楽しい共学時代

中学の屈辱

私の中学時代はジェンダーという言葉もまだない、70年代前半の昔である。テレビでは、スポ根ドラマや学園ドラマが人気だった時期。
学園ものでは、喧嘩が強いガサツな男子、秀才くん、か弱い美少女といった布陣に、可愛くて気の強い女子というものが登場し、「○○くん!謝んなさいよ!」とか「女だからってバカにしないで!」みたいな啖呵を切り、「やれやれ、女子にはかなわねえな」みたいな‥‥まあ何かそういうノリだった。別学の人は「楽しそうだなあ」、共学の人は「ないよこんなの」と思っていたのではないか。


中学の三年間を振り返ると、異性との思い出はほとんどない。特に仲のいい男子もいなかったし、気になってしょうがない男子もいなかったし、モテもしなかった。
私の心のアイドルは、教科書に写真が載っていた中原中也と、『ベルサイユのばら』のアンドレと、画家のモジリアニ(男前)。
セカチュー」みたいな微笑ましいカップルはたまにいたが、ほとんどの女子は私と似たり寄ったりで、同性とツルんでいるのが普通だった。男子は男子、女子は女子で固まる傾向が強かった。
異性に対する同性内の同調抑圧傾向というのは、女子だけではない。
女子をしつこくからかう男子に他の男子が「やめろよ」とでも言おうものなら、「あ、おまえあいつに気があんの? おーい、こいつさー○○のことが好きなんだってよー」と囃し立てる。大抵は、からかっている本人が○○のことを好きなのだが、気づいていない。


2年の時、すごく「女子」を意識させられたことがあった。
技術・家庭(その頃は男女別)の授業のある日で、授業の始まる一時間前にお米を研いで炊飯器にセットしておくことになっていた。家庭科の前は国語の時間。それでクラスの女子はみんな、国語の前の休み時間に調理室に行ってその作業をした。
ところが、一グループだけなぜか作業が遅れて、授業が始まってからゾロゾロ教室に戻ってきた。


国語教師は54、5歳の女の先生。授業はピシッと厳しいが、いつも元気で目がキラキラしていて笑顔が素敵で服の趣味も良くて、わりと人気があった。先生は、遅れてきた女子達を黒板の前に立たせ、なぜ遅れたのかと訊いた。
「家庭科のお米を研いでました」
「それにこんなに時間がかかったの?」
「お湯湧かしてました」「どうして?」
「水だと手が冷たいから、お湯を混ぜようと思って‥‥」。
「まあ!!」
と、先生はすごく大仰に驚いた。
「お米をぬるま湯で研いだの!あっらまあ!」
それから先生はこちらの方に向き直って、いつもの素敵な笑顔で朗らかに言った。
「男子はよーく聞いときなさい。将来こういう女の子をお嫁にもらっちゃあダメよ」
男子が一斉にアハハと笑った。
「嫁にするわけねえよなー」


立たされている女子の顔に、屈辱感がありありと浮かんでいた。私は苦いものを飲み込んだような気分になった。
お米をぬるま湯で研ぐのは非常識なのかもしれないし、授業に遅れてくるのも悪いかもしれない。でもこんな言い方しなくていいじゃない。なに?この感じ‥‥なんかすごくやだ。この一件で、その先生が嫌いになってしまった。
二十何人もの男子の前で、大人の女性に「女としてダメ」と(それも直接ではなく男子に向かって)言われてしまったのである。どんなに恥ずかしく悔しかっただろう。
女子校だったら、ここまで嫌な気持ちにならないと思う。たとえ皆の前で、「そんなことではお嫁に行けませんよ」などと言われたとしても、そこに男子はいない。男の視線があるかないかで、屈辱感の程度は全然違ってくる。

男子との攻防

中3のクラスの中で、わりと成績優秀でスポーツ万能で、ルックスにも自信のあるらしい男子のグループがあった。最初は人気者だったが、図に乗ってかだんだん人を見下ろすような横柄な様が鼻についてきた。
「○○君達、最近いい気になり過ぎだよね」「なんとかギャフンと言わせたい」と思う女子が集まって相談し、「3年D組男子人気投票」というものをでっち上げて、壁に張り出すことにした。


当然、その横着男子集団は全員下位ランクとするのだが、上の方をどうするかが問題である。
で、協議の結果、勉強はできるが地味なA君を一位に決めた。A君は今思うと共産党の志位委員長みたいな顔をしており、見かけもっさりしていたが、誰にでも態度が丁寧で密かに「人格者」と言われていた。
二位は無難にクラス委員長。三位は大穴ということで、シモネタばかり言って顰蹙を買っているお調子者のB君。以下は「掃除当番や委員の仕事をサボらない」「女子をバカにしない」を基準にして決定。
後ろの黒板の横に、レポート用紙に書いたそのランキング表を貼って、みんなで様子を伺っていた。
B君がまず見つけて「あれ〜っ、オレ三番だ!」と大騒ぎし、他の男子は横目でちらちら見ていた。気になるが、自分の名前を必死に探しているところを女子に見られたくないのである。
横着男子集団は全員最後の方だとわかって、結構ショックな顔をしていた。私達は「やったー」「いい気味」と喜んだ。
A君は後から一人で見に行き、顔を赤らめていた。「A君、かわいい」ということで、また人気上昇。
担任にすぐ見つけられ「なんだこれは。くだらないもの貼っとくな」と剥がされてしまったが、私達はあの威張っている男子達の鼻をペシャンコにしてやったということで、大いに満足。
しかしまあバカなことをしたものだとは思う。態度のデカい男子に面と向かって抗議する勇気はないので、そういう姑息な手段に訴えたわけである。個人レベルで男子と渡り合えない「女子の身分」を、自ら承認していたようなものだ。


高校は、普通高校の中に一クラスだけ併設されている美術科で、同級生40数人のうち男子は9人しかおらず、実質女子校みたいな雰囲気だった。
入学当初は全体的に女子の実技成績が良かったので、クラスの男子を鼻にもひっかけず、デッサン下手くそじゃんとかガキっぽいとか思っていた。しかし時間が経つにつれて、それは少し変化した。
デリカシーのかけらもないと思っていた男の子が、繊細な絵を描いていたりすると、少し見直す気持ちにはなる。今でも同級生の印象は作品とセットだ。専門課程ならではのことだったかもしれない。
美術科内では、先輩の男子と後輩の女子のカップルが目についた。美術科の男子が普通科の女子に行くことは、ほとんどない。たぶん、頭良過ぎる女の子は可愛くても勘弁、なのである。
しかし美術科の女子にとっては、何やらせても涼しい顔でこなしそうな普通科の男子(ガリ勉タイプではないイケメンエリート君)は充分範囲内。
私も、ほとんど話したこともない普通科の男の子が好きだった時期があった。「今日は校門と廊下ですれ違った、二回目は目が合った、ラッキー」みたいなアホらしいレベルだったが。


オシャレな髪型とか男ウケする服装をしてモテるという方向に躊躇なく行く、というのは自意識過剰なためやれないのだ。そういう外見ではなくデキる男子はちゃんと女子を中身で判断するはずだと、大した中身もないのに無根拠に思っていた。
そのくせ、朝起きて寝癖が直らなかったり、スカートの襞がピチッと決まってないと、学校行くのが憂鬱になる。同性に見られるのより異性に見られるのがなんか恥ずかしい。そのあたりの矛盾には気づかないのであった。

オマエもか

大学浪人するため東京の美術系予備校に行くと、そこは今度は男子が多かった(彫刻科なので特に)。そこで初めてカレシというものができた。
しかし、私にとって一年上の彼はライバルでもあった。向うはあまりそう思ってないようで、デッサンコンクールで私が偶然一位をとった時も「頑張ってるじゃん」とは言ってくれたが、「でもまあ総合的な実力は、俺が上だけどな」というニュアンスが濃厚に感じられた。
男ってもんは、どうしても女より上にいたいのか。女は必ずしもそうではないのに。

芸大も、当時の彫刻科は圧倒的に男が多かった。私の学年は21人中女子4人。その上の学年は2人。
「やっぱり女だな」と思われたくなくて、私は妙につっぱっていた。男に混じって男並みにやっているのだと(実際は、力仕事が多いので結構助けてもらっていたが)。つまりそういうかたちで、男子の目を意識していたということだ。
美術学部音楽学部は道路一本を隔てて向き合っており、彫刻科の男子は昼休みわざわざ遠い音楽学部の食堂へ行く傾向があった。
それは、楽器のケースや楽譜を大事そうに抱えた、上品なワンピースの見るからにハイソなお嬢様っぽい人を「見る」ため(目の保養)。こっちは、男と同じく油や石膏まみれのつなぎに安全靴である。どう見ても勝負ありだ。微妙な嫉妬を感じた。


ある時、新宿にある専門学校だったか短大だったか忘れたが、とにかく女子ばかりの学校から、彫刻科にバイトの依頼が来た。学園祭の準備の手伝いをお願いしたいというのである。
一日で五千円のバイトは、学生にとっては有り難い。十人くらいの男子学生に混じって私も行った。
手伝いとは、大きめの立て看をいくつか作ることだった。みんなでベニヤや小割や角材を採寸し、ノコで切り、トンカチで打ち付け‥‥という作業をした。そこの女子学生は一切参加せず、全部こちらに一任。
お昼タイムとなり一室に集められると、女子学生の数人がお茶のお盆を捧げ持って、出前の注文を取りに来た。
昼食を終えてしばらく作業をしていると、休憩して下さいということで、また女子数人がコーヒーとお菓子を運んできた。そのお菓子の量と種類が結構すごかった。
男子達は、「至れり尽くせりだなあ」と喜んでいた。女子の人達は「ほんとにご苦労さまですー」とか言いながら、お茶はいかがですか?とサービスに余念がない。
「こんな仕事ならいつでも気軽に呼んでくださいよ」
「メシ付きならタダでもいいっすよ」
「うふ、またよろしくお願いしますね」
‥‥なんですか、この雰囲気は。


立て看なんて、作ろうと思えば女子だけで作れるのである。
「でもちょっと大きいし、頑丈じゃないとダメだし大変そうよね」
「そうだ、芸大の彫刻科の人だったら上手に作ってくれるんじゃない?」
「え、芸大生?彫刻科の男の子?カッコいい人いるかも」
「じゃ教務に申請しようよ」
どうせそういうことで決まったのである。彫刻科の「女の子」まで来てしまったけどさ。


さて、三年時の秋から冬の間には、科ごとに順番で古美術見学旅行に行くことになっている。奈良・京都の寺や仏閣を回る一週間ほどの旅。
その時期が近づくと、一部の男子はなんとなく浮き足立った。「ナラジョ(奈良女子大)との合コン」があるからだ。それは、芸大が男子ばかりだった大昔からの伝統行事。女子も結構いる時代になっても、伝統は固く守られているのである。
工芸科や日本画科は女子が比較的多いので、既に体験済みのその科の上級生は「女の子達が不機嫌になっちゃって、ちょっと困るんだよね」と言っていた。
だったらやめればと思うが、長い習わしだし「ナラジョの人も楽しみにしている」とか。ロマンスが芽生えることもあるとか。
東京芸大の女子と京大の男子の合コンというのはない。まあそんなものしても、何を話していいかわからないが。


当日は、奈良の芸大宿舎にナラジョの人達がお迎えに来て、みんないそいそと出かけていった。「俺めんどくさいから残る」という男子も、「せっかく準備してくれてるのに失礼じゃないか!」と無理矢理連れられてった記憶がある。
‥‥やっぱりオマエもか。オマエたちもか。
そう思いながら、残った女子四人で酒を飲んだ。