トニ・コレット姉とキャメロン・ディアス妹のちょっとイタくて沁みる『イン・ハー・シューズ』

連日お暑うございます。
こちらでのお知らせ、遅くなりました。
連載「シネマの女は最後に微笑む」第67回は、『イン・ハー・シューズ』(カーティス・ハンソン監督、2005)を取り上げています。ここのところ、コロナ禍関連の前振りでわりとシリアスな映画が続いていたので、少し息抜き的な感じにしてみました。

 

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正反対の性格の姉妹の成長物語。コメディ味があり脇役もそれぞれ個性的で、なかなか楽しく観られます。シャーリー・マクレーンの貫禄がさすが。
終わりの方の関係修復過程がちょっと上手く行き過ぎかなとは思いますが、C.ディアスの楽しそうな後ろ姿が超チャーミング。


姉はしっかり者で妹はちゃっかり者、あるいは姉がおしとやかで妹がやんちゃ、というパターンが姉妹ものには多い気がしますが、実際はどうなのでしょう。やはり、姉特有の性格、妹特有の性格というものがあるのでしょうか。
自分が二人姉妹の姉なので、姉妹ものはいろいろ突き刺さることが多く、DVD見直しながら離れて住む妹のことを思い出しました。
幼い頃から妹の方が可愛くて愛嬌もありちやほやされてきた(と姉の私から見ると思える)のですが、彼女が私に強烈なコンプレックスを抱いていたと知ったのは大人になってからで、その時はとてもショックでした。
この作品でも昔のアルバムを眺めるシーンがありますが、子供の頃の自分たちの写真を見ると、たった二つ違いでも自分が妹を守るように立っていることが多く、なぜか悲しくなります。

 

 

なりすました女と騙された女の間に浮かび上がる「愛」とは(連載更新されています)

バタバタして告知忘れておりました。すみません。

連載「シネマの女は最後に微笑む」、今回はFaceappの話題を前振りに、「なりすまし」で幸せを得ようとした孤独な女の心理サスペンス『ナンシー』(クリスティーナ・チョー監督、2018)を取り上げています。

 

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初めての長編だというチョー監督の脚本が秀逸です。

ナンシーを演じるアンドレア・ライズボローのリアリティ溢れる演技はじめ、俳優陣が皆非常に良い。個人的には久々にスティーヴ・ブシェミを見て、落ち着いたインテリの役も板についているなぁと感心。

終盤の意外な展開に、深い余韻‥‥。私は泣きました。

 

 

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「モンスター」と言われた女が最後にすがったもの(連載更新されています)

告知遅くなりました。

「シネマの女は最後に微笑む」第66回は、『モンスター』(パティ・ジェンキンス監督、2003)を取り上げてます。無料登録してどうぞ。

 

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1989年~90年のアイリーン・ウォーノスによる連続殺人事件を題材にした作品。公開当時、シャーリーズ・セロンの肉体改造が話題になった作品としても有名。この人は作品毎に大胆に体型を変え、終わるとすぐさま戻しているところが驚異的ですね。もちろんそれ以外に見るべきところはたくさん。

 

「最後に微笑む」というより「不敵な面構えのまま」という底辺の娼婦を演じるセロンがやはり素晴らしいですが、いわゆる鬱展開で、主人公に共感できる部分とちょっとしんどい部分とが交錯します。それが、アイリーンという底辺の娼婦の人物造形にリアリティを与えていると思います。

相手役のクリスティーナ・リッチも、行き場のないレズビアンの若さゆえの残酷さを好演。

 

ところで私は、あの有名な『テルマ&ルイーズ』を、アイリーン・ウォーノス事件を大胆に脚色した作品だと思っていましたが、今回読者の方から指摘を受けて、それは日本で公開当時、配給会社の流した偽情報だったと知りました。

日本版Wikipediaを確認しますと、去年までは偽情報が載っていたのが訂正されています。いやはやすっかり騙されていました。反省しております。

確かに時期を考えると合いませんし、いくら何でも脚色が過ぎます。最初から全然関係ない作品だったのに、『テルマ&ルイーズ』が日本で公開される時にアイリーン・ウォーノス事件が話題だったので、配給会社が話題作りのためにデマを流したと。‥‥ケシカランですね。

 

『モンスター』の方は、事件にかなり忠実に描かれているようです。おすすめ。

 

モンスター 通常版 [DVD]

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  • 発売日: 2005/05/28
  • メディア: DVD
 

 

政治に敗北する芸術家の運命―『COLD WAR あの歌、2つの心』(連載更新されました)

「シネマの女は最後に微笑む」第64回は、ポーランドの監督パヴェウ・パヴリコフスキの『COLD WAR あの歌、2つの心』(2018)を取り上げています。

冷戦下の欧州を舞台に描かれる、音楽家と歌手の宿命的な恋。芸術と政治を巡る映画としても非常に興味深い作品。

 

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モノクロームの美しい画面。冗長なシーンは一つとしてなく、すべてが濃密にしてパーフェクト。

ネタばれに配慮してませんが、読んだ後でも観る価値は十二分にあります。傑作です。

 

奔放で純粋なズーラを演じるヨアンナ・クリークは、レア・セドゥを彷彿とさせるところもあり魅力的。童顔の素顔とメークした時の妖艶さの落差がいいです。歌が上手いなぁと思ったら、本国で歌手としても活動している人でした。

 

後半は二つの芸術家のタイプを比較しています。

中心になっているのはヴィクトルとズーラですが、男性でもう一人重要な役回りのカチマレクと、前半で姿を消す女性イレーナがいます。ズーラとイレーナは自分の筋を通そうとする芸術家ですが、男性の二人はそれぞれ西側、東側での生きやすさに流れていく。女性たちに一つの理想像を、男性たちに現実の相を担わせているようです。

ポーランド現代史をざっとおさらいしておくといいかもしれません。

 

日本語の予告編は、女性ナレーターの喋りが作品の雰囲気を甘々にして伝えていて好きではないので、こちらを。

 

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黒人差別と白人の同調圧力が同時に描かれる『ヘルプ』(連載、更新されました)

「シネマの女は最後に微笑む」第63回は、先月ミネアポリスで起きたジョージ・フロイド氏暴行死の事件を枕に、メイドとして働く60年代の黒人女性を描いた『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』を取り上げています。

 

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主人公は一応エマ・ストーンが演じる作家志望の女性ですが、冒頭もラストもヴィオラ・デイヴィスの演じるメイドのモノローグであり、下層黒人女性から見た白人女性コミュニティが描かれていると言えます。

 

最初は、NASAの黒人女性を描いてヒットした『ドリーム』(2016)を取り上げようかとも思いましたが、人間関係が『ヘルプ』に比べてやや単調なのと、ケビン・コスナーが演じた白人上司の描き方がカッコ良すぎるのと、黒人でもわずかな成功者ではなく名もなき庶民を描いたものを取り上げたいと思い、こちらに。

設定年代が同じだけに、どちらの作品にも「トイレ問題」が登場します。

 

エマ・ストーンは、この手の映画で理想化された「理解ある良い白人」に陥りそうなところを、彼女の鬱屈や成長を描くことで回避できていると思います。

また、『女神の見えざる手』や『モーリーズ・ゲーム』でキレ者を演じたジェシカ・チャステインが、ちょっとおバカだけど気のいい奥様を演じています。白人の同調圧力からはじき出された存在として重要な役どころ。

 

『ドリーム』にも出演しているオクタヴィア・スペンサーが、勝気なベテランメイドの役で出ています。彼女の密かな復讐が後半の山になっていますが、これはネタばれすると、『カラー・パープル』(1986)でウーピー・ゴールドバーグがやった行為と同じです。強烈さは『ヘルプ』の方が100倍くらいですかね。

 

それにしても、「心をつなぐストーリー」という邦題サブタイトルは何とかならなかったんでしょうか。「ドリーム」(原題:Hidden Figures)もそうですが、妙にフンワリしたイメージを付与するのはやめにしてほしいものです。私なら『ヘルプ~メイドは語る~』にしますね。

 

 

ヘルプ ~心がつなぐストーリー~ [DVD]

  • 発売日: 2013/07/03
  • メディア: DVD
 

 

 

 

 

芸術と政治と言葉についての短い考察

あいちトリエンナーレ2019開催中、朝日新聞東海版朝刊(2019年9月23日)に掲載された拙文です。半年以上経ってますが、芸術と政治について触れたテキストとして上げておきます。

 

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タイトルは編集者がつけています。テキスト内容は、政治や社会について「芸術を通して」考えることを推奨するものではありません。


 

 

(本文ここから)

  グローバルな問題も様々なかたちで扱われている現代美術の展示で、とりわけ強い印象を残すアジアの作家の作品を二点あげたい。

 一つは愛知県美術館に展示されているユェン・グァンミンの<<日常演習>>。サイレンが鳴り響く中、ドローンで撮影された台湾の軍事演習時の人の気配のない市街が、延々と大スクリーンに映し出される。「非常時」が当たり前のように埋め込まれた日常の光景を俯瞰で見せるシンプルな手法は、スペクタクル感に満ちた大きな効果を生んでいる。

 もう一点は、豊田市の喜楽亭を使ったホー・ツーニェンの<<旅館アポリア>>。小津安二郎の映画、神風特攻隊の回想、京都学派と海軍、横山隆一の戦意発揚アニメなどで構成された映像インスタレーションに、時折、建物を揺るがすような振動が入る。虚構・過去・現在が重層するこの作品のタイトル「アポリア」(難題)は、戦争における日本人の被害者性と加害者性とを、私たちが同時に見つめることの中にあるだろう。

 

 これらの作品は、政治的かつ歴史的なモチーフを大胆に使いつつも、わかりやすい言語的メッセージには落とし込まず、観る者の感覚を揺さぶり宙づりにする。展示が中止された「表現の不自由展・その後」の、歴史を扱ったいくつかの作品とでは、なぜ受け取り方に差が生まれるのか。

 一つには、ネットに流通した不自由展の作品情報が「わかりやすかった」ことがあると思われる。実際には複雑な意味や背景があったとしても、展示においてはシンプルな言語的メッセージに還元されやすい面があったために、短絡的な反応を引き起こした。

 「わかりやすい」より「わかりにくい」(宙づりにする)方が良いとは、一概には言えない。ただ一般的に、言語的メッセージの比重が大きくなれば、芸術表現であることの必然性は薄れる。芸術はまず知覚に働きかけ、個々の美的判断や情動を刺激するものだ。それら非言語的メッセージの効果が、作品の言語的メッセージと思われるものにも様々な作用を及ぼす中で、鑑賞体験は作られる。

 今回の紛糾の根底にあった差別と歴史認識の問題は、精密な言葉を通じて把握し、理解しなければならないことである。そうした極めて重要な問題を個々の美的判断や情動が関与する芸術作品で提示すること、直視するべき現実の諸相を芸術鑑賞体験の中で受け取ることの意味は、改めて深く問われるべきだろう。

 そう考えると、不自由展以外の、国家や戦争、民族やジェンダーなどを扱う作品にも、本質的には同じことが言えるのではないかという疑問が浮かぶ。そもそも、なぜ芸術作品において、現代の様々な問題を考えるのか。根本的な解決や認識の共有が現実にはなかなか困難であるそれらの問題を、芸術において考えることで最終的に回帰してくるのは、やはりあらゆる意味での政治であり、言葉ではないだろうか。

 

 ところで、あいちトリエンナーレとは別に、「なごやトリエンナーレ」という、「超芸術」を掲げるオルタナティブな動きが一部で注目されている。芸文センターの脇で騒音を散布するゲリラ活動で引き起こされたトラブルの結果、逮捕者まで出したことで話題となったが、興味深いのは偶然も含めたすべての行為を、「声明文」などの確信犯的な言葉に置き換えていることだ。政治や社会を芸術において考えることの「アポリア」、そこで循環し続ける現代芸術の状況を、外部からアイロニーをもって相対化しようとしていると言えるかもしれない。

 

 

関連記事 

なごやトリエンナーレについて『情況』2019秋号に寄せたテキスト

 

 

 

『マイ・ブックショップ』に見る志の継承(連載更新されました)

週末バタついて告知が遅れました。

「シネマの女は最後に微笑む」第62回は、「非常事態」下の書店の状況を枕に、『マイ・ブックショップ』(イザベル・コイシェ監督、2017)を取り上げてます。

 

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舞台は1959年のイギリス海岸沿いの小さな町。一人の女性が、さまざまなハードルをクリアして書店を立ち上げる。お客さんも徐々に入り始める。

ほのぼのしたハートウォーミングなドラマかと思いきや、後半ちょっとキツい方向に展開してゆき、「あーあ、とうとう‥‥」と思った最後の最後で突如明らかになるのは、ある純粋で破壊的な意思表示。度肝を抜かれます。

その驚愕は、深い納得と感慨と感動に。

 

 映像が非常に美しく、自然の描写から建物、室内、ファッションなど見所がたくさん。役者もいいです。読書家の偏屈老人を演じるビル・ナイ、素敵。

コロナ禍で様々なお店がひっそり廃業していく中、「場」の継続と志の継承について考えさせられる、今改めて観たい作品。超おすすめです。