古田新太×松坂桃李『空白』における「暴力」(連載更新)

「シネマの男 父なき時代のファーザーシップ」第22回は、古田新太松坂桃李が共演した『空白』を取り上げています。

 

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突然の交通事故で娘を失い、タガの外れていく父親。もともと横暴な面のある彼の目につきやすい「暴力」性はやがて、周囲で起こってくるより厄介で根の深いさまざまな「暴力」の中で、むしろ小さな嵐のように見えてきます。

古田新太、なかなか迫力のあるブチギレ親父を熱演していますが、何というか古田さん自身の元々の人の良さみたいなものが、たまーに台詞の端っこに出ている。それに気づくと、キレててもあまり怖くない(笑)。

少し不器用で鬱屈を抱えていて、しかし真面目に頑張ろうとはしている、どこにでもいそうな普通の青年を見事に演じ切った松坂桃李は、改めて優れた俳優さんだなと思いました。
寺島しのぶの演じるやたら元気なおばさんが、じわじわと面倒臭い感じを表に出してくるのがまたリアルです。いますね‥‥こういう人。

ドラマとしてはあまりにツラい展開で、取り返しのつかない感は強いのだけど、最後にほんの少しの救いが示されています。おすすめ。

 

次回は『赤ちゃんに乾杯!』(コリーヌ・セロー監督、1985)を取り上げます。独身の三人の男が突然現れた赤ん坊の世話にてんてこまいとなるコメディで、ハリウッドでリメイクもされているヒット作。11月18日(土)更新です。

 

綿野恵太×大野左紀子「Twitterから考えるアンチ○○の未来」オンライン対談、まだ視聴できます

ここでの告知を忘れてましたが!
先週土曜に綿野恵太さんとのオンライン対談がありました。

綿野さんの『「逆張り」の研究』についての私の感想と質問、それに対するお答えから始まり、震災以後のTwitterの雰囲気、現象、そこに見られたものとは何か?について伺っていく、という展開です。かつてのはてなダイアリーの頃の「非モテ論壇」にも少しだけ言及しています。

いろんな意味で”終焉”が囁かれるTwitter(今はXと言うそうですが)のこの10年余りを振り返りつつ、リベラル/アンチリベラル、フェミニスト/アンチフェミの二項対立から抜け出す道について語り合っています。

アーカイブの購入、視聴は、10月7日まで可能です。

どうぞよろしくお願い致します!

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youtubeで冒頭20分が無料です!(最初私の凡ミスでトラブってますが)

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父には『家族を想うとき』なんかなかった(連載更新しました)

「シネマの男 父なき時代のファーザーシップ」第21回は、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019)を取り上げてます。

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原題は「Sorry We Missed You」(ご不在につき失礼します)。邦題からは思いもよらない”宅配の地獄”が描かれています。
しかしこの邦題、もうちょっと何とかならなかったのか?と思います。確かに、主人公には「家族を想う」気持ちがあって過酷な労働に駆り出されていくのですが、働き始めたらそんなことを想ってるような余裕がない。とにかく余裕がないことで軋みが生まれ、悲劇の引き金になっていくのです。

 

実際に起こった事故をヒントに作られたドラマです。淡々と事実を積み上げていく無駄のない演出もいいですが、役者がみんなハマってます。特に、長男セブを演じるリス・ストーンがすごくいいんですよね。イギリスの労働者階級の少し屈折した少年の感じがリアルです。
イラストは、主演の父親リッキー役のクリス・ヒッチェンの顔。公式サイトによれば「配管工として20年以上働いたのち、40歳を過ぎてから演技の道」に入った人だそう。

 

次回は、古田新太松坂桃李が共演した『空白』(𠮷田恵輔監督、2021)を取り上げます。ForbesJapanにて10月21日(土)18:00の公開です。

 

父親未満の青年と母を失った少女・・・『アマンダと僕』

告知がまた遅れましたね、スミマセン。

「シネマの男 父なき時代のファーザーシップ」第20回は、フランス映画『アマンダと僕』(ミカエル・アース監督、2018)を取り上げています。

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パリが舞台。初夏のパリの街の雰囲気が画面いっぱいに伝わってきて、見ていて心地よいです。
「僕」であるダヴィッドを演じるヴァンサン・ラコストも、優しくてごく普通の青年を好演。そしてアマンダ役の少女が、じわじわと来る良さ。以下、本文より抜粋します。

 

特筆すべきは、監督に見出され本作でスクリーンデビューしたイゾール・ミュルトリエの演じる、アマンダの存在感だ。あどけなさとやや大人びたところが混じる表情、日に焼けてはちきれそうに健康そのものの体躯。ハリウッド映画なら人形みたいに可愛く華奢な子役を持ってきそうなところだが、ベタついた愛らしさが希薄なアマンダには、ごく普通の小学生のリアリティが漂っている。
主な登場人物はダヴィッドを始めとして痩せ型のひょろひょろした大人が多い中、アマンダは小さいながらもどっしりとした存在感を放つ。事件以降、決定的な「重さ」としてダヴィッドの心と生活にのしかかってくるアマンダの主体の強さを際立たせるためにも、生命力溢れる体型の少女が選ばれたのではないだろうか。


後半は、二人のズレの描写に注目してみました。テニスの観戦シーン、本当に秀逸です。未見の方は是非。

次回は、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019)を取り上げます。9月16日(土)午後6時の更新です。お楽しみに。

 

「シネマの男」第12回は、シェフが息子と旅する美味しい映画

あまりの暑さにこちらの更新を忘れていました。。
「シネマの男」第19回は、ジョン・ファブローが監督、脚本、主演を務めたコメディドラマ『シェフ 三つ星フードトラック始めました』(2014)を取り上げています。

 

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配役、役者の名はテキスト内に全部記していませんが、なにげに豪華です。中でもコロンビア出身の個性派ジョン・レグィザモが好演。

SNSが重要なモチーフの一つで、画面にツイートが飛び交ったりと「今風」の作りになっていますが、親子のテーマは極めて古典的と言えるでしょう。
そして、全編を彩る中南米ソウルフードとラテンミュージック! ダイキリマルガリータが飲みたくなります。お腹が空くのでおつまみも用意してどうぞ。


次回は『アマンダと僕』(ミカエル・アース監督、2018)を取り上げます。パリで起きた無差別殺傷事件を背景に、事件で姉を亡くした青年と、母を失った幼い姪の関係を描いた作品。8月第三土曜日午後6時の更新です。

 

この国はもう滅ぶのでこのへんに柴犬だけの国を作ろう

 

飼い犬タロになっているつもりで詠む「犬短歌」、2023年上半期の歌です。
まあまあのも今ひとつのも全部上げました。気に入ってる歌の最後には*マークをつけてます(/サキコとあるのは私名義の歌)。俳句も少々あります。

 

◆ 一月

神様がスポットライトを気まぐれに誰かに当てる平らな世界

何千という始まりの朝迎え最後の朝に終わりへと跳ぶ *

凍てついた僕らの冬を溶かそうと蝋燭の炎色の薔薇咲く

おばさんが良い出汁とりたくなるように良い土見ると俺は掘りたい

猫二匹ふぐりを冬の陽にあてる

甘噛みは暴力じゃない信頼を試してるだけもっと噛ませて *

微生物たちがそわそわ騒めいて石が湿ってもうすぐ雨だ

晒し首みたいに残った白菜が一列小春日和の畑 *

無を閉じ込めた鉄柵に冬光る

すっぱりと頭切られた大根の面の白さよ土の黒さよ

寒波前 野薔薇は花も葉も赫く

寒波だよ寒波が来るよと怖がってないで今すぐどっかに逃げよ

マフラーの色が厭ではないのですマフラー自体いらないのです

あの猫は小悪魔 興味なさそうな目をして俺をじっと見ている

蓮根は回転式のシリンダー 銃と弾だけ今ここにない/サキコ *

この冬も生き延びたりと老猫は擁壁上で髭を光らせ


◆ 二月

俺が糞ひねり出すときヨイショ言うおばさん一緒にりきんでるのか

自転車の子供が父を追い抜いて凱歌をあげるもうそこに春 *

覚えてておくれ短歌を詠む犬がいたことタロと呼ばれてたこと

「おばちゃんは仕事だから」で消える人 犬と遊ぶよりいい仕事とは

梅の香と違う匂いだコンビニでさっき買ったの何だプリンか

雨冷えや大根の吐く息白くビニールトンネル曇らせており

あのひとが留守の間はタロをやめ犬さえやめて休んでるのさ

解放と武装の境目を縫ってゴスロリ少女田園を行く *

ひね生姜捻くれ者にて広縁で干からび刑か酷い話よ

如月の空をキラキラ早春のかけらに変える赤子の声よ

角曲がるたびに同志の呼ぶ声がする蜂起まであと少し待て

小糠雨スマホ画面に虹色のラインストーンの七つ八つ落つ/サキコ

いま猫がニャアゴと言ったどこにいる世界の裏で鳴いているのか

飯出してあたふた立ち去るおばさんよ俺はいつでも孤独のグルメ


◆ 三月

あの空に何か忘れてきたような気のする春の月のはじまり

太郎展行っておいでよ戌年のダンナを散歩させておいでよ

畑の中キャスター付きの椅子押して老女はふうわり弥生の空へ *

カップ麺初体験でほころんだ母に八十五年目の春/サキコ

あの人が桜の開花見たいから今日も散歩はおんなじコース

万物が解ける春だよ絵にされた犬の魔法もそのうち解ける

赤い花食べた小鳥は赤くなり花のかわりに枝に止まるよ

生きものを励ます声の空高く雲雀は朝のパーソナリティ

『幸せの黄色いハンカチ』ラストシーン思い出す花盛りのレンギョウ/サキコ

レンギョウが今年も咲いて春が来て笑う彼女は切りたての髪 *

俺を見て四つ足歩行になった子よ ケモノの頃は楽しかったか 

雨の中とぼとぼ歩くぼくたちに雨もとぼとぼとぼとぼと降る *

それぞれが読書に耽る雨の日の静けさ 独り前脚舐める

家一軒無くなったとき縁側の下は残るの無くなってるの


◆ 四月

今ここでそのパソコンを破壊する力はあるが今日はやめとく

イーロンに告ぐ柴犬は鳥じゃないツイーと囀るあのロゴ戻せ

生きものの香りのコロン春の泥 鼻にちょっぴりつけて洒落込む

一区画ぐるぐる走る自転車の少年細い肘は鋭角 *

猫のいる場所が世界の中心さ 犬はまわりで吠えているだけ

広告でヒトは窒息して犬は匂いに包まれ深呼吸する

狂犬病注射の前に狂犬に

狂犬が人に噛みつくなら人は狂って何に噛みつくんだろ

鉄線花咲け俺も咲け太陽を喉まで浴びて全開になれ

退屈な午後は地面に顎乗せて彼女のかざすスマホ無視する

横顔を見せて吐き出す紫煙まで特別だったあの日の君は/サキコ *


◆ 五月

ヤングという名の鉄線は大人色 中年犬の初夏に合う色

綻びを赤い糸にて飾りつつ母は痛みを縫い留めており/サキコ

雨止まぬ闇夜にひとつ身震いし老母の病みの止むこと願う

目に涙溜めて笑顔を作ろうとするな泣きなよそのあと笑え

枝さらさら暖簾ふうわり猫ごろり下駄がカラコロ犬はくんくん

晴れの日は穴掘り雨の日は穴でくつろぐそれが俺の実存 *

腰痛は草に寝転び治します草が痛みを取ってくれます

固まったハチミツの瓶湯煎して母の痛みがほどけゆく朝/サキコ

この国はもう滅ぶのでこのへんに柴犬だけの国を作ろう *

柴犬の国にはおやつ一年分献上すれば入国許可す

我が国は「首輪持たない、作らない、持ち込ませない」破れば死刑

我が国のどこにおいても柴犬は自由に穴を掘る権利あり

我が国でいかなる時に遠吠えをしても黙れと言う者はない

分け入っても分け入っても青い草/犬頭火

人参の根を一本と決めたのは誰たくさんの方が楽しい


◆ 六月

あの犬に朝の挨拶したいからおばさん先に帰っていいよ

六月の青く荒ぶる風避けて水筒の水分けあう僕ら *

ヒメジョオン越しに君見て雨粒の味に明日の運を占う

綱渡りしている人よセーフティネットは君の前にいる犬

猫よその日陰は君のものじゃない俺と彼女がくつろぐところ

このまんまどっかに行ってしまおかと思いつつまた帰ってきたね *

黒猫を見たらいいことあるということ思うのがきっといいこと

草むしる指から逃げて転がって王蟲の子どもシダの林へ

おじさんは鯵を三枚に下ろしておばさんは何下ろすの?おじさん?

新しい鎮痛剤は夜二錠「ほやしゅみなしゃい」と母床に就く/サキコ *

神様のお話聞いてと来る人にうちは柴犬教と伝えよ

 

※これまでの犬短歌は以下です。

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すべての記憶が混乱し消えていく‥‥『ファーザー』

『シネマの男 父なき時代のファーザーシップ』第18回は、認知症の老人の世界をミステリー風に描いた『ファーザー』(フローリアン・ゼレール監督、2021)を取り上げています。

 

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脚本がなかなか凝っていて、意表を突く展開があり、いろいろ謎解きしたくなります。私もある筋書きを想定しましたが、それはあえて書いていません。


私事ながら、亡き父が晩年認知症になり、母と私を間違えたり、時間の感覚がおかしくなったりしつつ、記憶がなくなり、言葉も出なくなっていきました。あれは本当にしみじみと寂しかったです。
なので、本作最後のシーンは涙なくして見られませんでした。


ちなみに、認知症になった父のことは、当ブログでたくさん書いています([父]タグの記事)。その中から4本上げておきます。

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