「愛の言葉」とコミュニケーション強制ギブス

「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠

ポスト工業化社会の労働者の人間疎外とは、生産ライン上で同じ肉体労働を繰り返すタイプではなく、コミュニケーションを強いるタイプになるのだろう。いや、もう既にそうなっているか。


この最後の下りを読んで思い出したのは、以前働いていたデザイン専門学校でのこと。
年度始めの講師オリエンテーションで、ある時こういうお達しがあった。
「企業は仕事ができるできない以前に、礼儀をわきまえたコミュニケーションの取れる人材を求めている。まずは挨拶から。講師の皆さんは、積極的に生徒に声をかけるようにして下さい。講師同士でも挨拶よろしくお願いします」。


挨拶か‥‥。小・中学校の頃、憧れの男子に挨拶をできるかできないかみたいことで悩んでいたのが蘇った。
ある朝、廊下で出会った時に、思い切って「おはよう」と言ってみる。向こうは知らん顔。一週間くらい落ち込むが、「もしかして聞こえてなかったのかも」と思い直し、また言ってみる。
すると、爽やかな笑顔と共に「おはよう」が返ってきたー! 天にも昇る心持ち。もう「好きだ」と言われたくらいの舞い上がり様。
私にとって挨拶は一時的に、「愛の言葉」となった。


しかし大人になっても基本的には、挨拶が苦手だった。よく知っている人なら声をかけられるが、顔見知り程度だとなんだか気後れしてしまう。迷っているうちに距離はどんどん縮まっていって、何となく向こうも視線を外しているようなので、「‥‥ま、いいか」と思い黙って通り過ぎる。
まして知らない人だと、学校内でも挨拶しづらかった。黙礼をするかしないかみたいな、曖昧な感じでやりすごす。
通り過ぎようとした時に、向こうから「おはようございます」と言われることもある。慌てふためいて「お、おはようございます」と返す。しまった、知らんふりしてないでこちらからしなきゃだった。


自分が教える側になっても、まだ学生と打ち解けない当初は、挨拶がしにくかった。
学生のほうも、4、5人の集団でいれば誰かが気づいて言葉を交わすことになるが、1対1だと恥ずかしいのか緊張するのか、こちらに気づかないふりの学生は時々いる。私のほうも「今、話しかけられたくないんだろな」と妙に気を回し、そのまま通り過ぎる。


しかし、知ってようが知っていまいが、学校内で出会う人間には必ず挨拶せよ、ということになった。
それを徹底させるためか、ある時、朝から校舎の前に教務の職員の人が立つようになった。登校してくる学生たちに、逐一「おはようございます!」と声をかけている。
これは、よほどのことがないと無視できない。デザイン専門学校にはひたすらマンガを描くのが生き甲斐で、ほとんど声を聞かないような子もいるが、そんな学生も「‥‥‥ざいあす‥‥」くらいの小さな声と軽い礼で返すようになる。挨拶強制ギブス。
一限目の始まるまでの30分あまり、若い職員の人による、まるで選挙の立候補者のような挨拶連呼が、2ヶ月くらい続いていた。
「おはようございます!」「おはようございます。毎朝大変ですね」。思わずねぎらってしまった。



小津安二郎作品『お早よう』(1959)の中で、無駄口の多いのを叱られた子どもが、「大人だって余計なことを言ってるじゃないか。『こんにちは』、『おはよう』、『こんばんは』、『いいお天気ですね』‥‥」と憎まれ口を叩く。
挨拶の文言自体に意味があるのではなく、挨拶を交わすという行為に意味が付与されるということが、子どもには理解できない。


何らかの関係性が生まれたから挨拶をするのではない。むしろ挨拶をしたから関係性が生じるのだ。挨拶を交わすとは、「敵」でないのはもちろん、完全な「部外者」や「傍観者」や「批判的な第三者」でないことの相互申告だ。
人間関係の構築(もしくは「愛の始まり」)が、有意味なメッセージなどではなく無内容な挨拶から始まるところに、コミュニケーションの神髄が宿る。小津はそのことを、高度経済成長が始まろうとする時期の日本の郊外を舞台に美しく描き出した。


しかしそれは裏返せば、学校でも職場でも地域でも社会の共同体において、「敵」や「部外者」や「傍観者」や「批判的な第三者」の可能性をあらかじめ排除しておくための、「コミュニケーションの強制」として挨拶が交わされる、ということでもある。実際、そうなっている。
結果、すべての振る舞いは、共同体内における効率性と生産性のもとに画一化されていく。
挨拶と笑顔とコミュニケーションと人間関係は、相互の繋がりを持たずバラバラになる。
そして「愛」の生まれる隙間は埋められる。