodenさん
『ラッセンとは何だったのか?』  出版記念  いま、ここからのラッセン 実況ツイート


もちろんこれだけだとわかりにくいところもありますので、主にラッセンとヤンキー問題について、解説と個人的な感想がてら書いておきたいと思います。長いです。

ラッセン・ヤンキー論

話は5年前に遡る。2008年のブログ記事『ラッセンとは何の恥部だったのか』は、『アーティスト症候群』の読者からの「ところで唐突だけどラッセンって何だったんでしょうか?」というメールに応えるために、「ヤンキー」という観点を持ち出して書いたものだった。この記事に、速水健朗氏から当時、(ラッセンが属する)「ニューエイジ中産階級の文化なので、ヤンキーとの親和性はない」とのツッコミを頂いている。『アート・ヒステリー』でのラッセン(とヒロ・ヤマガタ)についての文章では、それを少し意識した書き方をした。*1 そして、ラッセン本に寄せたテキストでは過去に言及した内容を紹介した上で、ラッセンを無視するアートの側(嫌ヤンキー的感性)からの視点を内省的になぞるかたちで書いた。
が、ここで「ラッセンあるいはラッセンファンとヤンキー問題」が明確なかたちで浮上することになったのは、ヤンキー論の第一人者、斎藤環氏の論考によるところが大きいだろう。書籍への反応もヤンキーを巡るものが多かったようだ。


登壇者の斎藤氏と速水氏はともに、『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、2009)に論考を寄せている論者である。大雑把に言えば、斎藤氏はヤンキーを多くの日本人の中に存在する感性として主に心理面から捉えている。言わばヤンキー遍在論。一方、速水氏の方は、ヤンキー(特に90年代以降の「再ヤンキー化」された若者)を「東京への憧れがない」地元志向の下流消費層と位置づけている、ヤンキー偏在論。根本の見方が違っているがゆえに、ラッセンに関しても意見の相違が生じる。
90年代当時、実際にラッセンを買った層は加島卓氏の論考によれば30代が多いという。たしかに20代ではローン返済能力も落ちるだろう。ただラッセンに憧れた人々、版画は買えないけれど比較的手に入れ易いポスターやジクソーパズルなどを購入し部屋に飾っていた人々には、20代の若者も広く含まれていたのではないかと思われる。
仮にラッセン・ファンと呼べるその全体が、速水氏の主張するようにニューエイジ文化圏のアッパーミドルだったのか、斎藤氏の言うように階層関係なくヤンキー的感性を有する人々だったのか、その分布を具体的に検証することは難しい。難しいということを踏まえてどういう視点に立つか、という話なのだ。


私の視点は斎藤氏に近い。ただしラッセン自身がどういう立ち位置なのかは、私にはよくわからない。土屋誠一氏が論考で述べているように精神主義的なニューエイジ文化圏の人である一方、原田裕規氏や斎藤氏が指摘するように、資本主義の原理原則に極めて忠実なアーティストであるとともに経済的成功者としての自分を隠そうとしないその姿(即ち成り上がったヤンキー)には、どちらかに単純に分類できないものを感じる。それこそラッセンに数ヶ月密着取材するとかでもしない限りは、わからない。
なので私は、ラッセン本人がどういう人かは一旦棚上げし、なぜラッセンがあれだけウケたのかという受容者問題から論じるというスタンスを取ってきた。
いずれにしろ、ラッセン・ヤンキー問題は私の中では速水氏にブコメでツッコミ頂いてから5年越しの懸案であり、速水・斎藤両氏の登壇するトークイベントで「ヤンキー論争」が盛り上がる(おそらく観客もそれを期待している)ことは想定済みだったので、対立するニューエイジとヤンキーの交わりそうな点を無理にでも提示しないと、話のオチがつかないだろなぁとあれこれ考えていたのだった。


トークイベントも迫ってきたそんなある日、ラッセン本の編著者で登壇者の一人の原田氏から「今出ている『新潮45』9月号で速水さんと斎藤さんがヤンキーを巡って対談しているので、一応チェックしておいて下さい」との連絡が入った。
早速その対談「「ヤンキー政治」にご用心!」を読んでみると、ニューエイジとヤンキーとはあくまで別の文化・消費者層という観点を固持する速水氏に対し、斎藤氏は「ニューエイジヤンキー」なる概念を出して対抗。その代表がラッセンだと言い切っている。*2
ニューエイジヤンキー。この言葉のインパクトに、対立項の”和解”について頭の中でぐちゃぐちゃとひねくっていたのが半分くらい吹っ飛んだ。そう言えば斎藤氏は既に去年、twitterでこの言葉を呟いてたんだっけ。記事にしたのにコロッと忘れていた。不覚‥‥。


トーク前の打ち合わせで早くも交わされる、速水氏と斎藤氏の”和気あいあい”としたジャブの応酬。結局こういう話というのは、「どっちの立場に立ったらよりオモロイことが言えるか」レベルの勝負であり、ヤンキーというのもその材料なのだ。
しかし東京の文化系論壇の人々は、日々こういう論争というか神経戦に明け暮れているのだろうか。大変だわ。ついていけるか全然自信ないわ私、と思ったのは事実。


さて、トークで述べた自分の意見を改めてまとめておくと、70年代のニューエイジ思想の反権力的なコアの部分を日本で担ったのは全共闘世代の左翼崩れの人達、80年代でニューエイジニューアカ中沢新一など)に受容吸収されていく一方、90年代前半ではオカルト(→オウム)と癒しブームとに分かれていった(もちろん両者重なるところはある)。*3
つまりアメリカ西海岸発祥のニューエイジ思想は、日本で年代と共に次第に劣化・漂白され、一般が受容しやすいかたちになって薄く広まった。そうした流行としての癒し、ヒーリングブームに乗った層は、故・ナンシー関言うところの「日本最大のマーケット」であるヤンキーとかなり重なっていたのではないか。
補足すれば、そもそも昔からヤンキー層、ヤンキー的感性は、占いとかお守りとかその手のものと馴染みがいい。ラッセン作品がニューエイジ発だとしても、日本での受容においては人々のヤンキー感覚にアピールしたという、少し捻れた現象が面白いし、その視点からアート(特に現代アート)と巷のラッセン人気の距離も読み解けるのではないかということ。
最後にちょっと横の話として触れたことだが、7月に東京でラッセン展が開催されていた頃、twitterラッセン検索で多く眼にした「ラッセン大好き♡」な若い女性の黒目修正的自撮り画像アイコンも、スピリチュアル的感性とヤンキーの裾野での融合を示すものの一例に思えた。


以上、ニューエイジ×ヤンキーの”和解・折衷案”は、斎藤氏の言う「ニューエイジヤンキー」に対する、私なりの補助線だ。それだけに、東京を志向しない若者消費者層から見る速水氏のヤンキー論とは、整合しない点も多かったと思う。
トークでは最後まで速水氏と斎藤氏の間で、「ラッセン需要層はアッパーミドルですよ」「いやヤンキーです」といった、私から見ると「この人たちが決して譲らないのも、トークイベントのエンタメ的性質というものをよくわかってるということなんだろうかなぁ」とも思えるやりとりがあったが、質問タイムで、地方都市出身者のお客さんが数人、ヤンキーとラッセンファンの結び付きを「証言」し、斎藤さんドヤ顔・速水さんピンチ的な場面もあった。
特に印象的だったのは、「地方では、それなりにお金をもっているような中流階級も結構ヤンキー的なんです」という発言(ヤンキー土壌の分厚い名古屋出身者としても強く同感)。つまり「ラッセン消費者=アッパーミドルのニューエイジャー」とは、東京にだけ見られた現象かもしれない‥‥という新たな視点も示されたのだった。
いずれにしてもニューエイジ的なものが日本の社会の中で、ラッセンを受容するような感性とどのように結び付いて今に至っているかということは、もっと詰めて考えると面白そうだ。ここには全部書ききれないが、いろいろ脳を刺激された。速水・斎藤両氏に感謝したい。



その他、メモしていた小ネタや言いそびれたこと(タイミングよく口を挟むの超苦手)などをだらだらと。

リリィ博士からヤノベケンジ

ラッセン本でニューエイジとの関連について唯一詳しく言及している土屋誠一氏の『ラッセンをイルカから観る――ジョン・C・リリィ再読のための一試論』で思い出したのは、79年のSF映画アルタード・ステーツ〜未知への挑戦』(ケン・ラッセル監督)。リリィ博士の思想と実験をモチーフにしており、当時日本でもちょっと話題になっていた作品だが、この中に「アイソレーション・タンク」が登場する。体温と同じ温度に設定された高濃度硫酸マグネシウムの溶液が入っていて、ドラッグを使用しつつそこに身体を浸すことで感覚を遮断し、暗闇と浮遊感の中で幻覚を見るというもの。80年代にはハリウッド・セレブの間で流行し、日本でもジムや会員制のサロンなどで広まったようだ。
アート方面では、90年にヤノベケンジが『タンキングマシーン』という「アイソレーション・タンク」(体験型アート作品)を制作し、これも結構話題になっていた。

渋谷系「イルカ」のその後

星野太氏の論考『ラッセンの(事情)聴取』。『Porpoise Songs:A Tribute To Christian Riese Lassen』(2010)というコンピレーション・アルバムに収録された楽曲『Porpise Song』から、フリッパーズ・ギターの『Dolphin Song』(1991、アルバム『ヘッド博士の世界塔』収録)へと引かれたライン、そして90年代初頭の渋谷HMV周辺には2種類のイルカ――ラッセンの「イルカ」と渋谷系の「イルカ」――が漂流していたはず‥‥という考察がとても面白かった。
渋谷系の「イルカ」は、さまざまな過去の音源を細切れに詰め込み、それこそコンテクストにコンテクストを重ねた、いかにも90年代サブカルやアート系のひねくれた「イルカ」だったが、その「イルカ」の「一匹」だった小沢健二の、どう見てもニューエイジな今を思うと、なかなかに感慨深いものがある。
でも小沢健二ラッセンは好きじゃないでしょうね‥‥趣味的に。


トークで少し言ったことだが、(渋谷系の「イルカ」のやっていたような)小ネタ遊びとコンテクスト・ゲームが、アートやサブカル界隈から国民的番組となった『あまちゃん』にまで及んで飽和状態となっている現在、そうした情報戦からアートを一旦切り離し、純粋に(ということは実際はありえないわけだけど)作品単位に還元するべきという考えのもとにラッセンを引っ張ってきた原田氏の企ての中にあるのは、もしかしたら「言語ゲーム」としてのモダンからコンテンポラリーアートの書き換え、及び必ず文脈に依存する批評との訣別なのか?‥‥とか。
でも「強度」だけで善し悪しを見るとしたらそれも疑問。「強度」は作品の要件かもしれないが、容易に消費されがち。「さらなる強度を」は「さらなる消費に」に結び付き、「売れるものがいいもの」的価値観に吸収される危険性が‥‥とか。
ただし他のジャンルと同様、アートも資本主義社会の「趣味」の消費文化(であるならば、中ザワヒデキ氏がかつてスタジオボイスで指摘したようにラッセンの勝ちになるが)として自らを規定するなら、その方向でどんどん突き進んで制度にすら守られない「焼け野原」*4になっちゃうしかないのかも。でなければ、内的「論理」でガチガチに固めてやるしか手がなさそう(極論です)。
個人的には拙書に書いたように、<「異物」としてのアート>は何らかのかたちで(時にアートとは認識されないようなかたちを取って)残り続けると思う。

アートの条件と隠喩/換喩

斎藤氏の発言(Togetterまとめから)

ラッセンをコンテキスト化できるかどうかについて3つの問題がありできないと思う 
1、メタレベルに立って領域を越境できるかどうかであり、それにより他領域を取り込めるが、それができない 
2、自己投影できるかどうか。本人の何かが浮かび上がるかどうか、トラウマ的なものがそこに反映されているかどうかで、病跡学点からとりこみやすい 
3、如何に意味から逃れられるかどうか。ラッセンの絵は意味過剰で説明的すぎて、まさにイラストで嫌われる。
ラッセンの作品単体でなく、それと風俗などを一緒に取り組んでコンテキスト化するしかなく、単体では語ることは出来ない

ラッセンがモダン〜コンテンポラリーアートの世界で取り上げられない理由が、解りやすく述べられていた。要は1.メタ視点がなく、2.作家の内面も反映されず、3.隠喩的読みができない(意味過剰で説明的すぎる)場合、アートとしての積極的価値=批評性は見出されないと。
逆に言えば、そういう読みを学ぶことがアートの見方を学ぶことに、少なくとも現在はなっている。大野発言の「ラッセンは美術に組み込まれないと思う。美術館と学校云々」もそのあたりのことを指す。


で、3の「如何に意味から逃れられるかどうか」の「意味」とは、見たままのベタな意味ということであり、「まったく何も意味しないものを作れるかどうか」ということを言っているのではない(と思う)。
意味を一つの点に例えてみると、ラッセンの絵は点でぎっしり埋め尽くされていて、余白(解釈の余地)がない。点と点を繋ぐような線(コンテクスト、文脈)が引けないから、外部(風俗など)との関係で「コンテキスト化するしかない」。つまりラッセンの絵は、描かれたモチーフ間や色や形態との間に、何らかの意味の連鎖や因果を創出的に見出しにくい(隠喩的読みができない)。
逆にそういう回路を持っていないからこそ、彼の絵は「快感原則」に生きるヤンキー的感性に直裁に訴えたとも言える。
斎藤氏は、『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』(角川書店、2012)で、ヤンキー=ヤンキー的スタイルを「本質を欠いた換喩性」としている。ざっくり言えば、換喩は近いものへの「置き換え」による隣接だが、隠喩では意味と意味の連鎖運動や因果関係が成立する。ラッセンの絵はただベタな「意味」が隣接し合っているだけの、「本質を欠いた換喩性」が身上。そこでラッセン=ヤンキー、となる。


しかし。隠喩的でなく換喩的であるということは、コンテンポラリーアートにおいてはむしろ”褒め言葉”に反転し得るのではないか。
『日本2.0 思想地図β3vol.3』収録の論考『文学2.0 余が言文一致の未来』で市川真人氏は、近代とは「隠喩の時代」だったとした上で、隠喩的に意味を見出すことで対象を一つの世界として把握するような読みに慣れている我々は、換喩的方法で表された世界(たとえばネットのテキストのハイパーリンクは換喩的であり、一つの世界として全体を把持しづらい)の「人間性の無意味化」に耐えられない、近代的主体である我々は換喩的表現に「反動的」に隠喩的「意味」を希求する、と述べている。
詳しくはこちらの記事を参照して頂きたいが、そこで私は「因に『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』で斎藤環がヤンキーの特質を「本質を欠いた換喩性」としていて、隠喩が神経症と対応しているとすると、換喩は乖離と対応しているのだろうか?などと思ったりもした」とメモしていた(神経症は近代の病だが、それに対して最近増えていると言われるのが乖離性障害らしい)。


諸々合わせて考えると、隠喩的読みを拒否する換喩的表現に満ちたラッセンの絵こそ真にコンテンポラリーであり、それを感覚的に享受できるヤンキー的感性こそ、”知の埋蔵量”を競いコンテクストの解読合戦に明け暮れるサブカルやアート界隈の近代的主体よりずっとポストモダン、というか未来人ということになるのか。何だか笑えてきた。思わず「未来人」なんて書いたけどそれってニューエイジっぽいですよね。
話が一周したところで収拾つかなくなってきたので終わります。


トークイベントでの私の発言についてご質問のある方は、どうぞお気軽にコメント欄へ。


● 9/2続き書いた。


● 例によって追記
質問タイムの最後に出た私への質問。「『アート・ヒステリー』で書いていた美術教育の話と、今日のラッセン話とは、どういうふうに繋がるのか聞きたい」(だいたいこういう内容だったと思う)について。答えの途中で話がとっちらかってしまったので、ここを読んでいらっしゃるかどうかわからないけど改めて。
戦後の日本の学校美術教育は「自由」と「個性」の賞揚を旨としてきたが、アーティストより観客になる人の方が圧倒的に多いわけだから、美術史や造形理論などを通して美術のコンテクストを知的に理解させ、教養を伝授することも必要。これは、芸術を啓蒙する近代の制度として成立してきた学校と美術館の役割。
一方、作品を観る時、誰でも自分の中の知っていることを通して観るのであって、そこには優劣はつけられない。個人的な体験や記憶を通して観てもよいし、好き/嫌いな見方でも構わない。それはどこまでも自由。
そういう感覚的な受容と、教養による理解とが、相容れないこともあるだろう。たとえば自分はラッセンが好きなのに、一方でアートではあまり評価されてないのも理解できるとか。そういう”矛盾”や違和感に向き合う体験は、単に好き/嫌い、趣味に合う/合わないで済ますより、その人にとってものを考えるきっかけに繋がるのではないかと思います。


終了後、若いお客さんの一人から「現代アートでは「タブー」とされているようなこと(例えばラッセン)って、その外の世界ではそうではない。ラッセン本鼎談で出ていたアートとイラストの区別など、自分の感覚では全然ない。なのでアートの世界で前提とされてきたことは、説明されないとわからない部分がたくさんある」という意見を頂いた。
その通りだと思う。ラッセン本やトークイベントが、そのあたりを多少なりとも開くきっかけになればいいのですが。


ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

↑第三章でラッセンについて書いています。本の内容紹介など詳しくはこちらを。

*1:「現代版”極楽浄土の図”」「一種の宗教画=スピリチュアルアート」など。

*2:ニューエイジヤンキー」とはここの斎藤氏の文脈では反原発を唱える山本太郎を指していたのだが、政治批評としてこの対談を読んでいた読者は、いきなりラッセンが出てきてびっくりしたのではないか。

*3:そして後で思ったこと。戦後美術教育の旗印だった「自由」「個性」「創造性」って、どこかニューエイジ、スピリチュアルと通じている感じが濃厚。たしかニューエイジ思想は教育方面にも影響を与えていたはず。このへんを掘り出すと面白そう。

*4:これ実際は「あとは野となれ山となれ」という言い方をしたと思うのだが、、、よく覚えてない。