「まんこ」を叫んだ日々

女の体で笑うということ - キリンが逆立ちしたピアス
たくさんのブコメの中に、「まんこ」を連呼することに対していろんな反応があって興味深い。*1


上の記事に対する意見の一部。

「9割以上」が「女性」であったという「観客」と一緒に「おまんこおまんこ」と叫んで「大笑い」しながら「泣きそうにな」るのも結構だが、男もいる中で叫ぶことが出来ない限り、一時的逃避に過ぎないw
それが「私の『おんな性』にかけられた呪いである」、えへんってお前は楊貴妃かwww - 消毒しましょ!


さいですか。じゃあピンポイント反応で、男もいる中で叫んだ話を。「自分語り」です、はい。


20代半ばの頃、アマチュアバンドをやっていた。全員独身勤労女性。*2 バンド名は「毒まんこ」という。
ボーカルの人がその名を提案した時、後の四人は一瞬引いてから笑い転げ、即決した。まだ音の方向性も何も全然決まってなかったが、「毒まんこ」でもう全てが見えた気になった。私達のやりたいことのイメージにこれほどぴったりな言葉はない。どくまんこ。完璧な名前だ。わーい。


結成してすぐの頃、鈴鹿の8時間耐久レースのアトラクションに出た。8時間ずっとレースだけ見ている人はいないので、暇つぶしのために、参加者を公募して開催されていた簡易ステージでの野外ライブ。それに、バンドの世話係の男の子が申し込んでくれて(「毒まんこ」ではマズそうなので「ペロペロシスターズ」とかいう適当な名前で)、「とりあえずステージ慣れのため」ということで行った。
到着した時、ハワイアンバンドが演奏しており、30人くらいの観客が広い芝生のあちこちにのんびり寝転がって見ていた。大変に牧歌的なムードである。
私たちは一曲目に、セックス・ピストルズのAnarchy in the UKをやることになっていた。もちろん替え歌で、ワンフレーズごとに「ちんこ!」「まんこ!」と叫んでいるようなしろもの。どう見ても場違い。


ステージに出ていくと、パラパラと気のない拍手があって「ヒュー」と声がかかった。「こりゃまた素人臭い女の子達が出てきたな。まあ暇だから聴いたろか」という雰囲気だ。
演奏(ド下手糞)が始まり、ボーカルが素っ裸に羽織った長襦袢をはだけて歌い出したとたん、寝転んでいた観客が起き上がり、会場横の道を歩いていた人達が一斉に足を止めた。ステージ前にできていく人だかり。おお、これは気持ちいいわ。
ところがワンコーラス終わる前に、電源が切られて音が出なくなった。そして、PAのテントのところにいた世話係の男の子(彼は演奏を初めて聴いた)が真っ青な顔で走ってきた。見ると、PAのおっさんが頭の上で両手を × にしている。
やはりその場に相応しくなかったということで‥‥。すごすご引っ込んだ楽屋には俄ファンが押し掛けて激励してくれたが、一同憮然として名古屋に帰った。



演奏も幾らかはマシになってようやく地元のライブハウスに出演し、一部でイロモノ系エロバンドとして認識されるようになった。『リンゴの唄』の「リンゴ」、『インターナショナル』の出だしの「者よ」を「ま」や「ち」に変えて歌っていた(別に替え歌専門でやっていたわけではない)。お客の男女比は7:3くらい。それなりにファンもついた。
半年ほど経って、名古屋のインディーズ系バンドのコンサートに出た。「戦場のおまんこ祭り」という(当然トリ)。当時『戦場のメリークリスマス』が話題だったのにひっかけて、そういうタイトルになった。
この頃、知り合いの大学生の男子二人がメンバーに加わった。
女達が「ちんこ」「まんこ」を連呼する「毒まんこ」という名のバンドに入る20代前半の男っていったい‥‥と思う人もいるかもしれないが、彼らは単純に「面白そうなものに参加したい」というノリで入ってきた。最終的には女5人に男4人の大所帯になった。


私達の周辺では、「まんこ」という言葉が飛び交っていた。必然的にそうなる。
「毒まんこの次のライブは?」
「毒まんこ、東京でやらんの?」
「こないだの毒まんこ、見たよ」
「毒まんこのファンです」
「ちょっと毒まんこの人達集まって」
「これは毒まんこの機材か」
普段の会話であまりおおっぴらに「まんこ」と言えないもんだから、皆ここぞとばかりに。その流れで「まんこ」という言葉もわりと普通に使っていた。


初対面で訊かれてバンド名を告げると、「えっ、ど‥‥へぇ‥‥」とドン引きする人も当然いる。引かないでライブに来てくれる人と、二度と話しかけてこない人。「毒まんこ」という名が踏み絵の役割。
そういうことも関係していたかどうかわからないが、周囲では男性だけが性的な話題で盛り上がるということはあまりなかった。猥談や性的な自慢話や下卑た笑いや俗に言うイヤらしい視線があったとしても、「毒まんこ」という言葉の前には「で、それが何か?」みたいな感じになる。
もちろん私達は、性的客体として見られることを充分に意識していた。ただしそれに対して防衛するのではなく、男の欲望を凍結するくらい攻撃的に出たかった。しかもゲラゲラ笑いながら。
もっとも当時そんなふうに言葉化して考えていたわけではない。かなり感覚的かつ場当たり的にやっていたので。*3
バンドは2年あまり活動して解散した。



それから25年。今私は、「まんこ」という言葉をごく親しい人の前でしか口にしない。
それを口にしやすい環境というのは、依然として限られている。そこで「言いにくい場であえて言う→開放感」みたいな感じを、あまり面白いと思わなくなってしまった。そういうことがそれなりにインパクトを持ち得た時代特有の(気負いの)気恥ずかしさが、「毒まんこ」という名にもうっすらとつきまとっている気がする。*4
もちろんここのブコメの最初で言われているように、自分達の「芸風」が「生き恥晒す」ものだったとはまったく思っていない。一生分の「まんこ」を2年間で言ってしまったが、別にそれで「解放」されたわけでもない。
私のまんこは私の体のオプションというだけだ。時々ちょっと鬱陶しい。着脱可能だったらいいのにね。
ちんこの持ち主は、そういうことを考えたことはないですか?


ということで、えらい久しぶりに「まんこ」を連発した。
最後まで読んで下さった人、お疲れさまでした。


追記/ネットで見つけた当時の雑誌の記事と、かつてのファンが送ってくれた手作りパンフ(私の字)。頭にリボン乗せてサングラスかけているのが私。

*1:記事内容については、非常に乱暴に縮めて言えば「<見る性/見られる性>という男女の非対称性についての、女性の側の鬱屈と葛藤と解放(希求)」というのがテーマなのかなと思った。これについて自分が言えることは全部拙書に書いているので、興味のある方は是非どうぞ!

*2:ルックスが気になる人がいると思うので一応書いておくと、美女2名、迫力のある人2名、童顔(私)1名という内訳。●追記/そういやギターの美女は既婚で二人の子持ちだった。ボーカルはあれは結婚していたのだろうか‥‥。

*3:そう言えば、三文ポルノ小説やAVなどで、男が女の性器を弄ったり挿入中に「ここ、なんて言うの?言ってごらん」などと言い、女が「厭、恥ずかしい‥‥」と嫌がるのを「言わないとやめちゃうよ」とか何とか言って、女が小さい声で「‥‥‥おまんこ」と言うと「何?聞こえない」などと言葉責め(?)するシーンがあったりするが、ここで「毒まんこ!」って言ったら男はびっくりして萎えるだろうな、ちょっと言ってみたい気になったりしない?まあ好きだったら言わないか、でも「‥‥‥おまんこ」とか言わせて喜ぶ男ってつまんなそうだねー。みたいな話を当時していたのを思い出した。

*4:ちなみにこのバンド名は、大槻ケンヂの『グミ・チョコレート・パイン』の変な名前の80年代のバンドが列挙された箇所に、「身も蓋もない人たち」として載っている。