自画像をめぐる自意識

画学生が取り組む課題の一つに、自画像がある。手頃なモチーフがなくモデルも手配できず描きたい場所は遠過ぎる、そんな時でも困らない一番身近な対象、自分自身。だから、貧乏な画学生は絵の修練のためによく自画像を描く。
画家の自画像も面白い。自画像で有名な画家というと、レンブラントデューラーゴッホが思い浮かぶ。個人的にはデューラーのこれが自画像のオールタイムベスト1だ。と言っても未だに画集でしか見たことないんですが。


この自画像のように、自分の上半身を正面から描くのは案外難しい。実際に鏡に顔を映しながら描こうとするとわかる。体は鏡ではなく、描いている絵の方をどうしても向く。だから自然な体勢で描くと、顔も上半身もやや斜めを向いた絵になる。そういう自画像は多い。
それをあえて真っ正面から、しかも自らをキリストに見立てて、1500年という当時「最後の審判」が下ると恐れられていた年に描くという28歳のデューラーの傲岸不遜、いや大胆不敵。
冷徹で射抜くような目はこちらを見ていない。ひたすら自分自身を見つめている。ミュンヘンのアルテ・ピナコテークでこの目に対面した人は皆、金縛りになるという(知らんけど)。


私の初めての自画像は、中二の夏休みに学校の課題で描いたものだった。
右手が絵筆を持って上がっている中途半端なポーズは厭で、なんか参考になるものはないかと家にある画集を見ていたら、ダ・ビンチのモナリザがあった。手のポーズがとてもきれい。これいいな。真似することにした。モナリザに模して描く自画像。なんという傲岸不遜。まあ中二だから。
絵筆を一々置いてそのポーズを取って、よく見て形を頭に叩き込んで描いた。白いお気に入りのブラウスを着て軽く手を交差した上半身。バックは夏なので、水色と緑の混じった爽やかな涼しい感じに仕上げた。顔や服の方は自分なりに良い出来だったが、手は難しくて水彩の上からクレパスの処理でごまかした。
後で、美術の教師だった担任が「中学美術」とかいう教員向けの雑誌にその絵を送り、掲載された。自分の絵がカラーグラビアになっているのは嬉しかったけれども、どっかの偉い先生の評で、今いち気に入ってない手が妙に褒められていて釈然としなかった。


その後、10代のうちに何枚も自画像を描いた。
自分の顔は鏡を通してしか見ることができなので、描いていてどこかもどかしさがある。それだけでなく、鏡を覗き込むたびに「もっと鼻がしゅっと高かったらな」「もっと目がパッチリだったらな」「どこまで上手く描けても元が元だし」というコンプレックスに苛まれがちになる。
高校の美術科に入って描いた油絵の自画像は、病気のように真っ青だった。ブルー系とジンクホワイト以外の色を使わないという極端さだ。アトリエで上級生が私の絵を見て「ピカソの青の時代?」「まあ一度はやりたくなるもんだよな」とか言っているのを聞いて、その通りだったので恥ずかしくなった。しかも17歳の私の顔はテカテカと健康そのもので、ブルーでアンニュイな雰囲気など微塵もなかった。


自画像って油断すると自意識がダダ漏れになるから嫌い。何の苦労も知らなさそうな(実際知らなかったが)自分の顔も嫌い。
それ以降、数えきれないほど人の顔を描いたが、自画像はスケッチで2枚くらいしか描いた記憶がない。私は画家ではなかったのでますます自画像から遠ざかった。



自分がすっかり描かなくなったとは言え、仕事の関係で先日、自画像デッサンの指導をすることになった。デザイン専門学校のマンガコース、2年。いろいろ面白かったので小咄などを。


学生は一人につきイーゼルを二台立て、一方に鏡、一方に画板を置いて描く。私はその後ろで、デッサンと鏡の中の学生の顔を見比べる。私の顔が鏡に映り、学生が下を向いて笑いを堪える。しょうがない。私だって中腰で眉間に皺を寄せたおばさんの顔が自分の背後にいきなり映ったら、視線を外したくなると思う。
「ちょっと見せてね」と替わってもらう。学生は隣に座らせ、鏡に映っている顔が私から見えるように調整。よしよし、これで心置きなく観察できるわ。
鏡の中の顔をまずじっくり見る。なかなかいい骨格だ。それにやっぱし肌が若いわ。いいよねぇノーメークでもきれいで‥‥。しばらくすると学生がまた下を向いて笑いを堪える。
「もしかして、あなたから見ると私の顔が鏡に映ってる?」
「うん。先生の真剣な顔がこっち見てて。笑っちゃいけないんだけどなんか」
見つめ合っていたとは知らなんだよ。やりにくいのう。


もともと上手い生徒は放っておいても大丈夫だ。彼らは自分の顔だろうがリンゴだろうが立方体だろうが、ひたすら冷静な観察者の立場でどんどん描き進めていく。毛穴まで描く勢いで描写している学生もいる。
もともと下手な生徒の指導も楽だ。下手で絵になってないという自覚がある*1ので、何を言われてもあまりへこたれない。
難しいのは、ある程度描けて、ある程度自分のスタイルもできている学生。
それなりには形になっているのだが、ちょっと幼女っぽい丸顔になっていたりする。しかも目が実物よりかなり大きめ。鼻はちょこんと小さめ。なんとなく、マンガ的に理想化した自分を描いているような。
これが静物デッサンなら「このリンゴはもっと小さいし、立方体はもっと大きい。これではバランスが狂ってる」とはっきり言える。が、自画像に対して「あなたの目はもっと小さいし、鼻はもっと大きい。これではバランスが狂ってる」と直裁に言うのは結構勇気がいる。その画面に、ナルシシズムとコンプレックスの戦いがなまなましく刻まれているのが、よくわかるだけに。
結局、「もっと大人っぽい骨格だよ。頬骨はこの位置でしょ‥‥鼻ももっと高くてしっかりした形しているし‥‥この間に眼球が入るからこんな感じで‥‥」とか言いながら少し手直しする。


美化、理想化に行きがちな学生がいる一方、それと反対の方向に走ってしまう学生もいる。特に男子。
「おっさんみたいな顔になっとるやん。ちゃんと観察してる?」
「いや自分の顔がブサイクなのは自分がよくわかってますから」
そんなこと言ってないがなと思いつつ、
「ブサイク? そうかあ?(じろじろ見る) ちょっと座らせて。えーと、どれどれ‥‥」
これからどうにでもなりそうな、まだ完全には出来上がっていない男の子の顔だ。目が細いので印象は地味だが、よく見るとパーツは整っている。でも本人のキャラは完全に三枚目。自分がそういうポジションだという自意識が、自分の顔をストレートに見、描くことを邪魔をしているのかもしれない。
「もっと顎の線がはっきりしてるじゃん。ここにざっくり影を入れておかないと。鼻梁はとてもいい形だね。鼻の穴もよく見て描いて」
照れるのか私を笑わせたいのか、彼はわざと小鼻を膨らませて変な顔を作った。まるで小学生だ。


学生の自画像を観察していて、10代の頃の自分を思い出した。
自分が自分の顔に見つけたいものはなかなか見えない。発見したくないものばかりが目につく。ちょっと美化のスクリーンを被せてみたくなる。ああでも私ってこんな美人じゃない。
暴れ回る自意識をねじ伏せて、外形のリアルを見極めたいという欲求が勝った時に、やっと自分の顔が真っすぐ見られるようになる。そうやって描かれた自画像が教えてくれるのは、「なにもかもが外形に宿っている」という真実だ。
この夏休み、勇気を出して30年ぶりくらいに自画像を描いてみようかと思った。



500の自画像

500の自画像

自画像の美術史

自画像の美術史

面白そう。二冊とも表紙にデューラーが。レンブラントは晩年の暗い感じのがいい。


藝大生の自画像―四八〇〇点の卒業制作

藝大生の自画像―四八〇〇点の卒業制作

油画科と日本画科では卒業制作に自画像を一点添えることになっているので、たぶんそれを集めたもの(私は彫刻科だったのでこの課題はなかった)。在学中に見た中では、キャンバスを真っ白に塗り込めていてほとんど顔の見えないのとか、窓ガラスにむぎゅっと押し付けた顔とかいろいろあって楽しかった。

*1:「マンガコースなのに、顔描くのは苦手みたいだね」と言ったら、憮然として「俺、メカ専門ですから」と言う学生もいたが。