聖子よ腰を振れ

愛ルケ」の珍事

最初に、松田聖子とは全然関係ない話題から。
渡辺淳一原作の東宝映画『愛の流刑地』の配役がやっと決まったとの発表があったのは、先月16日だった。
最初主人公役に決定していた役所広司@失楽園も、相手の女優がいつまでたっても決まらないので業を煮やして降りてしまい、今春クランクインの予定は遅れに遅れて四面楚歌状態だったところに、いきなり豊川悦司寺島しのぶという意外なキャスティング。
寺島しのぶはたとえ「愛ルケ」であろうが何であろうが、これを期に濡れ場も大胆にこなす女優としての地位を確立したいという野望があったのであろうが、トヨエツは‥‥たぶん原作のトンデモぶりを何も御存知ない。「愛ルケ」の話題にアンテナ張る頭もなかった。俳優としては致命的だが、仕方がない。私はそう思うことにした。


ところがこないだモーニングショー「とくダネ!」を見て、豊川+寺島のキャスティングは、今日から公開の松竹映画『やわらかい生活』と同じだということを知った。
やわらかい生活』は第96回文學界新人賞をとった絲山秋子の原作、『ヴァイブレータ』で名前が知れた廣木隆一監督作品で、既に北欧の映画祭で賞ももらっている佳作らしい。絲山秋子の小説は読んだことがないが、渡辺淳一と対極にあるであろうことは推察できる。映画も「愛ルケ」とは観客層がかなり違うだろう(トヨエツが出てるなら何でもいいというファンを除いて)。
その密かに前評判の高い松竹映画のキャスティングを、配役に窮してパクったとしか思えない東宝の「愛ルケ」製作委員会。
ヒロイン役として噂されていた鈴木京香にも石田ゆり子にもそっぽを向かれ、肝心の役所広司にも逃げられてしまい、もうなりふり構わなくなった感のある東宝
愛ルケ」で初メガホンを取る鶴橋康夫監督のせいではない。ライバル会社の映画と主役の配役がかぶってでも、渡辺淳一の不倫小説を映画化して、第二の「失楽園」ブーム=大儲けを目論む東宝の狙いがさもしい。


愛ルケ」の公開は、今年秋から冬と言われている。共演俳優の同じ文芸作品が、数ヶ月の時差で公開になるという珍事だ。
邦画の黄金時代に、次々主役コンビを独占していた吉永小百合浜田光夫の真似なのか。だが吉永+浜田は同じような青春・純愛映画に出演していたからいいのであって、あれが一方で純愛もの、一方でポルノで共演だったら相当変である。私の見るところ「愛ルケ」に関する限り、小説の中身から作家の弁から映画の配役に至るまで、変なことだらけ。


「とくダネ!」では、芸能記者前田忠明がフォローするかのように
「(あの「愛ルケ」の)主役を張れる女優がいないんですね」
と言うと、すかさずメインキャスターの小倉智昭
「カラダを張れる、でしょ」
と突っ込んでいた。
「あれをできる二人が他にいない」
と前田が返すと、
「でも、できると思う?」
と小倉。おかしくてしょうがない。
あのナベジュンの脳内妄想全開のセックスしかない「愛ルケ」に、女優さんは普通出たいと思わないでしょ、まともにやったら相当変だよねえ、と言いたいところをあ・うんの呼吸で巧妙にカムフラージュして、わかる人だけにわかる会話になっていた。少なくとも、小倉の方は「愛ルケ」のことわかってるね。まあ私の思い込みかもしれないが。


他人のアイデアをちゃっかり頂く。同じ路線で二匹目の泥鰌を狙う。商売が絡めばよくあることだ。
しかし、他人のアイデアに敬意を表しているのかいないのか、頂いていることを自覚しているのかいないのかは、自ずと現れる。「愛ルケ」製作委員会は「いない」方。
「たまたま配役が一緒になっちゃったようだけど、全然別の映画ですから。それにこっちの方がヒット確実ですから。なにしろあの『失楽園』の渡辺先生原作の超話題作ですから」とでも言いたげなシラッとした尊大さが、この「配役の偶然の一致」に感じられる。


崖っぷちの女

他人のアイデアを頂き、真似っこを自覚し、オリジナルと比べたら全然比べもんにならないのにも関わらず頑張っているのが、松田聖子である。真似の対象はマドンナ。アメリカ進出が失敗して和製マドンナ路線はとっくに引っ込めたと、ずっと思っていたが甘かった。松田聖子は諦めていなかった。


「女性セブン」5月25日号によると、4月末東京のあるクラブで開かれたゲイナイト・イベントで、全盛期(前世紀)のマドンナそっくりのヘアスタイル(デコ出しポニーテール)とファッション(いわゆる女王様スタイル)で、「腰をグラインドさせて」激しく踊りまくり、2400人のゲイピープルの大喝采を浴びたとのことである。露出度の高いきわどいスタイルの上に着物を羽織った"変なガイジン"みたいな写真と、「腰グラインド」写真が載っていた。
だいぶん前から松田聖子のやることにはもう驚かない私だが、「失神寸前の男性も出るなど、会場は異様なまでの興奮状態だった」(「女性セブン」)とは、にわかには事態が飲み込めない。
記事によるとこのイベントは、タワーレコードが出している雑誌『yes』が独占取材することになっており、それを知った松田聖子が自ら売り込みをかけたもの。もともと松田聖子の「コンサートやディナーショーの最前列は、いつもゲイだらけ」で、ゲイのファンサイトには「聖子様の歴史」「聖子様の作詞」の文字が踊っているのだとか。
松田聖子はおばさんのアイドルだと思っていたが、せつない乙女心を歌える歌手としてゲイの人から絶大な支持を得ていたのである。全然知らなかった。


マドンナがゲイにリスペクトされていたことは有名である。ステージでゲイのダンサーをよく起用し、ゲイを描いた映画『ヘドウィグ&ザ・アングリーインチ』に感激して版権を買い取りたいと言ったくらいの、筋金入りのゲイ・シンパ。全盛期の終わり頃には、男とも女とも絡んでいるヌード満載の『sex』というかっちょいい作りの写真集も出した。
聖子がバージンっぽさをウリにしていた正統派アイドルなら、マドンナは最初から「ライク・ア・バージン」なセックス・シンボル。方向性がまったく違った。


ブリッコ(死語)路線も無理となった聖子は、アメリカに行って和製マドンナとして脱皮しようとしたが、単に化粧が濃くなって帰ってきた。そして外人との不倫スキャンダルにまみれた。
郷ひろみとのデュエットも、話題作り以上のものではなかった。
結婚は二度とも失敗。
一人娘SAYAKAをデビューさせ自分のクローンに仕立て上げようとしたが、娘は母のプレッシャーに負けてそれも失敗。
一昨年のこの記事で私はSAYAKAの行く末を案じ、早く男を作ってママから離れろと書いたのだが、その後ほんとにその通りになってしまった。
普通に見たら、松田聖子はもう過去の人。
もちろん今でも、「赤いスィートピー」(名曲)の頃からの根強い聖子ちゃんファンは結構いる。しかし、本人としては同世代のおばさん相手に堅実にやっていくのだけでは、全然満足できないはずだ。とんでもない若作り路線で来てしまった以上、歳相応の「成熟」ももはや無理。
じゃあ、このまま過去の栄光にすがりながら、ファンと共に歳をとっていくしかないのか。
マドンナになりたかったのに。
なれるはずだったのに。


今からでも遅くない、と聖子は思ったのだろう。これまで自分の方からゲイにアピールするのは遠慮してきたが、ここに来てもうそんなことも言ってられない。
「ゲイの人たちはトレンドに敏感。彼らの後押しはセレブの証だと聖子さんも気づいたのでしょう。今回がいいキッカケになったみたいです」(音楽関係者/「女性セブン」)。
灯台元暗し。あと一花咲かせられるなら、ゲイでも何でもこっちから迎えに行くわよ!


マドンナを目指しておきながら、気づくのが遅過ぎるのではないかとは思う。いや気づいたところで、マドンナになるのは無理である。何より"戦略"が痛々しいほどあざとい。
しかしそれが聖子だ。これまでもなりふり構わず突き進んできたのが、松田聖子という女。
今さら、同窓会トリオを結成した早見優松本伊代や掘ちえみと同じような、「昔のカッコで出ています♪」みたいなヌルい真似ができるか。現役で闘ってきたスターのこの私が。あざとくてもバケモノと言われても、腰が動かなくなるまでガンガン振りまくってやるわ。


崖っぷちの女、松田聖子44歳。
マドンナになれなかった女の、ケツをまくった最後のあがき。


私は少し好感を持った。